AKB48の旅

AKB48の旅

Baby Blossomが意味するもの

2012年01月31日 | AKB
それは選抜の固定化を意味するのではないかと書いた。一見驚きはない。だってそんなのもうとっくにそうなってたから。けれども、この一歩は実は決定的な一歩、引き返せない一歩になっているのではないか、そんなことを考えてみる。

まずは、なぜバンドだったのか。秋元康の思考をなんちゃってトレースしてみよう。

2011年のAKBは明らかに突出した、突き抜けた、私的表現では岩盤を打ち砕いてブルーオーシャンへと出た。成功した、頂点を極めた、この瞬間こそ、実はそれまでのやり方を変えなければならない。才能と経験の両方に恵まれた秋元康のこと、このタイミングを見逃すはずがない。手持ちの札で何ができるか、いつものように一歩先のリスクを取りに行った。ヒントはけいおん。

そこで優子にベース、さっしーにブラスの経験があることに気づき、ビッグバンドの構想が産声を上げる。これにはモーニング娘。の隠れた傑作「Mr. Moonlight ~愛のビッグバンド~」の影響もあったと思う。あれは世に出るのが早すぎた、つんくのとんがった才能が現実を踏み外した、開け忘れられたワインのような存在だった。

最前列の3人は当然、あっさん、たかみな、優子であり、優子のべースが決まりなので、ギターも必然的に決まり。まったくの素人だけど、常に結果を出してきた二人なので、何の心配もない。問題はバンドの要のドラムスを誰にやらせるか。残りの超選抜を眺めてみて、消去法よりはやや積極的にゆきりん指名、そんなところだと思う。でも、キングレコードの湯浅ディレクターの証言のように、ここでも秋元康は強運ぶりを発揮した。ゆきりんが大当たりだった!

で、その消去された超選抜の麻里子様、まゆゆ、こじはる、ともちんが、それぞれの負担と期待度に応じて、キーボードとパーカッションに配置。Jは麻里子様の隣指定枠でこちらに。ブラスはさっしー意外は、Rが経験者らしい(ソースどこ?)ことと、最も難関と思われるので、努力家で時間もとれるゆいはんとみぃちゃんを選択。残りがコーラス隊。さや姉がギター経験者だけど、残念ながらそこはスターポジなので却下されてしまったんだろうね。

とま、ここまではそんなにむちゃぶりではないと思う。問題はここから。

バンドはアンダーが効かないと書いた。より正確には、フロントの3人とドラムスは極めて困難だろうし、後列だけどブラスも難しいんじゃないかと思う。一方でキーボードは、少なくとも咲子師匠なら楽勝でこなせるだろうし、他にも可能なメンバーがいる可能性が高い。パーカッションもアンダーは容易だろう。コーラス隊に至っては換えはいくらでもあるということで、かなりのグラデーションが描かれることになる。

アンダーの困難なポジションのメンバーを眺めると、これが正に現在のAKBのコアであることに気づかされる。これに対しアンダーの可能なメンバーは、少なくとも私の目からは、確かに可換に見える。つまりは、バンド化によって選抜の中にはっきりとした構造が浮かび上がってきていることになる。

可換ポジのうち、Jとまゆゆに関しては深夜縛りがあるということで理解は容易だろう。このあたりは、例えば実際にカミスン出演時のアンダーが誰になるかで、その意図が明らかになると思われる。こじはる、麻里子様、ともちんについては、時間と能力の問題かもしれないけれど、あるいは不慮の事態にも対応できるようにと、気の早い先手ということもあるかもしれない。

非可換ポジの出現は、あるいはAKBシステムにとっての不可逆地点になるのではないか。なにしろ、これまではセンターですら可換だった。例えばカミスンでの、ともちんセンターのフラゲは、まったく違った曲にすら見えて新鮮だった。

とま、ここまで書いてて、今気がついた、やすすのぐぐたす発言。

以下引用****************
業務連絡。

各劇場支配人へ

「GIVE ME FIVE!」は、SKEもNMBもHKTもJKT

も生演奏できるようにするからね。

準備しておいてください。

もちろん、すぐには無理でも
以上引用****************

一気に舵を切った感じに。あはは、私の思惑は良い方に外れたみたい。こりゃ、バンドでもアンダー制を取り入れる気満々かな。凄いことになりそうだ。

GIVE ME FIVE !

2012年01月30日 | AKB
どっから漏れるのやらだけど、消える前に捕獲して、おかげでもうどっぷりヘビロテ。私のような新規には、ようつべの膨大な動画はありがたかったし、事実こうしてまた一人、上得意が増えてるんだから、削除要請よりは放流が正解じゃないかなあ。良いものには対価を払う、常識だと思うんだけど、そうじゃない人もいるのかな。

曲としてはシンプルな方で、アマチュアバンドを意識したものだろうけど、それでも見事にスルメ曲になってる。曲としては「ぐるぐるカーテン」の方ができが良いのかもしれないけど、聞き比べてみて、私的にヘビロテはGIVE ME FIVE !の勝利となってる。

