AKB48の旅

AKB48の旅

「AKB48ヤングメンバー全国ツアー/春の単独コンサート in さいたまスーパーアリーナ」ブルーレイの収録時間

2015年07月31日 | AKB
恒例。「AKB48ヤングメンバー全国ツアー/春の単独コンサート in さいたまスーパーアリーナ」ブルーレイの収録時間は、ケースの記載では、DISC1「AKB48ヤングメンバー全国ツアー~未来は今から作られる~」が146分、DISC2、DISC3「AKB48春の単独コンサート~ジキソー未だ修行中!~」がそれぞれ130分、108分、DISC4「メイキング」が163分となってる。

これに対する実収録時間は、DISC1が146分30秒、DISC2が130分20秒、DISC3が108分55秒、DISC4が150分06秒ということで、本編に関してはみごとにビンゴ。そしてなぜかメイキングの実収録時間が13分も短い。これは例によって隠し映像とかあるんだろうか。探す気もないけど。

DISC1~DISC4ともにこの収録時間にして、すべて片面2層ディスクと記載されていてる。となればとりわけDISC2、DISC3はなかなかとんでもないわけで、実際チラ見しただけだけど、画質音質ともに素晴らしい模様。ビットレートは調べてないけど、凄い数字なのは間違いないところ。


以下追記
「名無し」さんコメントありがとうございます。「最後の行」についてのちょっとした補足をば。

高橋さん卒業後、AKBの未知の未来に辿り着ける「必要条件」を保持していそうなのが指原さんくらいしか見当たらないこと。そして現状、そんな誰も知らない未来と、AKBG中のもっとも有為の人材であるところの宮脇さんを結びつけ得るポジションにいること。

逆に言うなら、動的組織体としてのAKBGが、その瞬間止まる、ないしはゾンビ化する可能性を否定できず、止まったら死ぬAKBGを再起動(つまりは蘇生)できる可能性があるのは指原さんくらいなんじゃないか。

だから恐ろしいことなんだけど、できれば避けねばならないんだけど、「指原さんという個人へと集約していくしかない」のかなと。もちろん未知の事象が起こる可能性は排除していません。

「最後の行」にならないで欲しいという思いです。

AKB時代「客観的に見て当時の私は痛かった」

2015年07月30日 | AKB
明るくなった前田敦子 AKB時代「客観的に見て当時の私は痛かった」
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/07/28/kiji/K20150728010824380.html

「当時、何かと戦っている自分がいたのは確かなんです。今でも、自分がやらなくちゃいけないこと、向き合わなくちゃいけないことがあるのは同じなんですけど、あの頃は戦っている自分を丸見えにしちゃってた。ああ、子供だったんだなあと思います。でも、子供だったと言える年齢の頃のことで良かったです」と愉快そうに説明した。

一方的に神輿として担がれ、であるにもかかわらず期待を遥かに越えた「職務」を全うする、それだけ書くとどうと言うこともないようだけど、実際に起こったことは、濱野氏が主張したように、幻想ではあっても神の現前だった(神はそもそも幻想であるという議論は置いといて)。神輿はどこまでも天高く担ぎ上げられ、それでも前田さんは臆することなく砕けることなく輝き切った。

それは当の前田さんの目線からは「子供だった」に過ぎなかったけど、そんな「空虚な中心」が不可思議にも機能してしまう、巨大なムーブメントを生み出してしまう、自己組織化した共同体という構造となって現前してしまう。それが日本文明というもの。可否はともかくとして、こんな現象は日本以外では起こりえない。

そんな運動体の「主催者」というと違うけど、前田さんを担ぎ上げることを可能にしてたキーストーンとしての高橋さんがそこから去る時、AKBという複雑系の運動体は、やはり構造としての維持が困難となり、カタストロフィーへと向かう流れは避けられないんだろうなあ。Dデイが近づくにつれて、そんな思いがちらつく。

「あつみな」という一度切りの奇跡の形骸を引きずることはできない。現状、「ゆいぱる」に超越性格としての「化学反応」は見えない。やはりAKBムーブメントは、指原さんという個人へと集約していくしかないのか。

