AKB48の旅

AKB48の旅

危機管理

2014年05月31日 | AKB
総監督という肩書きを背負っての、これが事件後初のコメントとなる、「AKB48選抜総選挙ミュージアム」のオープニングセレモニーでの高橋さんの言葉が、「AKB48グループとして少しずつですが、前を向いて歩いていきたいと思っていますので、よろしくお願いします」だった。マスコミ的には、これはAKBGとしての公式コメントと受け取ることになるんだろう。

http://www.cinematoday.jp/page/N0063355

これに先立ち、島崎さんが印象的な写真とともにツイッターで「大切な大切な仲間なんだ...」と呟き、横山さんも「できること、やりたいことをその時にやらないとだめだなと思いました。 大切な大好きな仲間たちと一緒に前に進みます!」と呟いていた。引き続き渡辺麻さんもぐぐたすで「私たちAKB48、これからも強く歩んで参りたいと思います」と書き込んだ。

https://twitter.com/paruruofficial/status/471273144213598208
https://twitter.com/Yui_yoko1208/status/471571802146095105
https://plus.google.com/u/0/111886243683596094429/posts/CpjkcssbvMb

まだあるかも知れないけど、考え方や用語の共通性から、これらの発言には通底する背景があることが窺える。類例として容易に思い出せるのが、かつての秋元氏のぐぐたすでの発言、「さあ、今日も頑張ろう。夢を掴むためには、頑張るしかないんだよ。どんなにつらくても…。みんな、仲間だ。」だった。

https://plus.google.com/113474433041552257864/posts/WGkiJPFneyJ

今回の危機管理については、表に現れた部分だけを見ても、ぐぐたす、ブログ、ツイッターの全面的な停止から、指原さんのツイッターを先陣に、大島さんによるぐぐたす再会から、川栄さん、入山さんによるぐぐたす解禁の流れは、戦略的にコントロールされていたのは明らかであり、情報はないけど、おそらくは事件後に、少なくとも主要メンバーとスタッフ、とりわけ秋元氏による話し合いがもたれ、意思統一、見解の統一、事後戦略の確認がなされたと見て良いんだろう。

いちおう念のために追記しておくけど、これは当然のことなんであり、非難とかする意図は一切ない。組織にとっての危機管理がいかに重要か、敢えて私が声高に叫ぶことでもない。当たり前のことが当たり前に行われたであろうことに安堵するとともに、たとえあざといと言われようとも、この辺り、もう少し公開情報としても良いんではないかと思う。

DIAMOND online 「引きこもりするオトナたち」第200回

2014年05月30日 | AKB
http://diamond.jp/articles/-/53761?page=4

DIAMOND onlineの記事「引きこもりするオトナたち」第200回の「AKB襲撃事件でまるで“犯罪者予備軍”扱い!?「大人のひきこもり」への偏見に警鐘を鳴らす」が、いろんな意味で興味深かった。 筆者の池上正樹氏については、著書とか読んだことないんで正直よく分からないけど、ざっとググった限りでは、特段の偏向とかはない模様。

以下一部引用

「AKBの被害者の子たちが“ごめんなさい”と謝る姿を見ていると、余計に容疑者が悪魔のように見える。でも、引きこもりの人は、怒りの矛先が他人に向くわけないんですよね。人目が怖くて、目立つことを嫌うのに…。むしろ、CD買うと、握手会の券が入っていて、複数買うとそれだけ握手の時間が長くなるというやり方は、軽い風俗みたいじゃないですか。そういう商売に利用されているAKBの子たちは、かわいそうですね」

 今回の襲撃事件の容疑者は、今後の捜査や取材等で新たな事実が出てくる可能性はあるものの、背景などから推測する限り、やはり「引きこもり」とは直接、関係なさそうである。

以上引用

けれども、筆者当人の記述としてではないにしても、「ひきこもり当事者」名でこういうことを書いてしまってる。「AKBにはまったく興味がなかった」と冒頭でエクスキューズしてることもあり、事件後であっても、各メンバーの発言とか動向を一切追ってないのはやむを得ないとしても、ならばこそこういうことは書くべきではないんじゃないか。

「ひきこもり」についての誤解を解こうと尽力されてるのであれば、なおのこと偏見に囚われることの危険性にセンシティブであらねばならない、少なくとも私などは強くそう思う。

再び「強運」について

2014年05月29日 | AKB
指原さんのツイッターによる外向けの「切り込み」に続いて、大島さんのぐぐたす様子伺いの露払いから、川栄さん、入山さん当人によるぐぐたす解禁という流れ。たぶん間違いないと思うけど、秋元氏自らの采配による危機管理なんだろう。指原さんのツイートは、一つのテキストを5分割したのは明らかで、秋元氏とのメールでの遣り取りによるチェック後に、ツイートしたものと推測される。これ以上は考えられない見事な内容にして手順だったと思う。