Baby Blossomがとにかく良い。ネット上では悪評だらけのようだし、世の中というもの常に悪口の方が声が大きいとはいえ、そりゃ叩かれるのも分かるよ。人にお聞かせできるレベルじゃない、そういう「常識的」は意見は、それなりにもっともだ思う。でも、それが良い。アマチュア感が曲とよくマッチしてると思う。

AKBグループは「岩盤」を打ち抜いた、そんな比喩を前に書いたけど、ひとたびブルーオーシャンへと突き抜ければ、もはやそれまでの武器は鎧は、不要どころかかえって足手まといになる。それまでの戦闘モードをさっさと捨て去り、新たな船出へと衣替えしなければならない。

秋元康が「未来」を公式に語る時には、その語られる中身は既に実行されている、そう思う。「1ミリ先の未来」のところでもぼやかして書いたけど、第2回(そして第3回も)総選挙で「高橋みなみのポジション」の心配をしている、その背後で「1ミリ先の未来」と「to be continued」は制作されていた。そういうことだと思ってる。

秋元康が語った「2012年の大変化」というのも主なアイディアは既に走っていて、その第一弾が Baby Blossomなんじゃないか。少なくとも私は、このバンドという路線は「本気」じゃないかと思う。と同時に、このバンド結成の持つ、AKBにとっての決定的な意味を考えてしまう。

バンドは息が合うことが何より重要となると思う。ということは、楽器演奏というハードル以上に、AKBシステムの根幹の一つである「アンダー」が成立しなくなるんじゃないか。もっとはっきり言おう、これは選抜のメンバーの固定化を意味しないか。

そんなのとっくに固定だろ、そう思われるだろうけど、つまりそういうこと。秋元康の戦略というのは、一見思いつきに見えたりするけど、そうじゃない。常に現状を受け入れて、その一歩先のリスクを取りに行く。AKBの辿った歴史がまさにそうであったように。

では次の一歩とは何か。それはもうとっくに提示されてるんじゃないか。

DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on その3

2012年01月29日 | AKB
引っ張るね、ということで。ちなみに優子のところでも触れたけど、それが公的な影響をもたらしたとしても、プライベートには関わらない旨、あらためて表明ね。

さてと、本作はパンフレットの内容も充実していて、ここでも本気感、良い仕事感が漂ってる。秋元康がそんな冒頭を飾ってるけど、これがなかなか興味深い内容。全文引用したいくらいだけど、自省して一部だけ。

以下引用****************
AKB48は、アンチが多い。それは、僕の不徳の致す所だったり、スタッフの未熟さだったり、説明不足から生じる誤解が原因のことが多いのだが、メンバーはいつも、その矢面に立って来た。
以上引用****************

あまりに的確な自己分析乙。だったら何か手を打てよとかついつい思ってしまうけど、敏腕秋元康にして、有効な手立てがないのが現状なんだろうね。

あとは超選抜メンの紹介文も妥当なものだし、監督の高橋栄樹、被災地訪問の世話役にしてNHKチーフプロデューサー石原真、EXILEのリーダーHIRO、小林よしのり、それぞれがテキストを寄せている。内容もそれぞれ読ませる。

特によしりんの以下の引用部は全くの同感。

以下引用****************
秋元康は、AKBは高校野球で、K-POPは大リーグだと仰るが、わしはK-POPのグループの顔は見分けがつかないし、名前も覚えられない。AKBは個性美があり、詞が前面に浮き出て、曲もダンスも楽しい。

まったく驚きなのだが、AKB・SKE・MNBが現れて、生活が楽しくなった。少年の心を取り戻してしまった。

少女達よ、君たちは確実に伝説となるぞ!
以上引用****************

あと言い忘れてたけど、エンディング曲”ファースト・ラビット”。AKB48+でも使われてたけど、良曲。歌詞はやっぱり”ファーストペンギン”だった。

DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on その2

2012年01月28日 | AKB
個別の内容だけど、被災地訪問、総選挙、西武ドーム、じゃんけん選抜と、2011年のAKBをほぼなぞってる。公開時期の関係か、レコ大と紅白はちょっとだけ。被災地訪問は8回とも使われてたと思う。

冒頭の大槌町訪問シーンはちょっと違和感を感じたりしたけど、これは私のスタンスの問題だろうね。AKBを迎えた子供達のはち切れんばかりの笑顔と歓声には、自然と涙してしまった。そっからは素直になれたと思う。この訪問は、来るなと言われるその日まで続けて欲しいな。

総選挙は、ほとんどが既に公開されたシーンだったので、ふーんてな感じで見てたけど、麻里子様の胸で嗚咽する優子のシーンは、こちらも既に公開されていたとは言え、響きましたね。「誰も話しかけないで」と語る孤独は、私が勝手に危惧する優子の姿そのものだったけど、でも、これも冒頭だったと思うけど、アイドルの力について語る姿には、ちょっとだけ期待感を持ったよ。私の優子評を少し修正する必要があるかなとも。

あと、つまらないことだけど、BGMがアルバムのチーム曲だったことに、今回初めて気づいたのがけっこう壺だった。”Overtake”、”僕にできること”そして多分”恋愛サーカス”(ちょっと聞き漏らしたかも)。リアルタイムで見てた時はまったく意識にすら登らなかった。みごとに遮断されていたわけで、人の心って面白いというか恐ろしいな。

