よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

本の質感

2010年12月09日 | No Book, No Life


モノカキ稼業を、ひとつの世をシノぐヨスガにしている身にとっては、出版社から届けられる段ボールを開いて、自分の本を視野に納める瞬間は、はやりなにものにも代えがたい。amazon.co.jpで垣間見る自分の本の仮の姿とは、はやり違うといことに気がついた。

世はこぞって、電子ブック・ブームの到来でにぎわっているが、やはり、新品の本の香りとインクの匂いにはある種の「質感」がある。その質感は脳のけっこう深いトコロを刺激してやまない。

しかし、その質感が3000円なにがしかの価格と見合うかと言われれば、??である。紙が丁寧に折りたたまれたBookという媒体は、はやりとほうもない贅沢品なのだ。紙やインクという物的媒体をはなれて、コンテンツのみを電子的に流通させる電子ブックのほうが、はるかに経済的だろう。

たぶん未来の人間は、本当に本のように進化した端末(タブレットやkindleのような装置を柔らかくしてまるで本のような手触りのある装置)でコンテンツを消費し、思索を深め、豊饒な意味をそこに紡ぎだし、あるいはイノベーティブなアイディアをスパークさせてゆくのだろう。そんな近未来の読書の流儀と比べれば、自分のそれは、旧人に属するのだろう。

僕には極度の悪癖がある。というのは、本という本に、グチャグチャとラインを引いたり、余白に感想や批判を書き連ねるのだ。ひどい場合には、本の文脈からふと思いついたアイディアを書きなぐることもしばしば。これでは古本としての価値は消失するが、神保町の古本屋で本を漁るように買っても、売ることはないので、よしとしているのだが。

しかしながら、この私秘的な悪行のお陰で、自分の思索を本に埋め込んで、というか、著者の思考と志向をなぞらえることによって自分のアイディアを深めることができる。その意味で、読書というのは、本を書くための無意識的な助走なのだろう。

高い値段を払って本を買う理由は、そんなところにしかないのではないか。それにしても原稿料や印税を得て、本を書くという所作は、因果なものである。