AKB48の旅

AKB48の旅

「AKB48夢の紅白選抜をみんなで選ぼう!」結果発表

2016年12月31日 | AKB
「AKB48夢の紅白選抜をみんなで選ぼう!」結果
http://www.nhk.or.jp/kouhaku/topics/topic_161229.html

AKB「総選挙」バケの皮はがれる 紅白投票で分かった「本当の人気」
http://www.j-cast.com/2016/12/29287246.html?p=all

紅白出場が決まった48人のうち、16年の選抜総選挙で「入賞」とされる80位圏外だったたり、不出馬だったりしたメンバーも目立った。総選挙でランクインできなかったHKT48の松岡はなさん(16)、87位だったAKB48の大家志津香さん(25)、3年連続でAKB48劇場の公演に最多出演し「シアターの女神」の異名を持つものの不出馬を続けているAKB48の村山彩希(むらやま・ゆいり)さんら8人だ。大家さんは中継で番組に出演し、「心折れずにやってきてよかった」と喜びを爆発させた。

一方で、総選挙で15位にランクインし、横山由依さん(24)の後を継ぐ「次期総監督」との評もあるAKB48の高橋朱里さん(19)、21位だった込山榛香さん(18)は、12月15日の中間発表ではランクインしていたものの、今回の最終結果では涙を飲んだ。


投票総数が460856票ということで、これを少ないと見る向きもあるだろうけど、前回の選抜総選挙の投票総数が325万票とのことなんで、こちらをテキトーに概ね一人10票相当と見なせば、ケタ的にはなんとなく合うことになる。まあこんなものという見方もできそう。

選ばれた紅白選抜メンバーの顔ぶれを見ても、ほぼ順当という感じ。前回選抜総選挙との異同は、すべて「合理的」に説明が付きそうなものばかりで、強いて大袈裟に名前を挙げるとしても、上記引用のあたり。

というか、このJ-CASTニュースの記事、無記名のようだけど、題名の「煽り」のわりには妥当な内容で、なかなかAKB界隈に精通されてる方が書かれた模様。

虚構と幻想の狭間

2016年12月30日 | AKB
以下、コメント欄から引用

初めてコメントさせていただきます。毎日、非常に刺激的な記事をありがとうございます。
欅坂とAKBの関係性、興味深く読みました。もちろん、偶然を拡大解釈されているにしても、平手さんの圧倒的な存在感と、AKBから姿を消す島崎さんの対比は面白いと思いました。
そして、島崎さんの跡を襲うのが宮脇さんになりそうなのもまた興味深い。
その上で、この前日に指原さんがモーニング娘。さんとコラボするという記事も出ていて、これも重ねてみると、秋元グループの地殻変動が見えるような気がします。
今回の記事を読んで、欅坂は、ひらがなけやきという「外部」を取り込んで、アイドルの王権の位置を確実にするのではないか、と思ってしまいました。


Takaさん、コメントありがとうございます。

上から目線で申し訳ないですが、ぶっちゃけここで言う「錯覚」とか「拡大解釈」こそが、「神話」を越えて、私たちが知ってると思い込んでるところの「歴史」の正体でもあるわけです。明治の元勲も、戦国武将も、恐らくほとんど同様の仕組みで「歴史」という名の「物語」として生成されている。そこには本質的な差はない。

秋元氏の有名なプロデュース方針として「0を1にすることではなく、0.1を1にすること」というのがあります。つまり、無から有を作り出せばそれは100%の虚構ですが、わずかなりとも事実の種を最大限に膨らませれば、そしてそれが有意義なものであるならば、それが「錯覚」であろうと「拡大解釈」であろうと、そこに幻のように価値が生み出されるということです。

「平手さんの存在感」と言うとき、けれどもおそらく実際の平手さんはただの中学生の女の子に過ぎません。ただそこには余人に代えがたい生得の特異才能の兆しがある。少なくとも秋元氏には(当たり外れがあっても)それを見抜く力がある。その才能を極限にまで引き延ばす算段(プロデュース)をする。別の言い方をすると「盛る」。

当の平手さんからすれば、耐えがたいプレッシャーにしてストレスかも知れません。たぶん一人ではとても受け止めきれない。そりゃあそうです。0.1の器に1、つまり10倍の「期待」を(平手さんにとっては「不安」を)盛るわけです。それでも平手さん本人がそれを覚悟をもって引き受けようとする、特異才能が、そんな「過冷却」もしくは「過剰励起」を一瞬であっても可能とする。

一人では支えきれない過剰を背負う、けれども、それを一例21人で支えることができたなら、最初の0.1が1になることが可能となり、さらには1を越えて10にも20にも幻想が膨らんで行くことが不可能ではなくなるかも知れない。そのためには、21人の一人一人が、個を越えて平手さんに、そしてグループ全体に奉仕すること、つまりは共同体化が求められることになる。ここで肝要なのは個を「越えて」なのであって、決して「圧殺」してではないことです。

別の表現だと、平手さんという神輿を欅坂のメンバーが揺るぎない強固なスクラムを組んで高く担ぎ上げる。そんな欅坂を熱狂するファンが高く担ぎ上げる。平手さんが迷うことなく神輿となることを引き受け、そんな神輿を迷うことなくメンバーが、ファンが階層構造をもって全力で担ぎ上げる。するとそこには「神」が現前することになるでしょう。

かつて前田AKBで起こったことが、ふたたび欅坂で起ころうとしてるように見えます。もちろんまったく同じであるはずもなく、そもそも背景としての環境なり状況がまったく違いますし、前田さんと平手さんという、わずか0.1であっても決定的にして得がたい「火種」の部分での根本的な違いがあることでしょう。

以上の話は、まったくの虚構ではないだけであって、実際のところすべてが「錯覚」であり「拡大解釈」です。けれどもプロデューサーとして秋元氏が試み続けてるのはたぶんそういうことなんであり、私たちは確かに前田AKBという巨大な幻想の目撃者となってしまいました。

そして今また平手欅坂という「奇跡」の物語、「共同幻想」を紡ぎ出そうとしてるんだろうと思います。

初ワンマンから紅白へ。「KEYAKIZAKA」の衝動を受け止めよ!

