いじめ傍観者は「小さな勇気」を AKB高橋みなみさん
http://www.asahi.com/articles/ASH8S6WFTH8SUTIL04Q.html
これも全文を引用したい内容。コメントするのも烏滸がましいけど、なぜ高橋さんの言葉がいつも素晴らしいものになるのかがよく分かる。
以下、ちょっときな臭くなるけど、遥か遠方から補助線を引いてみる。
日本のイデオロギーポジションマップ
http://togetter.com/li/863016
「日本のイデオロギーポジションマップ」という主張がある。これ自体、大変興味深いんだけど、そこはさておいて、この主張の特徴というか、一般に当たり前に行われてるとも思うんだけど、分かり易い対立軸を設定するという考え方になってる。このマップだと理想主義←→現実主義、国際主義←→国粋主義といった具合。
確かにこのようにマッピングされると、物事がクリアに見えるような気がするし、自身の立ち位置が確認できると言うことで、これに対するツイートは概ね高評価となってる。
けれども、そこには物事を単純化して理解したつもりになるという「危険性」が隠れてることにも留意する必要が、本来はあるんだけど、そこが抜け落ちがちになったりする。実際こうしてtogetterのまとめを見ると、正にそうなってるとしか思えない展開に陥ってるように思う。
このあたり、これ以上の深入りはしないけど、正にここ、このような物事の単純化という作業を、高橋さんはしていないということを指摘しておきたい。現場に寄り添うことで目線を合わせる。可能な限り同じ立場に身を置く。そうすることでようやくにして「ダーウィンの悪夢」のような陥穽を越えて行けるかも知れない。
対立軸の外を模索する、何もないはずの場所に未知を求める。言葉にすると簡単そうに見えるかも知れない。けれどもそれは「不可能」という範疇に入れられてるのであり、そんな「不可能」という存在しないものの中に紛れた「可能」を、たまたま見つけ出す作業となる。それは、干し草の中から針を探すことですらない。
そして、そんな「ない」ことをあらしめた結果、無から有を成し遂げた結果がAKB現象なんであり、その最大の立役者が高橋さんであることは言うまでもない。高橋さんはそんな「どこにもない」方法論のようなものを体得してるということなんだと思う。
http://www.asahi.com/articles/ASH8S6WFTH8SUTIL04Q.html
これも全文を引用したい内容。コメントするのも烏滸がましいけど、なぜ高橋さんの言葉がいつも素晴らしいものになるのかがよく分かる。
以下、ちょっときな臭くなるけど、遥か遠方から補助線を引いてみる。
日本のイデオロギーポジションマップ
http://togetter.com/li/863016
「日本のイデオロギーポジションマップ」という主張がある。これ自体、大変興味深いんだけど、そこはさておいて、この主張の特徴というか、一般に当たり前に行われてるとも思うんだけど、分かり易い対立軸を設定するという考え方になってる。このマップだと理想主義←→現実主義、国際主義←→国粋主義といった具合。
確かにこのようにマッピングされると、物事がクリアに見えるような気がするし、自身の立ち位置が確認できると言うことで、これに対するツイートは概ね高評価となってる。
けれども、そこには物事を単純化して理解したつもりになるという「危険性」が隠れてることにも留意する必要が、本来はあるんだけど、そこが抜け落ちがちになったりする。実際こうしてtogetterのまとめを見ると、正にそうなってるとしか思えない展開に陥ってるように思う。
このあたり、これ以上の深入りはしないけど、正にここ、このような物事の単純化という作業を、高橋さんはしていないということを指摘しておきたい。現場に寄り添うことで目線を合わせる。可能な限り同じ立場に身を置く。そうすることでようやくにして「ダーウィンの悪夢」のような陥穽を越えて行けるかも知れない。
対立軸の外を模索する、何もないはずの場所に未知を求める。言葉にすると簡単そうに見えるかも知れない。けれどもそれは「不可能」という範疇に入れられてるのであり、そんな「不可能」という存在しないものの中に紛れた「可能」を、たまたま見つけ出す作業となる。それは、干し草の中から針を探すことですらない。
そして、そんな「ない」ことをあらしめた結果、無から有を成し遂げた結果がAKB現象なんであり、その最大の立役者が高橋さんであることは言うまでもない。高橋さんはそんな「どこにもない」方法論のようなものを体得してるということなんだと思う。