ネ申テレビシーズン17 番外編

2015年07月29日 | AKB
アイロン編2時間、華道編2時間、コーディネート編2時間、赤ちゃん編2時間、そして料理編に至っては5時間、総計13時間にもなってしまってる。とてもじゃないがいつまで経っても見終わることができない、ネ申テレビシーズン17 番外編の恐怖。

それでもどうにか最大難関の料理編5時間を見終わった。「チーム8合宿」みたいに興味を持続し続けることが難しいので、どうしても細切れ視聴になってしまって、いったい何日かかったのか思い出せない。始めの方なんかすっかり忘れてる。録画日時は遙かな過去と言うしかない2月15日だけど、いつから見始めたんだっけ。

この「オレの嫁選手権」は、現在放送中のネ申テレビシーズン19でも継続中で、まあ何と言うかなんだけど、間に差し挟まれる握手会でのライブの映像がとにかく素晴らしい。カメラワークが、恐らくはリアルタイムのスイッチングのままほとんど事後編集されてないと思われ、その上全部じゃないけど、ほぼ生歌での修正なし。いろんな意味でリアリティがハンパない。

敢えて書いてしまうなら、ビットレートは決して高くなくても、アザからあばたから汗の滴までしっかり見える。カメラが寄り気味で、接写と言って良いようなカットだらけ。もちろん無粋な「北川チェック」も入ってない。歌声の乱れにはかえって息吹を感じられる。パッケージソフトだと、なんでこれを修正したり差し替えたりという発想になるのか謎。


読売新聞日曜版7月26日の「1分後の昔話 乃木坂46の軌跡」

2015年07月28日 | AKB
題名の通り乃木坂46、そしてドキュメンタリー映画「悲しみの忘れ方」を紹介する体裁なんだけど、秋元氏にしては、と例によって但し書き付きになるけど、それなりに情報量のあるコラム。その中で、松井玲奈さんと生駒里奈さんの交換留学について、以下のように評価してた。

生駒里奈は、コンサートの前に、AKB48グループの総監督高橋みなみがメンバーに諸注意をしたり気合いを入れたりしている様に感動したという。それ以来、乃木坂46のコンサートの前には、生駒里奈自ら、メンバーに諸注意をしたり気合いを入れたりするようになった。松井玲奈はメンバー間の競争ではなく、団体の中で”自分らしさ”を考えるようになった。

当たり障りない内容とも言えそうだけど、少なくとも生駒さんの意識が大きく変わったことは、秋元氏という最強ソースによって確認できたことになる。

「AKB裏ストーリー 北原里英24歳、アイドルの生き方 完全版」

2015年07月27日 | AKB
地上波放送版とは印象がずいぶん違った。AB比較したわけじゃないし、たぶん番組としての基本設計は変わってないんだろうと思う。けれども、はっきり言い切ってしまうけど、この「完全版」には、なんか感動させられてしまった。こっちの方が遙かに出来が良いと感じた。

何が違ったんだろうと考えてみて、たぶんディテールかな。北原さんのように形式上の裏表のない、ある意味真っ正直な人こそ、情報量の分厚さがクリティカルとなるんだろう。同じ映像であっても、SD画質ではそこが欠落してしまって表現されず、HD画質、いや4K画質じゃないとうまく伝わらないみたいな感じ。ご本人の弁とは微妙に矛盾するかも知れないけど、北原さんのハイコンテクストはフルオープンになってる。だからこそ、その描写には十分な情報量を必要とするんだろう。

そう考えてみると、指原さんとは違った意味で、北原さんもまたAKBムーブメントの体現者と言えそう。ローコンテクストとしての北原さんと、ハイコンテクストとしての北原さんという連続体が、ホントにぴったり重ね合わされた重層構造になってる。そしてそんな北原さんという構造を、「地上波放送版」とこの「完全版」が、図らずも描き出してしまったとでも言うか。

「りのりえ」というのは、AKB複素空間における座標軸のような存在という比喩が思い浮かんだけど、こっち方向のこれ以上の深入りは止めといた方がよさそう。

ところで、この「完全版」を見ても、やっぱり「物議を醸す内容」が何だったのかが分からないな。もしかしてそれって竹中Pの北原さんへの熱い思いってこと?