2016年12月29日 | AKB
初ワンマンから紅白へ。「KEYAKIZAKA」の衝動を受け止めよ!
http://bltweb.jp/2016/12/27/%E5%88%9D%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E7%B4%85%E7%99%BD%E3%81%B8%E3%80%82%E3%80%8Ckeyakizaka%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%A1%9D%E5%8B%95%E3%82%92%E5%8F%97%E3%81%91%E6%AD%A2%E3%82%81/

本ブログでは、基本、構造主義的アプローチでAKBなるものを読み解いてきたつもりなんだけど、そこで使用してきた様々な術語、「外部性の侵入と動的平衡」「自己組織化共同体」等々、そして石門心学的な「一所懸命の思想」等々を通して、言わば日本なるものの基層的な構造を、このAKBムーブメントに重ねてきた。

驚くべきことに、と言うと不遜に当たるのかも知れないけど、平田真人氏のこの記事は、正に同様の趣旨の「構造」について語ってると解釈できる。しかもそれは欅坂。

同じ「秋元グループ」といえど、乃木坂にはこれは希薄だったわけで、となるとどこが分かれ目だったのか。やはり平手さんという存在があって、そこに「てちねる」を代表とする様々な化学反応の連鎖が起きたということなんだろう。とともにちゃんと調べてないけど、もう一つの決定的な要素として、初期AKBにおける夏まゆみ氏の役割と、欅坂におけるTAKAHIRO氏の存在が相似形になってるんだろうか。

平田真人氏の論考は、以前にも全面的に賛同させていただいてるけど、視点そして「思想」が類似するならば、それは当然ということにもなる。

勝負の3作目。刹那にきらめく季節を生きる欅坂46ならではの叙情性が染みる。
http://blog.goo.ne.jp/ichthyophagi/e/8f1c1d0cf17111196492ee5a8e2a8c13

死と再生の儀式、そして legitimacy

2016年12月28日 | AKB
まったくの偶然が特別な意味を持つかの如く錯覚される、もしくは重大な意味を後付けで付与される、そんなこんながしばしば「神話」のルーツだったりする。クリスマスの起源が冬至なんであり、古代ミトラ教における死と再生の儀式に端を発するとされるのは言うまでもないことだけど、今年のクリスマスは、正にそんな「特異日」に当たるものだったのかも知れない。

24、25日に、欅坂の初のワンマンライブが行われた。26日には、島崎さんの卒業公演が行われた。(そしてカッコ付きにしとくけどSMAPの終焉でもあった。)

まず間違いなくまったくの偶然だし、直接的な因果関係なり関係性は存在しないだろう。けれども、そこには「錯覚」を生じさせるだけの濃厚な意味空間が漂い広がっている。ずっと後になってから振り返って、後付けで決定的な事象となって再解釈される余地が与えられてしまってる。少なくともそう指摘することは可能だろうと思う。

欅坂が新興勢力にして、平手さんの宣言通りに「上り坂」であることは明かだろうし、島崎さんが言わばAKBにおける「王権」の正当な後継者だったことも、こちらは異論のある方もいるだろうけど、私的には自明だった。この時系列を、錯覚した上で拡大再解釈するなら、今年のクリスマスを転機として、前王の死と新王権の出現、そして「禅譲」が行われたかのように強弁することが不可能ではないことになる。

同時に、この「王権」の背後に蠢くシスの暗黒卿にして、すべてを取り仕切る司祭であらせられるところの秋元康氏が、島崎さんの正統な後継者候補筆頭の宮脇さんとともに、この新王権の宣誓式に「列席」していたことは、そう遠くはない次の「物語」の伏線となるのかもしれない。

Quick Japan vol.129の「100ページ特集 欅坂46」

2016年12月27日 | AKB
"Quick Japan"を手に取ったのはいつ以来だっけか。なんか妙に懐かしい感じがする。

どこか引用しようかと思ったけど、選べない。それくらいに隅から隅まで内容が濃い。と同時に予定調和とは言いたくないけど、「想定の範囲内」的な不思議な感触もある。変なこと書くようだけど、かつて本ブログを書き始めることとなった直前、AKBについてのあらゆる情報源を漁っていた頃、目眩にも似た「感動」の嵐だった、あの頃との緩やかなデジャブ感とでも言うか。

欅坂の乗ってるレールは、間違いなく乃木坂のそれのはず。けれどもそこを走っているであろう車両はAKBの流れを汲むみたいな。我ながらへたくそな比喩ではあるけど、そんな「秋元グループ」の集大成の始まりを見せられてるんだろうか、そう言い放ってしまいたい誘惑に駆られたりする。

メンバーインタビューで長濱さんが「加入してすぐの頃、高橋みなみさんの本を読んで学んだ」と語ってるのが、なにげに衝撃的(←誇張)。この人の「知性」が全体を語ることで、すべてのムーブメントが大団円を迎える、そんな妄想にも駆られてしまった。