Number 933。特集は「甲子園ライバル伝説」
「松井秀喜から逃げなかった男たち」の中に、長岡向陵の竹内正人投手のことも出ていました。
1992年8月11日。ちょうど25年前。
松井選手の打球の速さに驚いた記憶があります。
星稜との対戦が決まった時点で、勝ちはないと誰もが予想したと思います。もちろんテレビ観戦で地元チームを応援するとしても。
竹内投手のゲームプランは、
『松井の前にランナーを出さない。僅差の試合運びができれば勝機は出てくる』と記事に書いてあります。
その通りだと思いますが、実行するには力の差がありすぎたと思います。
同年の新潟県大会の結果を調べてみたら、ベスト8以上がわかりました。
新潟南
長岡大手
新潟明訓
北越
長岡向陵
新発田農
十日町
直江津
緑がベスト8、青がベスト4。赤が決勝進出です。
現在とはかなり勢力図が違っています。
前年は新潟明訓が初出場。エースは小林幹英投手でした。
翌年も新潟明訓。甲子園で1勝あげてます。
92年のベスト8は公立校が6校で、新潟南、新発田農は甲子園実績あり。十日町高校もその後甲子園出場を果たしてます。
さて、竹内投手が松井と勝負してというか、星稜打線としっかり向き合って、その結果が11:0という大敗。
しかし、5日後自宅にスポーツ紙の記者から電話が入る。
『明徳の作戦、真っ向勝負した竹内くんとしてはどう思う?』
否定も肯定もできなかったと。
『特段、真っ向勝負した気はないですよね。ただ普段の野球をやって負けただけなんで』
応援している側も全くその通りでした。まさか、全打席敬遠という作戦が存在するなんて、その時点で誰も思わなかったでしょう。
竹内正人さんは、中央大に進学、準硬式野球部で全国優勝の経験もしたと。現在は大光銀行白根支店に勤務とプロフィールに書かれていました。
「松井秀喜から逃げなかった男たち」の中に、長岡向陵の竹内正人投手のことも出ていました。
1992年8月11日。ちょうど25年前。
松井選手の打球の速さに驚いた記憶があります。
星稜との対戦が決まった時点で、勝ちはないと誰もが予想したと思います。もちろんテレビ観戦で地元チームを応援するとしても。
竹内投手のゲームプランは、
『松井の前にランナーを出さない。僅差の試合運びができれば勝機は出てくる』と記事に書いてあります。
その通りだと思いますが、実行するには力の差がありすぎたと思います。
同年の新潟県大会の結果を調べてみたら、ベスト8以上がわかりました。
新潟南
長岡大手
新潟明訓
北越
長岡向陵
新発田農
十日町
直江津
緑がベスト8、青がベスト4。赤が決勝進出です。
現在とはかなり勢力図が違っています。
前年は新潟明訓が初出場。エースは小林幹英投手でした。
翌年も新潟明訓。甲子園で1勝あげてます。
92年のベスト8は公立校が6校で、新潟南、新発田農は甲子園実績あり。十日町高校もその後甲子園出場を果たしてます。
さて、竹内投手が松井と勝負してというか、星稜打線としっかり向き合って、その結果が11:0という大敗。
しかし、5日後自宅にスポーツ紙の記者から電話が入る。
『明徳の作戦、真っ向勝負した竹内くんとしてはどう思う?』
否定も肯定もできなかったと。
『特段、真っ向勝負した気はないですよね。ただ普段の野球をやって負けただけなんで』
応援している側も全くその通りでした。まさか、全打席敬遠という作戦が存在するなんて、その時点で誰も思わなかったでしょう。
竹内正人さんは、中央大に進学、準硬式野球部で全国優勝の経験もしたと。現在は大光銀行白根支店に勤務とプロフィールに書かれていました。
コメントどうもありがとうございます。
情報ありがとうございます。
BSN(TBS系)「バース・デイ」
26年前の星稜エースはいま