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イタグレと暮らす戌年男のブログ

 イタリアングレーハウンド(イタグレ)と過ごす中で、家族、趣味、出来事についての感想などを書きたいです。
 

過去からのメッセージ

2020-05-15 20:06:59 | 
 週刊朝日に司馬遼太郎講演録が載っていました。
 1985年11月9日に行われたもの。
 大阪府公文書館開設記念講演。
 資料を保存することの重要性・意義が語られているのですが、35年前の過去から現在に向けてのメッセージと思える話もたくさん載っていました。

 日露戦争後のことで、
 『日本は世界一強いとか、ロシアをやっつけたとか、訳のわからないことを言う』
 ロシアをコロナと言い換えそうな現在の危うさを感じたりして…。

 『戦争に反対すると自分の昇進にかかわると思うから反対しない』
 政府・政権に反対するとに言い換えれば…。
 
 『よその国の資料を読めば、だれでもわかります』
 他国のデータを参考にして欲しいのに、してないです。

 『しかし、残念ながら、資料軽視という伝統が日本にあるんです』
 
 『公文書館といった儲かるわけではないものをどれだけ多く持っているかが文明の尺度です』
 講演が文書館開設記念ですから、その点を踏まえてというのもあるでしょうが、これまた現在もっとも重要視されるべき公文書がどんどん廃棄されるというのを考えると、とても的確かつ重要な話だと思いました。
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気持ちの切りかえはどうやって

2020-05-14 20:10:48 | 
 週刊朝日の連載小説「朔が満ちる」(窪美澄)
 クライマックスかも…という場面。

 史也が梓の母親が働いている小料理屋に行って「ここにいるから」と住所を書いたメモを渡してきたのが、先々週の話。先々週は合併号で、2週間待って(読者がです)、夜遅くに母親が訪ねてきました。
 
 挿絵を見て、どういうこと?と思いました。頭を踏みつけている絵(by agoera)。
 
 読んでいったら、状況を書いたものでした。
 『床に手をついて頭を下げる』文字にはないけれど、土下座の格好だと思います。謝罪。
 梓は踏みつけました。
 「どうして捨てた!」から始まって、思いの丈をきつい言葉でぶちまけました。
 持ってきてくれたちらし寿司を、彼女の頭にぶちまけました。
 最後に手を振り上げたけれど、それは寸止め。

 全部書き写すわけにはいかないけれど、さすがにそこまでやるか、という踏みつけ。

 でも、ものすごく感情的になっているわけではない。
 というより、お母さんが帰ってからの話しぶりはすごく冷静。
 寸止めは『あの人の手を見たらさ、ものすごく手荒れしていて……それを見たら殴れなかった』という理由。
 感情的になっていたら、そんなことで寸止めはできない、と思います。

 さらに、そのあと、梓と史也は初めて結ばれるのです。

 そういう気分の切りかえはどうやったらできるんでしょう?

 ある意味才能、ある意味素直。
 「今泣いたカラスがもう笑った」というのは、たいていが子供に対していうこと。
 というか、子供でないとそこまでの切りかえができない。
 大人になると、感情を引きずってしまう。だから、なるべくけんかは避けよう。会議の時も激論は避けようと思ってしまいやすい。
 それでも、感情をあらわにしてしまうと、そこから普通に戻すのが大変。
 というのが自分の経験を含めて、思うことです。

 梓は、実は母と会えたことが嬉しくて、それを素直には言えないから態度も言葉も過激になったのかなとも思うんだけれど、そこは小説ですからどうかな。
 また現実だとしたら、もっと過激なことをするかも?

 梓と史也が恋人同士であることを確かめ合って、そろっと最終回でもいいように思うけれど、まだ22回なのです。
 ということは、まだまだ二転三転とかあるの?
 