その後、堰を切ったように再開されたぐぐたすの書き込みが、そのほとんどが生気に満ちた、リアルな情感に溢れた素晴らしいものだった。一時、灰色にくすんでしまっていたかに見えた世界が、一気に鮮やかな色彩に溢れた美しいものへと蘇った、そんな比喩表現をしたくなるくらい。総選挙の速報発表直後の書き込みも高く評価させていただいたばかりだったんだけど、それを遥かに凌駕する、正にリアルヴァーチャル連続体にして、「会いに行けるアイドル」そのものと感じられた。

不謹慎と取られるのを恐れるのだけど、今回の事件でもまず思うのが「強運」ということだった。現時点で報じられてる犯人の動機からすれば、怪我をされた3人には申し訳ないけど、よくぞこれくらいで済んだとも言えそう。同様の事件が、例えばアメリカで起こったなら、銃の乱射による死者多数になった可能性が高いだろうし、日本であっても、「秋葉原通り魔事件」のように、殺傷力の高い武器を使われていたなら、こんな程度では済まなかったはず。

もしそうなっていたなら、そしてその可能性は恐ろしいことに十分にあったことになるけど、無防備であることを暗黙の前提としていた現状の日本型アイドル文化は、完膚なきまでに破壊されていた可能性が高い。短期的には、善意は悪意に、信頼は裏切りに、愛は暴力に決して勝てない。そこを乗り越えていくためには、許しと忘却を積み重ねた上での長期的な関係性を地道に構築して行くしかない。けれども日本以外の近隣諸国が正にそうであったように、短期的に殺戮され悉く破壊されてしまうのであれば、そこには相互不信と利己しか残り得ない。

今回の事件では、そんな最悪の事態は免れたのみならず、退院時の報道やぐぐたすの様子を見る限りは、川栄さんも入山さんも、そして他のメンバーの多くも、再起不能の深手を負ったようには、少なくとも私には見えなかった。もちろん今後のことはなお不透明だけど、それでも想定し得る最小限という表現を使うことをお許し願いたいんだけど、最小限の範囲の被害で済んだとも言えそう。

こういうのを「強運」とするのは間違いだというのは分かってる。それでも敢えて言うんだけど、AKBは、何より秋元氏は「強運」の持ち主なんだろう。そして、怪我の功名という表現を持ち出すことにも躊躇を覚えるけど、致命的となり得たかもしれない事態を、事件を、無傷ではないにしても乗り越えて行けるのだとしたら、それは逆説的な意味での望外のことと言っても良いのではないだろうか。

マブリットキバぐぐたす引用5月26日23:32

2014年05月28日 | AKB
以下マブリットキバぐぐたす引用5月26日23:32

夜になってようやく報道関係からの連絡がやんだ
正直、連絡してきた報道の姿勢とやり方には落胆した

しかし、その最後に震災報道では見なかった新しい面を見た
なので少々思うところがある記事になるが
その新しい一面を忘れない為に書き残したい

事件のあった日から、今日の夕方まで報道各社の
取材の申し入れや連絡は凄かった。お構いなしに着信が鳴る

現場の状況を語ってくれだの、事件を目撃した人を紹介してくれだの、
訪問したメンバーさんが襲われたことについてコメントをだの
こども達に事件のコメントをとってくれだの、甚だ呆れるばかりだ

中でも、3年間誰かのためにプロジェクトや訪問でお世話になった
岩手の報道機関の一斉の手のひら返しの報道姿勢には落胆した。

普段は「いつも訪問してくれてありがとう」などとインタビューをしながら
いざ事件が起きると詳細もわからない人間の言葉をそのまま流し
確証も無い情報ばかりを我先に入手しようと走り回る
「血を流した場面はみましたか?」「誰かショックを受けた人を紹介してほしい」

そのためにこども達や町の方々まで連絡し根掘り葉掘りしようとする

以前、同じ県内の報道関係者の方に面と向かってこういわれたときがある。

「ジオラマは素晴らしいが報道の価値は無いし、しようとは思わない
なぜなら、山田町は悪質なNPO問題のイメージがあるので話しにならない
そういうイメージがあるので取材も報道もするわけにはいかないんです」

それが事件が起きると一斉に手のひら返しで取材の攻勢だ
震災のときと同じ、真実などお構いなし。台本ありきの取材方針
自分たちの記事を裏付けるコメントやインタビューがあるまでやめない
最初から「こういうことだろう」というメディアの報道姿勢は決まっている

ここまでは良くあるメディアの姿勢だ

これだけならオレも書き残しておきたいとは思わなかった

ここからは震災では見れなかった新しい面だ

オレは町の方にも当然、報道関係から連絡が行っているだろうと思った
町の方やこども達にも躊躇無く取材を入れているだろうと不安だった
それがこども達や町の人の不安を拡大させるのではと心配だった

