よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

ジンザイ、中庸の美学

2005年02月08日 | ニューパラダイム人間学
けっこういろんな会社や病院でまことしやかに囁かれているパロディーがある。一言「じんざい」と言っても、いろいろな人がいるというのだ。以下は学説ではなく俗説の極みだが、大切なことの一端はついている。

人財: 高い能力で大きな成果をあげている人。職場、社会から見て財産のような人。
人材: 能力開発途上の人。磨けば光る、いい素材として将来の可能性を秘めている人。
人在: いるだけの人。いてもいなくてもどっちでもいいような人。
人済: 御用済みの人。過去の栄光の人。
人罪: 罪な人。その人がいると周囲が迷惑するような人。

かたや人は皆等しく宝石だという見方がる。人を宝石のように大切にして磨けば人は一様に光を増すという考え方だ。だから人はその個性や能力の差を越えて平等に処遇すべきだと考える。なるほど、美しい考え方だ。

どちらも真実の一端をついてはいるが、ちょっと違う。

はじめからベタッとレッテルを貼るようなジンザイ類型論はあまりにも救いがなさすぎる。ある会社でたまたま人済でも別の会社に移ってから人財になることだってあるだろう。

いっぽう、人は皆宝石だという考え方は一見ヒューマニティ溢れる見方かもしれないが、この見方も単純な決定論にしかすぎない。宝石であるがゆえに、品質=人の質にはやはり「ちがい」がある。「ちがい」があるから、それぞれ磨き方、鍛え方、接し方が違ってくるべきだ。「ちがい」はそれぞれのオンリー・ワンといってもいい。

十人十色の個性、能力をもった人には、それぞれ合った仕事=適所があるべきだ。この考え方を一言で言うと、「適材適所」となる。

俗な「じんざい」論のなかでも、「適材適所」という表現には中庸の美学を見る思いがする。この中庸の美学をHRMのシーンで実務的に翻訳してみるとどうなるか?

適材適所とは、十分に優秀な人材をスクリーニングして採用し、リテインし、またそうでない人がスムーズに流出できる仕組みを動かすこと、となる。

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