 梓と史也、それに史也の伯母さん、あるいは史也の会社の人たち…、いい人がたくさん登場しているんだから、あんまり暗転するような展開になって欲しくないんだけれど、梓を引き取った病院との悶着は起こりうるか…。
 その前に史也と父親の対面で何かが起きる?
 続きが気になる連載小説です。
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「危機になると人々はオープンになる」

2020-05-14 09:38:02 | 
 週刊朝日の連載「2020年、お金と世界はこう動く」(ジム・ロジャーズ)に、
 「危機になると人々はオープンになる」という文章がありました。

 「オープン」の意味がわかるようなわからないような。
 「危機になると人々は本音を出す」というふうに受け取っていいのかな?
 例えば、土曜の夜NST(フジ系)で放送しているドラマ「隕石家族」
 地球に巨大隕石が衝突する。あと○○○日とカウントダウンされる中、人々は本音で生きている。疎開する人もいれば、結婚前に好きだった人と一緒に過ごしたいとか、同性愛をカミングアウトしたり。

 ドラマだとしても、「危機になると人々はオープンになる」を表現しているような気がします。

 本音を出すという点では、現在の日本でも、県外ナンバーの車に対して、邪魔者扱いをするような行為をするという出来事が起きているようですし、自分の(自分たちの)本音をオープンにする、そういうことなのかなと思いました。
  
 国と国でも、そういうことは起きているみたいですし。
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テレビで聞いたことを本で読む

2020-05-12 11:37:47 | 
 NHK出版新書『「松本清張」で読む昭和史』(原武史)

 Eテレの「100分de名著」で取り上げたことを、本にしたという成り立ちですが、番組内容よりもさらに詳しいです。

 そういう中で、「この部分は番組で聞いたなぁ」と思い出せるのは何だか自分の記憶を確かめているというのか、「それ知ってる知ってる」みたいな感じというか、読み進む上でプラス効果があります。

 今は、ネット学習とかオンライン教育とか言われていますが、Eテレが教育テレビだった時代、学年ごとの各教科が番組編成されていて、それを学校で見るということありました。

 教室にテレビが入ったのは、小学校高学年の頃で、それまでは、どこか特別な教室で見たのかな? 例えば視聴覚教室とか。
 教室のテレビは、教育テレビ専用ではないですから、各チャンネルが映ります。
 4時間目が社会の時間だと、授業の後半はプリントに書かれていることを、各自がノートにまとめる時間で、早く終わった人は先生と一緒に(?)、「ベルトクイズQ&Q 」を見たりしてました。
 増田貴光さんが司会をしていた時代。
 「日本を取り巻く海を4つあげよ」で、太平洋、日本海、オホーツク海まではわかっても、もう一つが「有明海」なんて言ってたなぁ。正解は東シナ海。小学生には東シナ海より、有明海が身近だったか…。
 
 曲名を答える問題で「赤いリンゴにくちびる寄せて…」と流れて、どちらかの方が元気よくボタンを押して「リンゴかわいやかわいやリンゴ」と答えたら、増田貴光さんが笑ってしまって、それが止まらなくて、アシスタントの女性の方が何とか進めていました。正解は「リンゴの唄」
 小学生にはわからなかったけど、増田貴光さんは当然わかっていて、それなのに、答えがあまりにおかしいというのか、ツボにはまったんだろうと思います。

 やっぱり授業は学校でやるのがいいですね。

 と話がそれてしまいましたが、番組で見たことを読書で再現する。すごくいいことだと実感しています。
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一番の悪は結局無傷のまま

2020-05-10 09:43:12 | 
 『「松本清張」で読む昭和史』(原武史)の第一章は「点と線」を取り上げています。

 Eテレの「100分de名著」の時に出てきた話もあるけれど、それ以上に詳しくなっています。

 結論的な部分で『「一番の悪は結局無傷のまま」というのは現代に通じる』と。まさに現在のことなんですね。
 『汚職の渦中にいた官僚がいつのまにか出世するのは、いまも昔も変わらぬ現実』とも。

