井上ひさし「自家製文章読本」を読んでいたら、P.159に折口信夫の校歌のことが書いてありました。
一番が朝、二番が昼、三番が夜、という基本パターン。
そして、その一例として新潟市立山の下中の校歌のことも書いてありました。
そうなのか!と思って、山の下中のHPを見たら、一番しか出ていないし、作詞者名も書かれていません。
誇らしく書かれていてもいいように思いますが、ちょっと古めかしい?
県内では三条第二中の校歌も折口信夫作品。
こちらはPDFファイルで載っていました。「釈迢空」の名義でした。
新潟県と何かつながりがあるのかどうかわかりませんが、校歌を依頼するというのは、校長がつてを頼って連絡するのか、学校の立地や様子を伝えないことには書けないでしょうし、どういう経緯があったのか。
相馬御風作詞の校歌は、県内にたくさんありますが、新潟県糸魚川市出身で、つながりはよくわかります。
「自家製文章読本」は、そういう観点では書かれていないので、折口信夫の校歌のことは「冒頭と結尾」の章に出てきた話です。
一番が朝、二番が昼、三番が夜、という基本パターン。
そして、その一例として新潟市立山の下中の校歌のことも書いてありました。
そうなのか!と思って、山の下中のHPを見たら、一番しか出ていないし、作詞者名も書かれていません。
誇らしく書かれていてもいいように思いますが、ちょっと古めかしい?
県内では三条第二中の校歌も折口信夫作品。
こちらはPDFファイルで載っていました。「釈迢空」の名義でした。
新潟県と何かつながりがあるのかどうかわかりませんが、校歌を依頼するというのは、校長がつてを頼って連絡するのか、学校の立地や様子を伝えないことには書けないでしょうし、どういう経緯があったのか。
相馬御風作詞の校歌は、県内にたくさんありますが、新潟県糸魚川市出身で、つながりはよくわかります。
「自家製文章読本」は、そういう観点では書かれていないので、折口信夫の校歌のことは「冒頭と結尾」の章に出てきた話です。