AKB48の旅

AKB48の旅

ファーストジェネレーションの魔法

2012年02月29日 | AKB
成功したムーブメントの第一世代には、魔法がかけられているという話。言わば第一世代の法則、そういうものがあるらしい。私以外に言ってる人を知らんけどね。例を挙げると、有名なところでは漫画におけるトキワ荘。アニメにおける虫プロあたり。大風呂敷を広げると古代ギリシャ哲学や諸子百家なんかも当てはまりそう。小規模なものなら類例を身近で経験したりもしてる。というか、そういう経験を私的に複数回してるんで、そんな考えを持つようになった。

この現象(というほど確かなものではないだろうが)についての説明は、実けっこうシンプルについたりする。成功したから結果論なんだよというのが、いちばん妥当な説明だろうし、たぶんそれで間違ってない。個別の事情というのもあって、例えばトキワ荘だと手塚治虫がいて、寺田ヒロオという人がいて・・・みたいにそれなりな説明が可能だったりする。

けれども、重要なのは「結果論」とか「個別事情」といった各論ではなくて、これが総論的な側面を持ってることを、敢えて否定しないことだと思ってる。つまりは適応放散ということ。新たな世界を開いた第一世代には、無人の沃野が約束されてる。そりゃそうだ。そこは新たな世界なんだから。そして成功したということは、その新世界が沃野であったことの証明でもある。

さっしーの所では類例を指して「ブルーオーシャン」と表現してみたけど、そこで起こることは「私の前に道はない。私の後に道はできる。」ということ。正にパイオニア。秋元康が歌詞でずばり書いてるように、私たちがルールとなる。

前田敦子、高橋みなみ、板野友美、峯岸みなみ、小嶋陽菜、篠田麻里子。彼女らが飛び抜けた存在に見える、圧倒的に見えるのは、だから当たり前なんだ。マイルールに勝てるものはない。オリメン最強は当然の帰結と言うこと。それでも、そんな中に割って入ってきた大島優子、渡辺麻友、柏木由紀、指原莉乃は、それだけでも特別な才能と強運の持ち主であることを証明している。

とりわけさっしーがフィーチャーされるのも、そういう理由からだ。優子、まゆゆ、ゆきりんは、それでも言わば第二世代であり、まだしもマイルールの一画に地歩を持てた。間に合った。けれどもさっしーはそうじゃない。遅れて後からやって来て、それなのに新たなマイルールを展開して見せた。いやそうじゃないな、他人のルールのはずなのに、それを自分のものにしてしまった。これがいかに凄いことか。

第二世代、第三世代と代を追うごとに、先を行くものの背中は遠くなる。overtakeの歌詞のごとくだけど、その困難さは指数関数的に上昇して行く。先行するものの歩みが止まらなければ、後世代の者が追いつき追い越すことは不可能となる。原理上そうなってる。なのにさっしーは見事にまくって見せた。秋元康の言うとおり”奇跡”だね。

さてと、ここから先は完全に蛇足だけど、「それでも好きだよ」の発売日が5月2日になった理由。秋元康の誕生日だからというのは間違いなくあると思う。思うけど、最大の理由はまゆゆにあるんじゃないかな。高校卒業に合わせて満を持して準備してきたソロデビュー。その邪魔をしたくない、させないためにも発売日を後送りに。どうせなら俺の誕生日プレゼントに、そういうことじゃないか。

AKBディバイド

2012年02月28日 | AKB
昨日とは真逆の感動は、QuickJapanのAKB0048特集(って書いてないけど言っても良いでしょ?)。凄いね。

以下引用****************
彼女達は戦い続けている。
誰にも興味を持たれなかった時代から、
あるいは努力せずチヤホヤされている
人気アイドルと不当に誤解されながら。
反逆者のように、
しかしアスリートのようなひたむきさで。
それは、僕らの現実を否定せずに、
その中で「生きること」を、きれい事を言わず、
積極的にやり抜こうとすることなのだ。
僕らはAKB48のそこに感動する。
以上引用****************

冒頭のここを読んで、思わず泣きそうになった。ちゃんと分かってる人がいる、そんなの当たり前なんだけど、それでも分かってる人がいて、こうしてマイナー雑誌とは言え公言してくれるのは、素直に嬉しい。そういう気分。

一昔前、ディジタルディバイドという言葉がもてはやされたことがあった。もう死語かもしれないけど、今だったら「情強」「情弱」の方が通りが良いかな。ま、そんな、どっか差別的なニュアンス、上から目線の鼻持ちならない言葉だったけど、それでも同じ侮蔑的な意味合いを込めて、「AKBディバイド」なんて言ってみる。あるある。


AERAの記事の居心地悪さ

2012年02月27日 | AKB
AERA 2012年2月27日号の記事「AKB48は「なりたい自分」になれるのか」の隔靴掻痒感というか、居心地の悪さというか、やっぱ言い切ろうか、不快感、これって何だろう。大アサヒの団塊脳なのかと思って、署名記事なんで「編集部 太田匡彦」でググってみると、アレレけっこう若いっぽい。

何かに似てるなと思って、あーあれだと思い至る、詳しくは書かないけど、記者の取材ってこうだったなと。取材依頼が来て、会ってみると言われてるほど威丈高ではなくて、なんとなく気を許して聞かれたこと以上に何でも答える、資料も渡す。で、いざ掲載された記事が何でそうなる!