 汚職の部分は、「点と線」の内容がそうであって、現在は汚職とは限らず、大きく言えば不正、具体的には文書改竄とか、手続き上の不公平とか、いろいろありそうです。

 「点と線」をもう一度読んでみたくなって本棚から取り出しました。
 原武史さんの本も、読み進めたいし、なかなか時間が足りません。
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円谷幸吉さんのアキレス腱手術

2020-05-06 20:26:50 | 
 岩波ブックレット「やっぱりいらない東京オリンピック」を読んでいたら、円谷幸吉さんのことが書かれていました。
 p.39。

 東京オリンピック後のこと。
 『過度のプレッシャーのなか、オーヴァートレーニングで腰椎ヘルニアを発症し、アキレス腱も断裂する』

 そうだったっけ? 腰椎ヘルニアは確かとして、アキレス腱断裂もあったっけ?
 何を調べるか? 過去に読んだ円谷さんに関する本。小学館文庫「オリンピックに奪われた命」(橋本克彦)で調べました。

 p.268に「体育学校での練習中に右アキレス腱の一部が切れたのだ」と書いてありました。部分断裂だったんですね。

 アキレス腱断裂といったら、完全に切れてしまったような印象で、そのあたりは微妙な記述のように思います。

 腰椎ヘルニアに関しても、「オリンピックに奪われた命」では椎間板ヘルニアとなっていて、これも同義なのか、微妙に違うのか?
同書にはさらに、手術の順番も書かれています。
 『術後の治療期間が長びく椎間板ヘルニアの手術を先に行い、その間にアキレス腱手術を行うことになった』
 『昭和42年8月6日の朝刊各紙には円谷幸吉がアキレス腱の手術を行うという小さな記事が出た』
 『椎間板ヘルニアについては何もふれられていない』

 自分の記憶の確認ともいえるんだけれど、活字になっているものは全て正確とは限らないし、事実であっても詳細は一言二言では到底表せないということも多いと思います。
 今回は調べる手段があって、ラッキーでした。
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八方美人→他国では?

2020-04-30 09:18:35 | 
 週刊朝日の書籍コーナー「週刊図書館」
 ベスト・レコメンド(永江朗)で、「世界ことわざ比較辞典」(岩波書店)が紹介されていました。

 例として「八方美人」も載っていました。新しいことわざであると。
 ヨーロッパでは「友の多い者に友はいない」(古典ギリシア語)、「みんなの友は誰の友でもない」(ラテン語)と、日本で使われているのと似ています。

 一方、韓国語では「何でもできる人」ずいぶん違ってます。almightyを意味するのでしょうか。
 中国語の「八面玲瓏」は「誰とでも円満にうまく折り合える人」。日本の「八方美人」とはイメージが逆転すると。
 
 「玲瓏」は好きな言葉というか、羽生善治九段が揮毫する言葉として知って、とてもいい言葉であると理解しています。
 「八面玲瓏」いいですね。「令」の文字はどうもよろしくない。「玲」であったり、「怜」であれば、現在の世の中がずいぶん違っていたのではないかと思える昨年からの日本の様子です。
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小説とはいえ家庭内暴力のシーン

2020-04-25 09:55:30 | 
 週刊新潮の連載小説「8050」(林真理子)。

 引きこもりの息子をかかえる両親。
 これからどうなるんだろう…、という日々。
 娘(姉)の結婚話が進んで、相手の男性が挨拶に来て、とても好ましい青年。こちらは希望の光。

 ところが先週号で大波乱の予感。相手の男性が母と一緒に来訪。「家で作っている野菜がたくさんとれたから食べてください」
 はっきりいって、それを口実に相手の家の様子を見に来たのではないかという、現実世界でありそうな話。
 先週号では、来訪に気付いた息子が上の階から猛烈な音で下りてくるというところまで。