だが町の方々から「取材は全て丁寧にお断りしました」との連絡があった

町の方々は全員で今回の取材の趣旨はメンバーさんの為にならないと
判断して全ての取材を断っていたのですよと聞かされ、驚いた

それ以外にも町や被災地訪問があった場所の方々から
事件が県内で起きたことへの謝罪と励ましの連絡を頂いた

メンバーさんやスタッフの方、ショックを受けたファンの方々に
「大変でしょう、とてもやりきれない。心中をお察しするばかりです」
「安全は構築するとして、楽しいことは同一視せず自粛しないでほしい」
と労わる言葉もたくさんいただいた。仮設にすんでいる方々からだ

被災地の方々や町の方々、親御さんもこども達も
混乱に乗じないこと、マイナスイメージに繋がることは
お世話になったメンバーさんやファンの方に対する姿勢ではないと
心を合わせ、一切の報道取材を断ったとする報告には頭が下がった

なぜこんなに連携が取れたのか、そう決断できたのだろうと思った
震災の時の報道ではこんなことは無かった、不思議だった

以前、運営のスタッフさんやメンバーの皆さんから聞いた言葉がある

「一日の訪問で本当に力になっているのかと言われれば難しい
被災地に来て勇気付けるつもりがいつも勇気付けられる
どうしたら本当の力になれるのか、悩みながらでも続けます」

オレはそれにハッキリと答えることができなかった

しかし今、それにようやく自信を持って答えることができる
本当に現地の人々に勇気を与え力になっていたんだと

信頼を得て、メンバーの皆さんやスタッフの皆さん
ファンの皆さんは被災地の方々に愛されていたのだとわかった

「今度はわたし達がメンバーを守る番ですね!」と町の方々は言った

泣いた。

メンバーの皆さんはいつも言う

「わたしなんかで力になっているんでしょうか」と

力になっている。希望になっているんだと伝えたい

続けてきた誰かのためにプロジェクトというものは
汗と涙は無駄ではなかった、答えにたどり着いていたんだ

ファンの方々は遠くからジオラマを見にやってくる
遠くは2000キロから県内の方々まで

みんなが少しでも被災地の役に立とう、いっぱい食べよう
いっぱい笑おうと遠い沿岸の被災地までやってきてくれるのだ

その努力と誠意、優しさは一つになって町の人々や
訪問した場所の人々の気持ちを動かした

震災のときには無かった新しい何かが生まれていたのだ
オレは前に立っていたので、それに気づかなかっただけだった

こども達から連絡があった。親を震災で亡くした子からだ

「キバさん、ジオラマをつくろう!わたしたちはとまっちゃダメ!」

そうだ、未来があるんだ。きっと先には希望が待っているんだ

以上引用

引用に含めませんでしたが、元記事には入山さんの共有も着いてます。

たかみな総監督のお説教部屋‐指原莉乃‐

2014年05月27日 | AKB
「総監督」「劇場支配人」という肩書きが、単なる肩書きではない、ネタのようでいてそうではない、実体を伴ったものどころか、この二人が正にAKBGの屋台骨を支えてることが如実に分かる、そんな対談だったように思う。23歳と21歳のカワイイ女の子が、こんなハイレベルの内容を語り合う。このとんでもなさは、どんなに強調しても誇張にはなりそうにないし、手放しで賞賛するしかない。

かつてアイドル界に、こんなもの凄い人材が現れたことがあったろうか。「英雄は英雄を知る」と言うと、ニュアンスがやや違うかも知れないけど、二人が互いの力量を認め合った上で、深い信頼関係を築いてることが誰の目にも分かる。さらにその上で、指原さんが高橋さんに対して、心からの敬意を払ってるのが伝わってくる。なんか不思議なものを見るような気がしないでもないけど、けれども当然の姿としてそれを弁えているという流石さ。

話がちょっと飛躍するけど、AKBムーブメントのどうしようもないほどの面白さ、その一面がこのAKBという群像劇が、三国志演義や水滸伝と極めて類似してる、そういった指摘は、ネタ的なものとしては既にしてあるようだけど、真面目に真っ正直に、両者の類似性を主張してみたい誘惑に駆られる。高橋さんが宋江に似てるとか、指原さんが曹操に似てるとかそういうことではなくて、群雄が命がけで切磋琢磨しながら、新しい世界を手探りで作り上げていく、そういうワクワクするような群像劇的な世界観の面白さそのもの。

もちろん本当に「命がけ」になるような事態は、何があろうと避けねばならないのは当然のこと。と言いつつ、山本さんが馬謖・・・なんて冗談にならん冗談を、一瞬たりとも思いたってしまった私がいることは内緒。