AKB48の旅

AKB48の旅

2014年大晦日

2014年12月31日 | AKB
大晦日。本ブログを開始してから丸三年になる。我ながらよく続いたものだと思うけど、それだけAKBG界隈には、溢れんばかりの情報の洪水があるわけで、ネタが尽きることがない。

サイドバーを見ると、記事数も1097になってるし、1エントリの文字数の平均が1000文字だとして、トータルで百万字オーバー。ホントかよ。

一応こっそりとだけど当初の目論見として、3年続けるというのを課題にしてた節があるので、取り敢えず目的は達成されたことになる。さてと、来年からどうしようかな。


another sky JKT48仲川遙香とMUSIC STATION SUPERLIVE 2014の「希望的リフレイン」

2014年12月30日 | AKB
12月26日放送の「another sky JKT48仲川遙香」が素晴らしかった。それだけで済ませてしまいたいくらいだけど、いらぬ一言で、なんか果物の屋台が懐かしかった。私の場合、絶対に食べてはいけないと言われたけど、あれを食べれるというだけでも、仲川さんの現地への溶け込み具合、順応具合が分かろうというもの。とは言えそれでもやはり、「お腹を壊した」とは語ってた。

やはり12月26日放送の「MUSIC STATION SUPERLIVE 2014」は「希望的リフレイン」「ラブラドール・レトリバー」「ポニーテールとシュシュ」「恋するフォーチュンクッキー」のメドレーだったけど、注目はどうしても「希望的リフレイン」。出演メンバー全員を確認できた自信はないけど、たぶん田野さんのアンダーで北原さんが出てた以外は、ほぼ選抜フルメンだったのかな。

あとはたぶん間違ってないと思うけど新衣装。早着替え用の重ね着だったんで、これで衣装のフルセットになってのかどうか分からないけど、たぶんこれでようやく3セット目で合ってる?

四谷三丁目さんへのお返事

2014年12月29日 | AKB
以下コメント欄から引用

最後にご質問を。うたさんのご指摘だと、HKTは受ける要素がないそうですが、管理人さんはどう思われていますか。また、市場導入期の2011年と市場成熟期の2015年とを比較することが是なのか、テレビ収録とライブは差別化すべきか、以上三つをお暇な時お答え頂きたく思います。

以上引用

四谷三丁目さん、コメントありがとうございいます。

例によって「受ける」とは何なのかにもよると思いますが、取り敢えず最初に必要な条件は「関心」ではないでしょうか。愛の反対語は無関心とは良く言ったもので、関心を持たれない限りは何も始まらない。受けることもない。

では関心を持たれるためにはどうすれば良いのか。そこには正解はないのかも知れません。秋元氏は「刺さる」ことと、かねてから語ってますが、それは仕掛ける側の発想で、私的には、それは見えない壁に気づかせる働きかけ、つまりはここでもキーワードは「気づき」なんでしょう。逆の視点だと、意識されてない壁を乗り越える動機付け、とでも表現すれば良いのでしょうか。

そこを越えることがまずは必要で、その次にようやく「受ける」という概念が有効になるように思います。もしくは、正にこの「刺さる」ことが「受ける」と等価になるのかも知れません。

と言うわけで、どうやら「受ける」というのは複数の概念の混合のようにも思えます。うたさんのコメントを読むと、どうやらこの後者の意味で「受ける」を使われてるようですので、以後の議論をこちらで進めます。

「2011年のAKBのパフォーマンス」については、私も過去ログに書いてますが、確かに素晴らしいものでした。けれども、ではそれが「受ける」に繋がったかというと、私の知る限りそのような感触はありませんでしたし、不肖、私自身がまったく受けてなかった、その好例となってしまってます。つまりは、少なくとも素晴らしいパフォーマンスが「受ける」とは限らないどころか、もしかして両者はほとんど無関係かも知れません。

HKTが「受ける」つまりは刺さる、気づきを惹起させるために必要なものは、やはり秋元氏が常に公言し試みてるように、メンバー個々人の魅力なんでありサプライズなんではないでしょうか。このイシューに関して、秋元氏以上の経験と見識を持つ人はいないと思います。