この記者、勝手に決めつけのアウトラインを作ってるんだ。今が「絶頂」と断定する、まあそんなに間違ってないかなとか思う。けれども常に加速度として存在するAKBにとって、「絶頂」の実感とかはとりあえずどうでもいいことだろうとも思う。なのに、そこに無駄につまらない物語を設定する。「卒業」をちらつかせる。上位メンやドキュメンタリーの高橋栄樹監督の言葉を都合良く切り貼りする。

やってることが、一例、本ブログなんかと変わらない。敢えてエラソに言えば、なのに情報の収集レベルが低い。分かってないのに分かったつもりになってる。ああ、それも本ブログと変わらんか。つまりは同族嫌悪?

いずれにせよ、ある種典型的な記事かなとは思う。AERAの購読層にとっては、AKBなんてそんなもんなんだろうな。

乃木坂46の5ヶ月

2012年02月26日 | AKB
秋元康の言う「5ヶ月」の意味を考えてみる。

以下オフィシャルから引用********
AKB48が歩んできた5年間を5ヶ月で追いつかせるつもりで育てていきます。AKB48を手放したソニーミュージックが社運をかけて育てていく本気(マジ)のアイドルグループなので、是非ご期待ください!
以上引用***************

このAKBの「5年」と乃木坂の「5ヶ月で追いつかせる」のそれぞれの起点はいつになるのだろう。AKB側が結成時点(2005年12月8日)なら、その5年後は2010年12月8日、つまりはBeginnerで初ミリオン達成が追いつきポイントということに。メジャーデビュー(2006年10月25日)なら2011年10月25日、つまりはフラゲで初日ミリオンかつミリオン常連が追いつきポイントということに。どっちにせよ、あんまり差がないといえばないか。

乃木坂側が結成(2011年8月22日)の5ヶ月後なら2012年2月22日、ずばりシングルデビュー時点。既に無理か。シングルデビューの5ヶ月後なら2012年7月22日ということに。つまりはセカンドシングルでミリオン達成ということになるけど、ふつーに無理だろうね。

とま、くそまじめに字面のままに読み解こうとしてみたけど、無駄だったよう。やはり秋元康の「真意」なるものを深読みするしかないか。というわけで、「追いつかせる」という表現を「公式ライバル」というたてまえ上のレトリックと理解してみよう。すると「真意」は何か。まず常識的に考えて、秋元康が想定している何らかの「目標」の達成あたりだろうね。

AKB側の日程が去年と同様なら、その達成予定日は、総選挙の直後ということになる。そう、ここまで引っ張ってきたのは、先日書いた乃木坂の存在意義についての補強をしたかったから。乃木坂はAKBの外部改革に当たり、取りあえずの役割は総選挙への干渉にあるという考え方。

乃木坂の存在が総選挙に与える影響やいかに。興味は尽きない。いや面白い仕掛けを考えるもんですわ。

う○こするアイドル

2012年02月25日 | AKB
さっしーの何が新しいのか、何が革命的なのか。適当な表現がないか思い巡らしてみて、浮かんだのが、その、なんとも下世話な比較だったんだけど、これは何気に意味のある指摘なんじゃないかと思うんで、書いてしまおう。

「それでも好きだよ」はかわいいにもほどがあるよね。けれどもそれでも、さっしーがう○こすることに違和感は金輪際ないでしょ。えーい、もっと落ちるところまで落ちようか。「それでも好きだよ」を歌ってるのを見ながら、それでもさっしーってオ○ヌーするんだよね、って思っても、変な嫌悪感ってないでしょ。

これがまゆゆだとそうはいかない。まゆゆがう○こすると聞くと、当然だと思う一方で、何とも言えない申し訳ない感、さらには自己嫌悪感が襲ってくる気がする。まゆゆがオ○ヌーともなると、考えたくもない。そういう妄想を一瞬でもした自分が許せなくなる。もちろんその一方で、だから逆説的に変態的な妄想に浸る、そういうのもあるかもしれないけれどね。

これが古典的なアイドルと新しいアイドルの決定的な分かれ目になるんじゃないか。つまりはリアルのあり方の違い。守備範囲の違いでもいいや。どっちのあり方がネット社会に整合的かは明らかだと思う。

さっしーのへたれはリアルだし、例の「中2」がさっしーだとして、そのリアリティは揺るぎない。なのにぶりぶりアイドルど真ん中で、なおかつおされな雑誌の表紙を飾り、ブランドとタイアップ。これを革命と呼ばずに、何を・・・。