去年10月から3か月間、メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』の創刊10周年を記念して本欄で実施していた「コラム再録」を3か月間延長のうえ、半分の頻度で実施する「コラム再録延長」が、今月からスタートしました。
きょうの延長2本目は『「問題」でもなく「生き方」でもなく』。「不登校・ひきこもりとは何か」を考えるための出発点とも言える、大げさに言えば筆者なりの“定義”を提示した短文です。
『ごかいの部屋』で筆者は、2002年10月の創刊から半年間、自身の体験記をつづっていました。それが終わって2003年度からは、自分の体験にとどまらず不登校・ひきこもりの多くに共通するであろう点を論述していくわけですが、この文章はその第1弾であり、以後現在にいたるまで貫かれている“不登校・ひきこもり像”の柱となったものです。
ここに記されている「生きざま」という言葉は「<なるほど!>と膝を叩いた」(元当事者)、「一般の人にも当てはめることができる表現だと思った」(研究者)などと広く受け入れられています。
不登校・ひきこもりへの見方が変わる方がおられるかもしれませんので、ぜひご一読のうえ、よろしければコメントをくださいますようお願いいたします。。
では、遅くなりましたがこのあと掲載します。
きょうの延長2本目は『「問題」でもなく「生き方」でもなく』。「不登校・ひきこもりとは何か」を考えるための出発点とも言える、大げさに言えば筆者なりの“定義”を提示した短文です。
『ごかいの部屋』で筆者は、2002年10月の創刊から半年間、自身の体験記をつづっていました。それが終わって2003年度からは、自分の体験にとどまらず不登校・ひきこもりの多くに共通するであろう点を論述していくわけですが、この文章はその第1弾であり、以後現在にいたるまで貫かれている“不登校・ひきこもり像”の柱となったものです。
ここに記されている「生きざま」という言葉は「<なるほど!>と膝を叩いた」(元当事者)、「一般の人にも当てはめることができる表現だと思った」(研究者)などと広く受け入れられています。
不登校・ひきこもりへの見方が変わる方がおられるかもしれませんので、ぜひご一読のうえ、よろしければコメントをくださいますようお願いいたします。。
では、遅くなりましたがこのあと掲載します。