次に2011年と2015年の比較ですが、比較という行為自体はいかようにもできると思いますが、あらゆる変数が異なってる以上、それは有意なものにはならないと考えるのが常識的かと。

「テレビ収録とライブ」も同様で、こちらは変数が分かりやすいんですが、議論を単純化してと断った上で、一般論として最大の変数が、テレビが受動的で無関心、ライブが能動的で関心となると思います。これは「差別」ではなくて「区別」になるでしょうね。


ついでで申し訳ありませんが、以下、kazuさんのコメントへのお返事。

「NMBを名指し」の件ですが、正にお察しの通り、SKEとの対比がこっそりとですがありました。内部的には山本さんの存在はもちろんのこと、横山さんとの太いパイプというのがあるかと思います。が、それ以上に吉本という環境が大きいかなと。そこに漂う夏まゆみ氏的な要素(紛い物かも知れませんが)とともに、指原さんの歴史を見れば分かるように、有能な大人(先生)との出会いは、しばしば決定的なものとなるようにお思います。

「もうAKBは沈没寸前」なのか

2014年12月28日 | AKB
以下コメント欄から引用

指原さんはAKBヲタから邪道扱いされますが、実は一番本流。研究生時代K板野アンダー、高橋チームAで前田、高橋、篠田、小嶋の背中を見て、チームBで柏木、渡辺とチームメイト、Notyetで大島さんに学びました。そしてハロプロエッセンス、秋元さんの企画の理解力、いいともの生本番の強さを加えました。正直、指ヲタは見慣れているからなんとも思いません。

成功の上昇気流を指原本人とHKTで見てきた経験から言わせてもらうと、AKBの伝統や本質をオリジナルメンバー三人と柏木さんしかからしか学べない若手メンバーは、指原さんから学んだ宮脇さんの後塵を排しても仕方ないと思います。また渡辺学校と評価するなら、渡辺さんはリーダー経験がないとしても、高橋さんの卒業前にでも彼女がAキャプテンをやるべきではないでしょうか。

もうAKBは沈没寸前なのにAKBヲタは正面を向いてない。若手メンバーが伸びているのは錯覚だと思いますね。ヲタが指原さんを絶賛するだけで、正しい改善策を言えないのも大きな問題でもありますね。

以上引用(改行位置変更)

四谷三丁目さん、いつもコメントありがとうございます。Michiさんのコメントに対する言わば「反論」からの展開ということで、なんか私が口を差し挟むのも烏滸がましい限りですが、なんとなく思うところなど。

まずは「邪道」とか「本流」とか、雰囲気的には分かるような気もするんですが、その実、定義のよく分からない言葉のようにも思います。何をもって「邪道」と表現するのか、何をもってすれば「本流」なのか。

実のところ、AKB現象はとっくの昔にそんな手垢の付いた言葉の遥か先を行ってると思いませんか。私の理解するところ複雑系の存在様式に属するAKB現象では、部分と全体、中央と辺縁と言った対立概念が無化されてると考えられます。「邪道」と「本流」と言った対立概念も無意味ではないでしょうか。

同様にして、指原さんの直接指導を受けられるというアドバンテージにしても、相対的なものにならざるを得ないように思います。直接性や距離よりも、遥かに決定的となる要素は「気づき」なんであって、傍にいても気づけなければそれまでのこと。逆に離れていても、気づけるチャンスはあるはず。

宮脇さんについては、なにより「気づく」ことができたのが重要なのであって、指原さんが傍らにいてくれたという幸運は副次的かと。もちろん気づけるチャンスすらないという考え方もあるかも知れないけど、そこは兼任を含めた本店や、支店でもNMBであれば、いくらでも可能性は転がってると思われる。

「渡辺学校」という表現は、恐らくは運営サイドの意図を私が勝手に深読みさせてもらったもので、2012年の東京ドームでの「7時12分の初恋」「渚のチェリー」選抜との対比で使ってます。あの時の前田さんの位置に渡辺さんがいて、島崎さんの位置に宮脇さんがいるという見立ては、そんなに的外れではないように思います。念のために書いておきますが、これは決して「後継」という意味ではありません。

