日本人は「愛」の解釈が苦手なようですね。
キリスト教での「愛」は
博愛や慈愛の意味ですが
特に戦後世代の日本人は
エゴ(欲)をベースとした
恋愛や愛欲や溺愛などを
「愛」と解釈している人が多いようです。
好きだ嫌いだ
苦しい楽しいなど
コロコロと変わる感情(エゴ・欲)に
振り回されることは「愛」ではありませんね。
好・嫌や苦・楽を一体化して
魂が成長することが「愛」です。
感情に執着しないためには
意志や調和の力が必要です。
「愛されたい」との感情に執着すると
同じような波動を引き寄せ
共依存関係になりやすいものです。
真の「愛」の波動を発信すると
同じような調和の波動を引き寄せ
相互扶助力が高まり運が良くなります。