成功したムーブメントの第一世代には、魔法がかけられているという話。言わば第一世代の法則、そういうものがあるらしい。私以外に言ってる人を知らんけどね。例を挙げると、有名なところでは漫画におけるトキワ荘。アニメにおける虫プロあたり。大風呂敷を広げると古代ギリシャ哲学や諸子百家なんかも当てはまりそう。小規模なものなら類例を身近で経験したりもしてる。というか、そういう経験を私的に複数回してるんで、そんな考えを持つようになった。
この現象(というほど確かなものではないだろうが)についての説明は、実けっこうシンプルについたりする。成功したから結果論なんだよというのが、いちばん妥当な説明だろうし、たぶんそれで間違ってない。個別の事情というのもあって、例えばトキワ荘だと手塚治虫がいて、寺田ヒロオという人がいて・・・みたいにそれなりな説明が可能だったりする。
けれども、重要なのは「結果論」とか「個別事情」といった各論ではなくて、これが総論的な側面を持ってることを、敢えて否定しないことだと思ってる。つまりは適応放散ということ。新たな世界を開いた第一世代には、無人の沃野が約束されてる。そりゃそうだ。そこは新たな世界なんだから。そして成功したということは、その新世界が沃野であったことの証明でもある。
さっしーの所では類例を指して「ブルーオーシャン」と表現してみたけど、そこで起こることは「私の前に道はない。私の後に道はできる。」ということ。正にパイオニア。秋元康が歌詞でずばり書いてるように、私たちがルールとなる。
前田敦子、高橋みなみ、板野友美、峯岸みなみ、小嶋陽菜、篠田麻里子。彼女らが飛び抜けた存在に見える、圧倒的に見えるのは、だから当たり前なんだ。マイルールに勝てるものはない。オリメン最強は当然の帰結と言うこと。それでも、そんな中に割って入ってきた大島優子、渡辺麻友、柏木由紀、指原莉乃は、それだけでも特別な才能と強運の持ち主であることを証明している。
とりわけさっしーがフィーチャーされるのも、そういう理由からだ。優子、まゆゆ、ゆきりんは、それでも言わば第二世代であり、まだしもマイルールの一画に地歩を持てた。間に合った。けれどもさっしーはそうじゃない。遅れて後からやって来て、それなのに新たなマイルールを展開して見せた。いやそうじゃないな、他人のルールのはずなのに、それを自分のものにしてしまった。これがいかに凄いことか。
第二世代、第三世代と代を追うごとに、先を行くものの背中は遠くなる。overtakeの歌詞のごとくだけど、その困難さは指数関数的に上昇して行く。先行するものの歩みが止まらなければ、後世代の者が追いつき追い越すことは不可能となる。原理上そうなってる。なのにさっしーは見事にまくって見せた。秋元康の言うとおり”奇跡”だね。
さてと、ここから先は完全に蛇足だけど、「それでも好きだよ」の発売日が5月2日になった理由。秋元康の誕生日だからというのは間違いなくあると思う。思うけど、最大の理由はまゆゆにあるんじゃないかな。高校卒業に合わせて満を持して準備してきたソロデビュー。その邪魔をしたくない、させないためにも発売日を後送りに。どうせなら俺の誕生日プレゼントに、そういうことじゃないか。
この現象(というほど確かなものではないだろうが)についての説明は、実けっこうシンプルについたりする。成功したから結果論なんだよというのが、いちばん妥当な説明だろうし、たぶんそれで間違ってない。個別の事情というのもあって、例えばトキワ荘だと手塚治虫がいて、寺田ヒロオという人がいて・・・みたいにそれなりな説明が可能だったりする。
けれども、重要なのは「結果論」とか「個別事情」といった各論ではなくて、これが総論的な側面を持ってることを、敢えて否定しないことだと思ってる。つまりは適応放散ということ。新たな世界を開いた第一世代には、無人の沃野が約束されてる。そりゃそうだ。そこは新たな世界なんだから。そして成功したということは、その新世界が沃野であったことの証明でもある。
さっしーの所では類例を指して「ブルーオーシャン」と表現してみたけど、そこで起こることは「私の前に道はない。私の後に道はできる。」ということ。正にパイオニア。秋元康が歌詞でずばり書いてるように、私たちがルールとなる。
前田敦子、高橋みなみ、板野友美、峯岸みなみ、小嶋陽菜、篠田麻里子。彼女らが飛び抜けた存在に見える、圧倒的に見えるのは、だから当たり前なんだ。マイルールに勝てるものはない。オリメン最強は当然の帰結と言うこと。それでも、そんな中に割って入ってきた大島優子、渡辺麻友、柏木由紀、指原莉乃は、それだけでも特別な才能と強運の持ち主であることを証明している。
とりわけさっしーがフィーチャーされるのも、そういう理由からだ。優子、まゆゆ、ゆきりんは、それでも言わば第二世代であり、まだしもマイルールの一画に地歩を持てた。間に合った。けれどもさっしーはそうじゃない。遅れて後からやって来て、それなのに新たなマイルールを展開して見せた。いやそうじゃないな、他人のルールのはずなのに、それを自分のものにしてしまった。これがいかに凄いことか。
第二世代、第三世代と代を追うごとに、先を行くものの背中は遠くなる。overtakeの歌詞のごとくだけど、その困難さは指数関数的に上昇して行く。先行するものの歩みが止まらなければ、後世代の者が追いつき追い越すことは不可能となる。原理上そうなってる。なのにさっしーは見事にまくって見せた。秋元康の言うとおり”奇跡”だね。
さてと、ここから先は完全に蛇足だけど、「それでも好きだよ」の発売日が5月2日になった理由。秋元康の誕生日だからというのは間違いなくあると思う。思うけど、最大の理由はまゆゆにあるんじゃないかな。高校卒業に合わせて満を持して準備してきたソロデビュー。その邪魔をしたくない、させないためにも発売日を後送りに。どうせなら俺の誕生日プレゼントに、そういうことじゃないか。