美しいデュエットを聴いた。
♪Ding dun dun ding dun dun, ding dun dun~♪
つぶやくようなイントロから、語るように優しくポルトガル語で歌い始める男。英語で甘くゆったりとスイングする女。フレーズごとに交互に、歌い継いでゆく。そしてとけあうユニゾン。最後はつぶやきになって消えてゆく。
いっしょに聴いていたつれあいが言った。「なんでポルトガル語と英語と混ぜて歌うの?」たしかに混ぜなくたっていいんだけれど、この曲は世に出たときから、ポルトガル語と英語、ブラジルとアメリカ―世界―の二面を持っていたのかもしれない。
作曲は「ボサノバの父」とも言われるアントニオ・カルロス・ジョビン。オリジナルのポルトガル語版を歌ったのはこれまたボサノバの生みの親のひとり、ジョアン・ジルベルト。そして、世界にボサノバという音楽を知らしめた英語版を歌ったのは、当時ジョアンの妻だったアストラッド・ジルベルト。以下はNHKの番組からの受け売りだが(番組名を忘れました、すみません)、名アルバム「Getz/Gilbert」録音のとき見学に来ていたアストラッドが、自分も歌ってみたいと言ったのが、英語版誕生のきっかけだったという。そのとき、“あとで切ってもいいように”英語版に1トラックを当てたのだそうだ。しかし、アメリカ版シングルを出すときにプロデューサーは、ジョアンのオリジナルのほうを切った。そして、アストラッドの甘ったるく下手な英語のボーカルが、なんともいえない魅力となって大ヒットしてしまったのだ。ジョアン自身もアメリカで数多くのライブをこなし、大好評を得たのだが、じっと耳をすまさなければ聞こえないような静かなボーカルスタイルは、長続きするブームにはならなかった。しかし、ジョアンのボーカルこそが、ボサノバという音楽の本質を伝えているのかもしれない。
イパネマというのは実在のビーチの名前。そして、作詞のヴィニシウス・ヂ・モライスがビーチを歩く少女を見ていたというカフェも現存するらしい。歌詞に登場する少女は、オリジナルではポルトガル語、英語ともに“she”で語られる。ところが、シナトラか誰かが歌ったときに“you”にしてしまった。そのせいで、女性歌手が歌うとき「イパネマの少年」にすることもあるようだ。しかし、私は、あくまで“she”で歌うのがいいと思う。そのほうが風景としての美しさが際立つような気がする。
ボサノバ創成期は毎日のように共演したジョアンとジョビンは、ある時期から袂を分かち、共演することはなかった。番組の中で宮沢和史が言った。「ジョアンはその存在そのものがone and onlyだった。対してジョビンは自分の曲がone and onlyになることを望んだのではないか」数多くの名曲を残したジョビンは、ボサノバの父として逝った。ジョアンは今も元気に活躍している。ポルトガル語を学び始めた頃、「イパネマの娘」のポルトガル語版がほしくて、レコード店で一生懸命探したが、見つけられなかった。アストラッド・ジルベルトのコーナーばかり探していたからだ。「ゲッツ・ジルベルト」を探せば一発だったのに、、、当時の私は、“ジルベルト”といえばアストラッドのことだと思い込んでいたのだった^^; なお“ゲッツ”はサックスのStan Getzのこと。
ジョビンの来日コンサートに、当時の彼氏(今のつれあい)と出かけた。バンドメンバーに奥さんや娘、息子が入っていた(今でも、ボサノバ界には2世アーチストが多い)。日比谷の野外音楽堂、心地よい夏の夜の思い出。 冒頭のデュエットは、宮沢和史とBird。NHK「音楽・夢くらぶ」5月19日放送。録画できなかったのが心残り。この曲のときだけ宮沢が眼鏡をかけたのは、最近のジョアンの雰囲気に似せたかったのかな?
♪Ding dun dun ding dun dun, ding dun dun~♪
つぶやくようなイントロから、語るように優しくポルトガル語で歌い始める男。英語で甘くゆったりとスイングする女。フレーズごとに交互に、歌い継いでゆく。そしてとけあうユニゾン。最後はつぶやきになって消えてゆく。
いっしょに聴いていたつれあいが言った。「なんでポルトガル語と英語と混ぜて歌うの?」たしかに混ぜなくたっていいんだけれど、この曲は世に出たときから、ポルトガル語と英語、ブラジルとアメリカ―世界―の二面を持っていたのかもしれない。
作曲は「ボサノバの父」とも言われるアントニオ・カルロス・ジョビン。オリジナルのポルトガル語版を歌ったのはこれまたボサノバの生みの親のひとり、ジョアン・ジルベルト。そして、世界にボサノバという音楽を知らしめた英語版を歌ったのは、当時ジョアンの妻だったアストラッド・ジルベルト。以下はNHKの番組からの受け売りだが(番組名を忘れました、すみません)、名アルバム「Getz/Gilbert」録音のとき見学に来ていたアストラッドが、自分も歌ってみたいと言ったのが、英語版誕生のきっかけだったという。そのとき、“あとで切ってもいいように”英語版に1トラックを当てたのだそうだ。しかし、アメリカ版シングルを出すときにプロデューサーは、ジョアンのオリジナルのほうを切った。そして、アストラッドの甘ったるく下手な英語のボーカルが、なんともいえない魅力となって大ヒットしてしまったのだ。ジョアン自身もアメリカで数多くのライブをこなし、大好評を得たのだが、じっと耳をすまさなければ聞こえないような静かなボーカルスタイルは、長続きするブームにはならなかった。しかし、ジョアンのボーカルこそが、ボサノバという音楽の本質を伝えているのかもしれない。
イパネマというのは実在のビーチの名前。そして、作詞のヴィニシウス・ヂ・モライスがビーチを歩く少女を見ていたというカフェも現存するらしい。歌詞に登場する少女は、オリジナルではポルトガル語、英語ともに“she”で語られる。ところが、シナトラか誰かが歌ったときに“you”にしてしまった。そのせいで、女性歌手が歌うとき「イパネマの少年」にすることもあるようだ。しかし、私は、あくまで“she”で歌うのがいいと思う。そのほうが風景としての美しさが際立つような気がする。
ボサノバ創成期は毎日のように共演したジョアンとジョビンは、ある時期から袂を分かち、共演することはなかった。番組の中で宮沢和史が言った。「ジョアンはその存在そのものがone and onlyだった。対してジョビンは自分の曲がone and onlyになることを望んだのではないか」数多くの名曲を残したジョビンは、ボサノバの父として逝った。ジョアンは今も元気に活躍している。ポルトガル語を学び始めた頃、「イパネマの娘」のポルトガル語版がほしくて、レコード店で一生懸命探したが、見つけられなかった。アストラッド・ジルベルトのコーナーばかり探していたからだ。「ゲッツ・ジルベルト」を探せば一発だったのに、、、当時の私は、“ジルベルト”といえばアストラッドのことだと思い込んでいたのだった^^; なお“ゲッツ”はサックスのStan Getzのこと。
ジョビンの来日コンサートに、当時の彼氏(今のつれあい)と出かけた。バンドメンバーに奥さんや娘、息子が入っていた(今でも、ボサノバ界には2世アーチストが多い)。日比谷の野外音楽堂、心地よい夏の夜の思い出。 冒頭のデュエットは、宮沢和史とBird。NHK「音楽・夢くらぶ」5月19日放送。録画できなかったのが心残り。この曲のときだけ宮沢が眼鏡をかけたのは、最近のジョアンの雰囲気に似せたかったのかな?