指原莉乃がウーマン村本を名指しで「政治を語りたがるタレント」批判! 権力批判だけを政治的という詐術
指原は、「政治を語りたがるタレント」がたとえば誰のことを指しているのかと共演陣から問われ、嘲笑気味にこう答えたのである。
「ウーマンラッシュアワー村本」
この返答にスタジオは大爆笑。ヒロミは「あいつはもう本気だからね」とコメントする。そして、指原はSNSでの炎上が起こる流れを、加えてこのように解説するのであった。
「世間の芸能ニュースにちょっと一言言いたいとか、そういうことに利用する人も増えています」
「村本さんだけじゃなくって、みんなちょっとネットニュースを引用して、『これはちょっとどうかと思う』とか、そういうことを言う」
「それにさらに噛み付いた人がいて、それで口論になったりしたりして、なんか揉めてる感じ」
ここで注目すべきは、指原が「政治を語りたがるタレント」としてウーマンラッシュアワーの村本大輔の名前を出したことだ。ここに指原発言の、そして「芸能人は政治発言するな」論の、正体がよくあらわれている。
うーん、例によって批判的なスタンスは避けたいんだけど、ここはちょっとだけ突っ込んでおきたい。
この番組は見てたけど、「この返答にスタジオは大爆笑」というのが答えというか、常識的な反応なんであって、それ以上でもそれ以下でもないという視点で良いのではないか。もうちょっと踏み込むと、「政治を語りたがるタレント」という括りを、「政権批判や現状に対する異議申立てがダメ」に結びつけてしまうという「飛躍」に無頓着というか。
記事の後段で名指しされてる松本人志、小籔千豊、千原せいじ、たむらけんじ、つるの剛士(敬称略)にしても、私が理解するところ、政治ネタは基本、笑いと結びつけられてるのであって、そこは村本氏となんら変わりはない。そこに対立軸を敢えて設定するとすれば、それは村本氏がエキセントリックな方向性を狙ってること、記事で言う「権力批判」のように見えると言うことくらいだろう。
村本氏のツイッターをフォローしてるわけではないので、間違ってるかも知れないけど、では村本氏の発言が「権力批判」に当たるのかといえば、少なくとも私にはそうは見えない。「権力批判」とは何かという定義にもよるんだろうけど、それは単なる悪口であってはならないと思うし、脊髄反射的な批難も、決して「権力批判」たり得ないのではないかと思う。敢えて言い放つなら、わずかでも良いから、そこに提言なり選択肢なりの提示があるべきではないか。
ちょっと勇み足が過ぎるので、これ以上は書かないけど、指原さんが村本氏の名前を挙げたバランス感覚、あるいは入り組んだ利害関係、利益相反を瞬時に洞察したかのようなセレクトを、少なくとも私は称えたいと思うし、村本氏の「指原さんが干されますように…」という返しも、同工異曲のライン上にあると感じる。
指原は、「政治を語りたがるタレント」がたとえば誰のことを指しているのかと共演陣から問われ、嘲笑気味にこう答えたのである。
「ウーマンラッシュアワー村本」
この返答にスタジオは大爆笑。ヒロミは「あいつはもう本気だからね」とコメントする。そして、指原はSNSでの炎上が起こる流れを、加えてこのように解説するのであった。
「世間の芸能ニュースにちょっと一言言いたいとか、そういうことに利用する人も増えています」
「村本さんだけじゃなくって、みんなちょっとネットニュースを引用して、『これはちょっとどうかと思う』とか、そういうことを言う」
「それにさらに噛み付いた人がいて、それで口論になったりしたりして、なんか揉めてる感じ」
ここで注目すべきは、指原が「政治を語りたがるタレント」としてウーマンラッシュアワーの村本大輔の名前を出したことだ。ここに指原発言の、そして「芸能人は政治発言するな」論の、正体がよくあらわれている。
うーん、例によって批判的なスタンスは避けたいんだけど、ここはちょっとだけ突っ込んでおきたい。
この番組は見てたけど、「この返答にスタジオは大爆笑」というのが答えというか、常識的な反応なんであって、それ以上でもそれ以下でもないという視点で良いのではないか。もうちょっと踏み込むと、「政治を語りたがるタレント」という括りを、「政権批判や現状に対する異議申立てがダメ」に結びつけてしまうという「飛躍」に無頓着というか。
記事の後段で名指しされてる松本人志、小籔千豊、千原せいじ、たむらけんじ、つるの剛士(敬称略)にしても、私が理解するところ、政治ネタは基本、笑いと結びつけられてるのであって、そこは村本氏となんら変わりはない。そこに対立軸を敢えて設定するとすれば、それは村本氏がエキセントリックな方向性を狙ってること、記事で言う「権力批判」のように見えると言うことくらいだろう。
村本氏のツイッターをフォローしてるわけではないので、間違ってるかも知れないけど、では村本氏の発言が「権力批判」に当たるのかといえば、少なくとも私にはそうは見えない。「権力批判」とは何かという定義にもよるんだろうけど、それは単なる悪口であってはならないと思うし、脊髄反射的な批難も、決して「権力批判」たり得ないのではないかと思う。敢えて言い放つなら、わずかでも良いから、そこに提言なり選択肢なりの提示があるべきではないか。
ちょっと勇み足が過ぎるので、これ以上は書かないけど、指原さんが村本氏の名前を挙げたバランス感覚、あるいは入り組んだ利害関係、利益相反を瞬時に洞察したかのようなセレクトを、少なくとも私は称えたいと思うし、村本氏の「指原さんが干されますように…」という返しも、同工異曲のライン上にあると感じる。