AKB48の旅

AKB48の旅

権力の不在

2019年04月25日 | AKB
山口真帆のNGT48卒業発表に箕輪厚介氏「AKBグループの革新的だった部分、面白かった部分が…」

「それまでのアイドルと違ってAKBグループが革新的だったのは、可愛らしい女の子たちが上手に歌を歌い、ファンがそれを見るというんじゃなくて、どちらかと言えばファンが主役というか、運営側の一部のように応援し、推しメンを作り、距離感を作るという発明があったことだと思う。運営の“素人感“とか、時間も人もない中でやっていることがかえって突発的な面白さを生んでいる部分もあったと思う。だからこそ、すごく勢いがあった頃には事件やスキャンダルもある種の“ネタ“やパワーにできたし、AKBの面白い部分だった。しかし、今回のように真実がよくわからないまま運営が拙い対応をし、ファンに対して閉じてしまうということは、ファンに対して開かれていることがウリだったAKBにとって大きなターニングポイントになってしまうくらいの不信感が出てしまう。震えて泣きながら女の子が喋って、それでも笑顔で卒業って、ちょっと怖い。とくに加害者について言われている内容に関しては、運営から何らかのレスポンスは必要だろう。ただ、指原さんがこういうコメントをできるということは、まだ全体的には健全な空気があるとも思う」。

けっこう重要な指摘。誇張表現だけど目から鱗かも。

過去ログで散々論じてきたように、AKBムーブメントというのは、散逸構造による自己組織化共同体なんであり、必然的に内在する権力の不在という「問題」を隠し持つことになる。今回の事態というのは、正にこの「問題」が顕在化したと見ることができるんではないか。

もうちょっと噛み砕くと、企業統治というのもれっきとした権力なんであり、AKBGでは、恐らく当初からこれが欠落してる。散逸構造が維持されることこそがAKBGのAKBGたらんとするところなんであり、ここに制限を加える、あるいはわずかなりとも閉鎖構造化を目論むような動きは、もしかすると意図的に阻止されて来たのかも知れない。ちなみにここで「意図」することができるのは、正にこの構造を「設計」したであろう秋元氏以外にはあり得ない。

社長という肩書きの人がいても、劇場支配人という肩書きの人がいても、それは権力機構として機能しない。しないがために、決定された意思に基づく問題への取り組みは成されない。いや、それどころか、噂の域を出ないにせよ、今回の事態は、正にその散逸構造故の、避けがたい必然的なアスペクトすら持つことになる。

問題点は、実はAKBムーブメントの基本構造に根ざすものなんであり、これを解決することは、カタストロフィーを引き起こす可能性を大きく引き上げることになるのかも知れない。否、昨年の選抜総選挙が正にそうであったように、既にカタストロフィーは始まってしまったのかも知れない。

「権力」の性(さが)


コメントを投稿