 今週号では大暴れ。とうとう父が「110番しろ」と妻に指示。
 究極ですね。息子が暴れて、親が110番。
 ところが、警官が来たら、即座にしおれる息子。「暴れすぎてしまいました」と反省する。そうすると、警官も「家庭の問題は家で解決してください」「警察は民事に介入できないんです」と帰ってしまう。

 暴れるシーンがあまりに過激というか、文章であって、映像ではないし、マンガのように絵があるわけでもないのに、その様子が目に浮かぶような記述。さすがです。
 そこに感心するわけですが、現実にありそう。

 息子さんが暴れる気持ちもわかる気がします。昼夜逆転の生活してますし、その中で楽しい話し声が気に障る。聞こえないはずと家の作りを説明してますが、聞こえると思います。

 また、姉の結婚相手に「あのインランなバカ女と結婚する相手かよ」と言ってしまう。
 すごくひどい物言いだけれど、嘘じゃない。学生時代、その男性ではない人を家に連れ込んで、上の階にまで聞こえるような激しい交わりをしていたというのを以前の回で書いていましたから。

 何ともすごいことですが、家庭内暴力ではなく、中学校が荒れていた時代、1980年代前半、陸上競技の大会中に、乱入してきた暴れた生徒という場面に遭遇したことはあります。警察は呼んでいません。
 自分たちを含め、適切な判断、行動で、けが人を出さず、おさめることができました。

 今はそうはいかないんでしょうね。それが家庭内であれ、学校であれ。

 すごい話で進んでいますが、この家族どうなっていくのか。続きが気になります。
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「あんたら、本当にお似合いだね」

2020-04-17 12:45:38 | 
 週刊朝日の連載小説「朔が満ちる」(窪美澄)。
 
 史也と梓は、故郷に行って伯母さんに会ったり、撮影のために行った保育園で、幼いときの梓を知る園長に出会ったり。

 梓の登場は、看護師でありながら、夜の顔もある、そういう女性だったのに、実はすごくいい人で、本当の優しさを知っている。反面、自分の過去を考えると、もろさも持っていて壊れそうな所もある。

 史也も過去の痛手という点では、梓とは違う形で深い傷を持っている。

 それが二人を引き寄せているという面はあると思います。
 にしても、二人の関わり方は素敵です。一緒の布団に入っていても、ぬくもりや安らぎを感じても「今はセックスしないからね」と言える梓です。

 で、今週号の終わり近く、伯母さんに「あんたら、本当にお似合いだね」と言われます。
 その様子、すごく想像できます。内面(うちづら)と外面(そとづら)があって、人前では仲がよさそうでも、その実、二人きりになると全く違った方向を向いている、そういうカップル・コンビもいると思います。

 史也と梓は、見るからにお似合いなんでしょうね。パッと見てわかる。

 これからどういうふうに展開していくのかわかりません。傷がある以上、それが再度うずいたり、開いてしまったりということがないとは言えないでしょう。
 でも、そうはなって欲しくない。
 お似合いのまま進んで欲しいです。
 
 それだけではないけれど、続きが気になる連載小説です。
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ODは何の略?

2020-03-01 04:30:30 | 
 週刊朝日の連載小説「朔が満ちる」(窪美澄)。

 今週号に「ODをしたときのような風邪を引いたとき特有の薬臭さが部屋のなかに充満している」という文章がありました。

 ODがわかりませんでした。オーバードラッグかなと思ったけれど、ドラッグだと違法薬物みたいで、この話の中では違うように思います。

 調べてみたら、沖縄県の「学校における薬物乱用緊急マニュアル」というPDFファイルにODの説明が出ていました。
 インターネットもすごいし、沖縄県の資料も詳しくてすごいです。

 『オーバードーズ(OD)は大量服薬と表す通り、薬の多量摂取をする自傷行為のひとつ』
 行為としてはそうだろうと思いました。オーバードーズ。
 単語としてはover dose。doseは服用量。

 よくわかりました。

 「朔が満ちる」は続きが気になる小説です。
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