心と体はひとつです。生命は循環で美は調和です。
愛と感謝の人生を創造して行きましょう。
本来、学ぶことは愉しいことですが
学校勉強や受験勉強の影響により
勉強することや学ぶことが
苦しいことと錯覚してしまった人が
日本人には多いのかも知れません。
知識・情報・超高齢化社会の今日
自主学習能力が高い人に
有利な社会になって来ているようです。
できることなら
学校勉強や受験勉強という考え方はやめて
大人になっても
勉強することや学ぶことの
愉しさを体感することが
経験できるといいですね。
テクノロジーの発達は
自主学習を容易にできる環境を
作ってくれていますね。
仕事に追われ忙しいとの言い訳で
勉強や学習ができないという人がいますが
逆に仕事のアップデートを学んだり
自己マネジメント力を学ぶと
仕事に追われ忙しいことから
解放されるようになります。
言い換えれば
仕事に追われ忙しい人は
学校勉強や受験勉強の考え方に
囚われている状態かも知れませんね。
仕事のアップデートや
自己マネジメント力を高めることができないと
アラフィフ(50歳前後)から
身体がきつくなって来ると思います。
繰り返しますが
知識・情報・超高齢化社会が進む今日
勉強や学びの楽しさを体感して
自主学習能力を高めると
運が良くなります。
少子化による影響もあり
学費が高騰しているようです。
親も子も
学費破産していては
本末転倒ではないでしょうか。
学歴コンプレックスや
教育業界のマーケティングなどに影響されて
高額ローンを組む羽目になるのは
詐欺に騙されているようなものです。
もちろん
塾や私学や大学に行くことが
悪いと言っている訳ではありません。
ただ経済的に無理をし過ぎて
破産や生活に困窮することに問題があるのです。
いま大切なことは
レジリエンス(精神回復力)と
自主学習能力の向上です。
そもそも「学問」や「学習」は
一生続けるものですね。
家計が苦しいなら
二宮尊徳のように
薪(まき)しょって、読書することです。
意味わかりますか?
「働きながら学ぶ」ことですね。
精神格差社会の今日
くれぐれも学費破産には気をつけて
若い時から本当に身になる
学習習慣を身に付けて行きたいものですね。
運も良くなります。
欧米社会はある意味
昔から激しく学歴社会です。
大学での勉強はとても厳しく
大卒にはそれ相当の価値と評価が与えられます。
それに比べて日本社会では
戦後、レジャーランド化しました(笑)
それでも経済成長している頃は
まだ大卒の価値と評価はありましたが
1990年代の
バブル経済崩壊やゆとり教育は
大学教育の劣化が酷くなりました。
どちらかと言うと
学校や教育機関の巧みなマーケティングにより
少子化ににも関わらず
大学進学率が高くなってしまいました。
今では欧米も日本も
高額になった教育費に見合う
就職や収入も難しくなって来ています。
大卒者の方が
生涯賃金が高いという統計は
あまり鵜呑みにしない方が良いと思います。
それは昭和的なシステムの
従業員としての統計だからです。
もちろん学歴もあった方が
無いよりも良い場合もありますが
現在の20・30代を見る限り
レジリエンス(精神回復力)や
自主学習能力の発達の方が
必要とされているのではないでしょうか。
大卒であろうが
高卒であろうが
中卒であろうが
移民であろうが
魂を磨き徳を積んで
仕事の向上心と実践があれば
経済的にも精神的にも
愉しい人生になるのではないでしょうか。
運も良くなります。
日本人は「愛」の解釈が苦手なようですね。
キリスト教での「愛」は
博愛や慈愛の意味ですが
特に戦後世代の日本人は
エゴ(欲)をベースとした
恋愛や愛欲や溺愛などを
「愛」と解釈している人が多いようです。
好きだ嫌いだ
苦しい楽しいなど
コロコロと変わる感情(エゴ・欲)に
振り回されることは「愛」ではありませんね。
好・嫌や苦・楽を一体化して
魂が成長することが「愛」です。
感情に執着しないためには
意志や調和の力が必要です。
「愛されたい」との感情に執着すると
同じような波動を引き寄せ
共依存関係になりやすいものです。
真の「愛」の波動を発信すると
同じような調和の波動を引き寄せ
相互扶助力が高まり運が良くなります。