4月上旬に体調を崩し寝込んで、そこから先も主治医から出ている薬を毎日服用することで、体調キープという今年度。
来月に入ると定期通院があるんだけれど、薬の数をカウントしたら、足りない。
毎日使うと1つ足りない…。
ということで、とりあえず昨日は飲まずに寝ました。
よりによって熱帯夜の日に…。そうも思ったんだけれど、しかたありません。
1時過ぎにラジオをつけたら、陸上競技の話。
そうだった、鯉川なつえさんの話だ。
番組HPには「炎天下のマラソンから得たもの」というタイトルが書かれていますが、私が聞いた部分は、女子選手が長く競技を続けるために配慮して欲しいことでした。
炎天下のマラソンは福岡ユニバでふらふらになったあのレースのことでしょう。
鯉川なつえさん、高校駅伝の女子第1回、最も注目された選手のひとり。筑紫女学園のダブルエース。寺崎史記&鯉川なつえ。2位でした。
深夜便の話の中で、私は26歳で引退したけれど…と。
一番のポイントは中学時代だろうと。「太ったね」とか「ご飯減らせ」とかは、絶対に言わないで欲しい。体に変化が出てくる年頃で、必要なこと。十分な栄養をとって、将来の骨粗鬆症を防いだり、無月経にならないように配慮しないと、結局競技生活が長く続かない、そんな話の部分でした。
女子の第1回は1989年。あれから30年。
鯉川なつえさんは翌年、宮崎安澄さんとダブルエースで優勝候補だったけれど、今度は3位に。
筑紫女学園は翌年初優勝。下司則子さんが3年連続出場で、優勝メンバーにという筑女ストーリーでした。
来月に入ると定期通院があるんだけれど、薬の数をカウントしたら、足りない。
毎日使うと1つ足りない…。
ということで、とりあえず昨日は飲まずに寝ました。
よりによって熱帯夜の日に…。そうも思ったんだけれど、しかたありません。
1時過ぎにラジオをつけたら、陸上競技の話。
そうだった、鯉川なつえさんの話だ。
番組HPには「炎天下のマラソンから得たもの」というタイトルが書かれていますが、私が聞いた部分は、女子選手が長く競技を続けるために配慮して欲しいことでした。
炎天下のマラソンは福岡ユニバでふらふらになったあのレースのことでしょう。
鯉川なつえさん、高校駅伝の女子第1回、最も注目された選手のひとり。筑紫女学園のダブルエース。寺崎史記&鯉川なつえ。2位でした。
深夜便の話の中で、私は26歳で引退したけれど…と。
一番のポイントは中学時代だろうと。「太ったね」とか「ご飯減らせ」とかは、絶対に言わないで欲しい。体に変化が出てくる年頃で、必要なこと。十分な栄養をとって、将来の骨粗鬆症を防いだり、無月経にならないように配慮しないと、結局競技生活が長く続かない、そんな話の部分でした。
女子の第1回は1989年。あれから30年。
鯉川なつえさんは翌年、宮崎安澄さんとダブルエースで優勝候補だったけれど、今度は3位に。
筑紫女学園は翌年初優勝。下司則子さんが3年連続出場で、優勝メンバーにという筑女ストーリーでした。
下司則子 PB 2時間27分01秒
https://green.ap.teacup.com/kanchan42195/559.html
宮崎安澄 PB 2時間30分06秒
https://green.ap.teacup.com/kanchan42195/952.html
寺崎史記 PB 2時間30分42秒
https://green.ap.teacup.com/kanchan42195/565.html
この時代までは、高校で活躍した女子選手は「ピークは高校時代」で終わってしまう傾向が多かったような気がしますが、この3人は実業団でマラソンで上記の記録を挙げ、選手生活も短くはなかったかと思います。
ただ、この中では宮崎安澄さんは「Qちゃん二世」とも呼ばれていた逸材だったので、2時間25分台くらい出してもおかしくはないランナーでしたね。
(そういう周囲からの過度なプレッシャーもあったかもしれませんが)
下司則子さんは長身で、その前の世代なら朝比奈三代子選手、今なら山ノ内みなみ選手に似た感じだったでしょうか。
コメントどうもありがとうございます。
そうでしたね。
活躍のシーンが思い出されます。