AKB48の旅

AKB48の旅

越える力

2019年03月31日 | AKB
指原莉乃を特別な存在にした2つの力 AKB48から“国民的アイドル”になった理由

指原には、異なる人たちを結びつける「媒介」としての能力がある。その一つの表れが、アイドルのプロデュースにも活かされている。代々木アニメーション学院とのコラボである“声優”アイドルグループ・=LOVE(イコールラブ)はその典型だろう。また最近、亡くなった内田裕也との「シェキナベイベー」は、内田自身のベストパフォーマンスといっていいくらいの歌曲だった。それを導きだしたのは指原の「媒介」としての個性だった。このような媒介としての活動が、これからの指原の展開する方向になるだろう。

うーん、何というか、田中秀臣氏にして、この認識なんだなあというか。もちろん考え方は人それぞれであってしかるべきなんで、私がどうこう言う筋合いではないのかも知れないけど、「媒介」という表現はいかにも内部的、インサイダー的な視点になってると思う。

既述の通り、私の考えるところ、指原さんの類い希な特異才能とは、そういった内向きのものではなくて、「越える力」、枠組みの外へと「はみ出す」能力と思われる。

「川を渡れ!」

「外」

「人は中身」問題に対するひとつの答え

2019年03月30日 | AKB
AKB総選挙中止 1位の恩恵ではばたく女、つまづく女

やったもん勝ちの総選挙でも、1位を獲ったと浮かれて飛び出そうとする女は失速する。一方、指原は言うに及ばず、前田敦子も卒業直後の泥酔号泣合コンをすっぱ抜かれた。しかし2人の原動力は、総選挙1位という看板ではなく、自分の失敗をバネに、というタフさだったのではないだろうか。1位を獲ることで、安心してしまう女と、1位を穫っても不安を拭えず頑張り続ける女。それが1位ではばたく女とつまづく女の差。そういう意味でも、AKB総選挙はただの美人コンテストではなく、忍耐力の勝負でもあるのかもしれない。

 今年の総選挙中止に気落ちしたメンバーやファンも多いだろうが、勝負は総選挙ではなく、総選挙の後が本番なのではないだろうか。かつての覇者たちを見て思う次第である。


物事の見え方捉え方は自由であり、様々であって良いというのは言うまでもないこと。こういう考え方もまた成り立つと思われる。

と同時に既述の通り、とりわけ前田さん、指原さんの背後には、膨大なコンテクストが聳え立ってるという事実にも、でき得るなら目配せしたいもの。そんな氷山の一角が、一例総選挙結果だったりすると考えられる。

『私の11年間が、ジワるで完結されたんだ』

2019年03月29日 | AKB
指原莉乃「ジワるで完結されたんだ」ラストシングルの歌詞で秋元康に感謝

ラストシングルとなる「ジワるDAYS」については、「正直なこと言うと、『タイトル…』って思いました。『私の11年間が、ジワるで完結されたんだ』って思って(笑)。でも歌詞を見たら、ありがたいなって思いました」と秋元康への感謝の気持ちを語った。

他の記事でも同様の引用となってるんで、大本の指原さんのコメントも、この通りと受け取って良さそう。となると、指原さんにしては物語性が希薄で、ストレートな気持ちに読めるということで、その心持ち的なものが透けて見えるということになりそう。

ジワルDAYSのフォーメーション

【MV full】ジワるDAYS / AKB48[公式]

打算と忖度と手のひら返し

2019年03月28日 | AKB
山口真帆さん暴行事件の騒動に映るAKBの凋落

AKB48グループには落日ムードが漂っている。

 人気が低落すればメディアにとっても「うまみ」はなくなる。

 これまで幅を利かせてきた「運営や担当者」への反発が表面化してくる。

 NGT48をめぐる事件は、そのような流れの中で起きた。

 そして潮目が明らかに変わった。

 メディアに醸成されていた「反AKB的勢力」にとって、一気に叩くチャンスが巡ってきたのである。

 AKSは、どうやら潮目が変わったことにまるで気がついていなかったように見える。この10年、彼らにとってメディアは「ヨイショと忖度をしてくれる仲間」だった。

 問題が起きても扱いは小さかったり、同情的な記事を書いてくれたりしていた。

 今回の会見も、AKSは「仲間たち」が集まってナアナアで終わらせてくれるというイメージを勝手に抱いていたのではないか。そうでなければあのような醜態は晒さないはずである。

 だが今回、メディアは圧倒的に被害者である山口真帆さんを「是」とした。もちろん読者も視聴者も、である。

 AKB48グループとメディアの「蜜月」は終焉を迎えた。

 この事件は、このままでは到底収束できないだろう。またウヤムヤに終わらせることが許されるはずもない。自浄能力が疑問視されるAKSには、極めて厳しい状況が続くのは間違いない。


なかなかにゲスいことが縷々綴られてるけど、大まかにそういう流れが存在することは否定しようがないと思われる。一方で実際のところ、この一連の出来事のメインストリームは、単に運営サイドが目も当てられないほど無能だったことに尽きるようにも思われる。

徹子の部屋3月26日

2019年03月27日 | AKB
冒頭から「抜群のトーク力」「若きご意見番」との持ち上げぶりだったけど、そんな高評価にもまったく遜色のない堂々たる立ち居振る舞い。話の内容自体は「テンプレート指原莉乃」だったけど、トーク番組としての丁々発止ぶりが素晴らしかった。

しかも、黒柳さんから直々に「自分らしく生きて、あとは好きにすれば」との金言をいただけるという光栄にも預かった上に、故樹木希林さんとも縁故をつないでいただいた形になったわけで、まあ、これで芸能界の重鎮は総なめということにならないか。

さらには、「歌がうまくなりたい」という、言わば伏線回収にして、きっちり時間ぴったりで落とすという離れ技をやってのけるというとんでもなさ。これまでも指原さんは、結構これに類することを、さも普通のことのようにやってきたけど、「徹子の部屋」でも見事にやってのけた。いや凄い。

構造的視点から見て、指原さんの存在様式に一番近いのが黒柳さんであるとする私見は既述の通りだけど、そういう視点からも感慨深いものがあるなあ。

まず間違いなくこういうことを語るのは私だけだろうけど、黒柳さんの語り口がいみじくも表していたとおり「祖死父死子死孫死」、時は残酷に流れ、世代は交代していくことになる。

名無しの指ヲタさんへのお返事