よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

Nature talk=「いのち」の共鳴、共進、共時、共創

2010年11月09日 | 自転車/アウトドア
安藤誠さんを呼んで寺子屋セミナーを開きました。「安藤誠~釧路湿原のネイチャー起業家~自然の美、そして生き方」です。このコトのはじまりは今年の夏に自転車で北海道を走ったときに訪れた釧路湿原鶴居での邂逅です。

その折にマコトさんの鶴居のヒッコリーウィンドで講演をして、今度はその逆バージョンです。少人数でとても濃度の濃い時間と意味を共有することができたと思います。


<Master and Tree: 写真の写真>

なにか書こうと思っていたら、すでに参加された方が面白い記事をアップしていました。ありがたいことです。

写真に対してふだんは「瑞々しい」、「清冽な」、「ハートフルな」という形容詞は使いません。しかし、安藤さんのフォトにはこれらの形容詞がなぜかよく似合います。

これらのフォトに埋め込まれている霊妙な物語を、安藤さんは言葉で紡ぎ出して聞かせてくれます。このような所作をInterpretationといい、この専門的なサービスを提供することによって請求書を発行できる人をprofessional nature guideといいます。そして、プロガイドが織り成す言説をNature Talkといいます。

さて、このネーチャー・トークの構造は:

「自然のいのち」⇔「自然の風景」⇔「マコトさん」⇔「フォト」⇔「聴衆のいのち」

となり、イメージを媒介とするコミュニケーションが折り重なっています。両端に「いのち」が置かれていますが、本当はこれらふたつの「いのち」は繋がっているんですね。

だからフォトに接するとジンワリ奥深い感動(というかawareness:「気づき」の気)が心の底からふつふつと湧き上がってくのでしょう。


<ヒッコリーウィンドのブログより転載>

ようは、これらの構図を顕現させるパワーも持ったマコトさんに来ていただき、いっしょに分かち合おうというインスピレーションからこの企画が持ち上がったわけですが。


<ヒッコリーウィンドのブログより転載>

大事なポイントは、イメージ中心のコミュニケーションは、分析的ではなく綜合的、説得的ではなく共感的、批判的ではなく受容的、デジタルではなくアナログ、一方通行ではなく双方向的、因果関係ではなく共時関係ということでしょうか。はしょって言えば、左脳よりは右脳、表面意識よりは深層意識が刺激されることとなります。

上の構図の左側の「自然のいのち」と右側の「聴衆のいのち」が「自然の風景」⇔「マコトさん」⇔「フォト」を媒介にして、共鳴、共進、共時、共創します。ここにサービスや、ケアを分かち合うことの、ひとつの本質があります。

そして、そこでは「意味」が問われます。この経路での「意味」の問いかけこそが現代社会のひとつ課題だと思われます。

ちなみに、不登校の子供たちや心身に問題を抱えている人が、釧路市湿原やその近隣の山、湖沼などに立ち入って時間を過ごすと見違えるほど元気になるそうです。たしかにあのあたりの特殊な原野に立ち入ると、際立った気が充満していて、静かにハイになり、生命力の横溢を自覚できるほどです。

少し前に、上田紀行先生に寺子屋セミナーで「生きる意味」と「肩の荷をおろして生きる」についてお話いただきましたが、そこでは「癒し」がひとつのテーマでした。ビジュアル・イメージを駆使したトークは、イメージによる「癒し」の体験かもしれません。



クマに似ているともっぱらの評判のマコトさんです。

クマと話をしたこと、フクロウと話をしたこと、平原の木立が発する気の話など、次々ととても美しい写真とともに物語が展開されてゆきます。

美しい風景、イメージを、そのまままるごと意識の深い階梯にためておくと(薫習しておくと)、その奥深い階梯から、いろいろなモノゴトが創発してきます。

その奥深い階梯とは、ゲシュタルト、種字、深層意識、シンクロニシティ創発場など、立場によっていろいろな呼び方があります。ようは、いのちの場です。



懇親会も盛り上がりました。

Ordinary miracle.