最後に「もうAKBは沈没寸前」なのか。ここでも「沈没」と言う言葉の定義が問題になります。語義通りに理解するなら「存続不能」あるいは「解散」を意味するようにも思いますが、単純に「人気低迷」辺りまでも含まれるのかも知れません。いちおうここでは、いちばん穏やかな理解であろう「人気」に関することとして考えてみます。

ところが、この「人気」という言葉自体が、どこまでも曖昧さを排除できないと思われます。何をもって「人気」と言うのかが確定できない。なので、これを単純に数字、例えばオリコン調べの売り上げで見るとか、推定されるキャッシュフローで見るとか、動員力で見るとかという視点をとるか、もしくは理論武装した上で、理詰めに頼るしかないように思います。

純粋に数字で見れば、トレンドとしての現状は、様々な指標で長期低落傾向にあるのは明らかだと思いますが、その逓減率は思いのほか小さくて、ピークが十分に高かったが故に、これだけを見るなら、当分の間は「人気低迷」とまでは言い難いというのが公正なところではないでしょうか。

一方で、AKB現象を理詰めで語るなら、私的には、AKB現象とは複雑系的運動をする自己組織化組織体であり、従って中長期的な将来予想は、原理的に不可能となります。理論上は、いつでもカタストロフィーつまりは、ここでは「解散」と言うことになると思いますが、その可能性は排除できません。

逆に、そのような組織体だからこそ、あらゆる可能性が試せるわけで、実際、秋元氏がどこまで自覚的なのかどうかはともかく、そのような可能性を求めての外乱と創発が繰り返されてきてます。今回は、高橋さんの卒業という大博打です。秋元氏は勝つ気満々なんだろうと、勝手に予想してますが。

AKB48新聞12月号の高橋さんインタビュー

2014年12月27日 | AKB
当初は取り上げないつもりだったけど、いろいろあって気が変わって、で、AKB48新聞12月号の件。と言っても話題沸騰の指原さんのじゃなくて、高橋さんのインタビューが興味深かったので。

以下引用

【瀬津記者】実は、我々編集部でも「たかみなは10周年で卒業するだろう。それを言うのは、もしかしたら1年前の9周年。もしくは、来年の総選挙後かな」と予想はしていました。でも、10月末の会食なら、すごく最近ですね。

【高橋】そうなんです。さすがに「あと1か月少ししかない」とびっくりして、本来なら決めかねる瞬間だったのかもしれないんです。でも「分かりました」とすぐに言えた自分がいました。秋元さんのことでは、タイミングを逃したらダメなんです。

【瀬津記者】もう10年もの間柄ですもんね。その辺は一番良く分かっているんですね。

【高橋】はい。秋元さんが「ここだ」と思ってくれたときに、私も動きたいし、秋元さんが「ここだ」と思うなら、そこなんです。今までも、その流れに乗ってきましたから。「12月8日に言わせていただきます」と返事しました。

以上引用

なにげにすごいことが書かれてると思うんだけど、あんまり話題とかにはなってない様子。

まず、高橋さんが10周年で卒業するというのが、ある程度AKB界隈のディープな情報に接していれば、ほぼ共通認識だったことが窺える。私自身もなんとなくそう思ってたし、発表があった時も、サプライズ感はまったくなかった。

次に高橋さんと秋元氏の関係性が正に共同体のそれであり、あるいは一般的な理解からすると、共同体のそれを越えていることが、こうして一次ソースで確認できたことになる。

この関係性を極限の上下関係にして、秋元氏が高橋さんの上位自我化してると捉える向きもあるんだろうけど、恐らくは違う。むしろ極限の相互信頼関係にして、大島さんとは違った意味での、これは戦友とも言える関係性なんだろうと思う。

同様の表明を、かつて篠田さんが語ってたのが思い出されるし、前田さんの最期のぐぐたすもそうだった。秋元氏のこういう「才能」というのも、もう少し評価されても良いような気がする。