ヒュースタ日誌

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コラム再録延長(1)『芯付きラッキョウ風玉ねぎ』

2013年01月09日 12時34分58秒 | メルマガ再録
 おせち料理の新しい食材ではありません(あったら食べてみたいですが)。

 私は最近、人の心を食べ物にたとえると「芯付きラッキョウ風玉ねぎ」みたいなものだな、と思うようになりました。

 ご存知のとおり「ラッキョウ」は、皮が幾重にも重なっているが芯はない、という食べ物です。
 一方玉ねぎは、いちばん内側に皮になりきらない部分があり、これが芯と呼ばれます。

 要するに「芯付きラッキョウ風玉ねぎ」とは「皮はラッキョウのように幾重にも重なっていて、いちばん内側には芯がある玉ねぎ」のことです。

 さて「芯付きラッキョウ風玉ねぎ」を人の心にたとえますと、最も純粋で本能的な要素――「本音」「無意識からの欲求」――で形成されているものが「芯」です。これに、その人が育つなかで取り込んできた常識という要素――「建前」「規範意識」――で形成されている<皮>が、まわりを幾重にも包んでいます。

 一般的に不登校児やひきこもり青年の場合<芯>を形成しているのは「自分に合った生き方がしたい」「もっと自然に生きたい」「自分を創り直したい」などという欲求だと思われます。

 一方、登校しようとして失敗して「きょうもダメだった」と落胆したり、社会人と自分を比較して「自分はダメ人間だ」と考えたりするたびに<芯>のまわりに<皮>が形成され、外側に向かって重なっていきます。

 こうして「学校に行けない」「社会に出られない」という「規範に反している自分」という考え方感じ方を繰り返すにつれ<皮>が分厚くなり<芯>がどういう要素で形成されていたかが忘れられていくのです。

 多くの不登校児やひきこもり青年が身動きがとれないように見えるのは、彼らの心がこのような「玉ねぎ構造」になっている――常識に包み込まれて自分自身を見失っている――からです。

 このように考えると、彼らが楽になり動きやすくなるには、この「玉ねぎ」の<皮>をむいて<芯>が見える状態にする作業が必要だということになります。私が当メルマガで繰り返し提案している対応は、まさにそういう作業のことだと言えます。

 では「<皮>をむく」とはどういうことでしょうか。

 多くの不登校児やひきこもり青年の心=玉ねぎには、前述のように自己否定的な考え方感じ方で形成されている<皮>が幾重にも重なっています。そのため、この<皮>を一枚一枚むいていかないと<芯>にまで到達しません。

 この場合の「<皮>を一枚一枚むく」というのは、本人が考えていること感じていることに、ひとつひとつ対処していくことを指します。

 ただ、この「対処する」という対応は、多くの場合一筋縄ではいきません。169号でお話ししたように「そんなことはないよ」とか「こう考えたらいいじゃないか」などとまともに反論していては、本人は「自分の考えていること感じていることを否定された」としか受け取らないからです。

 そのため、ひとつひとつのテーマを細大漏らさず一緒に悩みながら考える、という対応が望ましいことになります。

 こう言うと「それはラッキョウの皮をむくようなものではないか」と反論されるでしょう。「ラッキョウの皮をむくように・・・」と言うのは、むなしいことをしている、答えの出ない問いを追求している、などという意味を持つ表現です。「ラッキョウには芯がないから、いくら皮をむいても何も出てこない」ということから来ています。

 確かに、本人は取り返しのつかないことにこだわっていたり、答えの出ない問いを繰り返していたりします。そのため、本人が親をつかまえて堂々巡りの話を延々と続けている場合が少なくありません。

 これは一見「ラッキョウの皮むき」そのものです。しかし、このような混迷の先に<芯>が見えてくるなら、これは「玉ねぎの皮むき」にほかならないのです。

 もちろん、これはご家族にとってはとても大変なことです。本人のこだわりが強いほど一緒に考える時間が長くかかりますし、本人の状態によっては考えているうちに荒れてしまう場合も少なくありません。

 玉ねぎの皮をむくときに目が痛くなって涙が出るのと同じように、本人の心=玉ねぎの<皮>をむくときも、実際に涙を流すこともあるくらい、本人にも家族にも大きな苦痛を強いる作業になります。
 そこで、そういう苦痛を軽減するため、ほんとうの玉ねぎの皮むきと同様工夫が必要になります。

 工夫と言っても、特別なことではありません。本人が荒れないコミュニケーションの仕方、体力的時間的に無理のない方法(「これ以上つき合えない」という一線など)、普段の家族生活の楽しみ方、家族以外の人からの協力の得方、等々を考え実行するだけです。これを不登校・ひきこもりに詳しい相談員などに相談しながらできればなお安心です。

 そういう工夫によって苦痛が軽減したら“心の皮むき”は順調に進み「納得したところで話を切り上げるようになった」「あれほど言い募っていたことを言わなくなった」などという変化が出てくるわけです。

 具体的な“<皮>のむき方”を含め、不登校児とひきこもり青年への対応について、今年も毎月考えていきたいと思います。


2010.1.13 [No.173]


文中で挙げられていた169号を読む

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