西武ドームは、本作の白眉。これは凄まじい。酷い。ここでさらけ出された情報が真実なら、私すら「まさかね」と思ってた、西武ドームは本当にぶっつけ本番のやっつけ構成だったってこと?だとしたら、あまりにもお粗末至極。スタッフに猛省を促したくなる。しかもその付けをかぶってるのはあっさん、たかみなを代表とする超選抜達。嗚呼。

3日間のライブの「表」をDVDで鑑賞してまだ日が浅かったせいで、裏と表をある程度連動させて見ることができたと思うけど、あのgdgdは本当にgdgdだったことに、正直呆れたというか。編集にだまされた部分が少なからずあるらしいことにも気づかされたし。特に2日目の「表」に感じたギリギリ感、あれが本当にそうだったことを「裏」から確認できた。ギリギリどころじゃないよね。ほとんど事故レベル。そんな中で、あの一体感を表現できたことは、いくら賞賛してもし切れない。

超選抜から研究生まで、何から何までその差はあまりに大きくて、ついつい「超格差社会」という表現を使いたくなるAKBだけど、それなのに全員に強い信頼感、連帯感があることが、改めて確認できたと思う。「分を弁える」という言葉は過去の遺物のように聞こえるけど、それぞれの役割を、それぞれの現場で100%果たす時、相転移が引き起こされてあり得ないことが起こる。そんな日本ならではの事例を見せられたのかも。

じゃんけん選抜は、何より正面からとらえられた麻里子様の真剣な顔、これに尽きると思う。こういう表情は並の人間には作れない。れいにゃんやみぃちゃんがびびったのもよく分かる。これが選ばれた人間ということなんだろうね。

あと、どこだったかまゆゆの発した言葉に、はっとしたな。あまりに大きくなったAKBムーブメントに接して「私の知ってるAKBじゃない」みたいなこと言ってた。中の人が一番戸惑ってるんだろうなと、妙に納得。

陸前高田の一本松や岩田 華怜のフィーチャーは、ちょっと余計感があったかな。一般受けを意識した下心的なものをどうしても感じてしまう。この部分を削って、淡々とレコ大とか入れてたら、傑作!と評価してしまってたかも。典型的な、たらればだけどね。

DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on その1

2012年01月27日 | AKB
23日深夜にNHKで放送されたDOCUMENTARY OF AKB48「AKB48+1」は、拍子抜けというか、見事に新規ファン向けの構成だった。去年の「1ミリ先の未来」のような「倒錯」はなかった。でもだから逆に、今回はちゃんとメリハリが効いてるんじゃないか、映画版の”Show must go on”は期待できるんじゃないか。そう思えてきた。

というわけで、急遽予定変更。当初は足を運ぶつもりのなかった映画館へ。それも、まさかの公開初日に見てきた。トレーラー含め、ちょろちょろ漏らされていた事前情報から、映画館で号泣してしまうんではないか、全俺が泣いた、になっちゃうんじゃないか、そんな恐怖感があったけど、意を決して見た。

まず結論から先に言うと、今回の”Show must go on”は、及第点を超えて、十分に秀作だと思う。傑作とまでは評価はできないけど、良いできだと感じた。

何よりも良かったのは、ドキュメンタリーとしてのスタンスが守れてること。対象であるAKBとの距離の取り方が適切だと感じた。去年の2作とは、ここが決定的に違う。おかげで変に気負うことなく、涙腺崩壊ということもなく、十分に作品として楽しめた。

見始めこそ少し身構えてたせいもあって、冒頭の被災地訪問あたりではちょっと違和感を感じてたけど、安心して観て良いんだと分かってからは、余裕かまして見る様になった。なるべく複眼的に、複数の立場の視線で見る様に心がけてみた。ライトなファン目線、ニワカ目線、のめり込み目線、ディープファン目線、そんな辺り。

どの層にとって最も楽しめるかと言えば、ニワカからのめり込んだ辺り、一通りの情報はインプットされていて、正規メンの個人識別がほぼできるという人がジャストミートじゃないかな。つまりは私がビンゴだね。ただ、これはライトな層への配慮なのだろうけど、時々入るナレーションや字幕が、中途半端というか、むしろちょっと邪魔な感じで、傑作と言い切れない理由の一つがこれ。

とは言え、ライトなファンだと、ちょっと追い切れないかもしれないとも感じた。個人識別ができないと退屈なシーンとか結構あるし、この層がターゲットなら、明らかに説明不足、情報不足ということになると思う。逆にディープなファンだと、やっぱり超選抜+αかよ、とか不満が出そうだな。干されはほぼ写らないし。映画って難しい。

NHKで放送した「AKB48+1」は、露払いというか前座というか、そういうコンセプトなんだろうけど、本編とはちょっと距離が開いてる感じ。でもこの距離がなかなか埋まらないのが、AKBの特徴でもある。私の「AKB48の旅」は、まさにこの距離を埋めるものだったしね。