「マラソン哲学」(講談社)を読んでいたら、えこひいきを当たり前と言っちゃう人が出ていました。
高橋尚子さんの章。
当然、小出義雄監督のことです。
「監督はえこひいきをしている。見ている人と見ていない人がいる」と訴えた選手に対し、「そんなの当たり前だろ」と。
実業団ですから、走るために入ってきたわけで、どれだけ必死にやっているかで監督の側も対応が違ってくるというようなこと。
学校ならば、教育だから平等があるということですが、それも微妙なところで、例えば駅伝メンバーを決めるときに、単純に記録の比較ではなく、練習への取り組み方を評価して選ぶ監督もいると思います。
記録が優っている選手からしたら、えこひいきに見えるかもしれないけれど、いわゆる教育的見地からすれば、それが望ましい選び方かもしれません。
中谷前防衛大臣が安倍総理に贈った「あいうえお」の「え」は「えこひいきせず」で、それは現在問題になっていることでも閣僚人事でも当てはまりそうですが、理由なきえこひいきは論外として、正当な理由があって対応が違うというのはありうることなんだと思います。
高橋尚子さんの章。
当然、小出義雄監督のことです。
「監督はえこひいきをしている。見ている人と見ていない人がいる」と訴えた選手に対し、「そんなの当たり前だろ」と。
実業団ですから、走るために入ってきたわけで、どれだけ必死にやっているかで監督の側も対応が違ってくるというようなこと。
学校ならば、教育だから平等があるということですが、それも微妙なところで、例えば駅伝メンバーを決めるときに、単純に記録の比較ではなく、練習への取り組み方を評価して選ぶ監督もいると思います。
記録が優っている選手からしたら、えこひいきに見えるかもしれないけれど、いわゆる教育的見地からすれば、それが望ましい選び方かもしれません。
中谷前防衛大臣が安倍総理に贈った「あいうえお」の「え」は「えこひいきせず」で、それは現在問題になっていることでも閣僚人事でも当てはまりそうですが、理由なきえこひいきは論外として、正当な理由があって対応が違うというのはありうることなんだと思います。