論語では、「吾十有五にして学を志す」から
「三十にして立つ」と続きますが、20代がありません。
孔子は20代は学問修行だと思っているでしょうが
ある国語辞典に、20代は「弱冠」と出ていました。
冠が弱いとは、うまい表現だと思いました。
30代の自立に向かって、15歳頃までは親がかりですが
15歳からは自己責任の学習が始まります。
20代は冠が弱いため、失敗しながら、つまずきながら
叱られながらの時代です。
でも、それでいいのです。
そうでなければいけないのです。
そうでなければ自立の冠はできないのです。
現代社会は親自身が自立していないため
失敗させない、つまずかせない、叱らないことが愛情だと思っています。
20代は自己責任で、どれだけ失敗して、叱られたかが
自立のための財産になるのです。