出会いには理屈が介在する余地はほとんどないのだろう。
出会うべくして出会うことは、Implicated order(内臓秩序)として予定されているのかもしれない。そんなことを釧路湿原北部、鶴居のヒッコリーウィンド(Hickory Wind Wilderness Lodge)の安藤誠さんとの邂逅を通して感じた。
ウィルダネス(Wilderness)とは「自然のままの原野、原生自然」という意味。その名の通り、ヒッコリーウィンドは釧路湿原国立公園のほとりの原野の中の一軒家だ。
鶴居から札幌までの450kmにおよぶ自転車ツーリングの出発地として、まさに最適な地である。
ウィルダネスロッジ・ヒッコリーウィンドは、ネイチャーガイド・カヌー・スローフード・音楽とバーボンなどを提供する、こだわりの宿だ。
物語り、意味のともなわない物質をマテリアル(Material)と呼ぶことにすれば、豊饒な物語りや意味が埋め込まれた人工物(Artifact)をモノと言っていいだろう。そして、モノとセマンティックな文脈が真実に迫る本質を共有している場合、それをホンモノと呼ぼう。
このあたりの事情は、Artifactという英語の背後にも埋め込まれている。通常、人工物と訳されるArtifactという英語は、ラテン語のarte(技術で)という語と、factum(創られた)という語の結び付きから生まれている。至上の技術で創造され豊かな意味が埋め込まれた人工物は芸術(Art)作品とされるゆえんだ。
こんなことをツラツラ思いながらも、ウィルダーネスのさなかにあって、ホンモノがかくも凝縮されている空間には目眩さえ感じる。
そして特上のバーボンを飲み、さらに目眩は昂じてゆく・・・。
リビング・ダイニングにそびえる柱は流木を拾ってきて設えたそうだ。
なるほど、この流木に耳をあてると、潮騒の音が聞こえてきた。
御縁を得て、アメリカ人の親子連れ、モーターサイクル・ライダー、ツーリストの方々と連れだって、阿寒湖の南西に位置するひょうたん沼をカナディアンカヌーで巡る。
阿寒湖、パンケトー、ペンケトー、ヒョウタン沼が雄阿寒岳を取り囲むように横たわっている。
ヒョウタン沼はほとんど人が入らない秘境。
まさにclear blue mountain lake。
原生林に囲まれた静謐。
その静謐さのなかを水生植物、樹木、ニジマス、サギ、猛禽、昆虫など、ありとあらゆる生き物がCosmic dance(宇宙的な舞踏)を繰り広げている。この舞踏会にちょこっと舟に乗って混ぜてもらう。
カヌーと自転車は、その本質において共通点がある。
人が認識する本質は時として述語(主語の動作や性質などをのべる文節や語)に顕れる。
すなわち、大和言葉(北海道で大和言葉は外来の言語なのだが)では、カヌーと自転車に関わることを「漕ぐ」という共通の動詞を用いる。
「カヌーを漕ぐ・・」
「自転車を漕ぐ・・」
自力を用い、自らを律してカヌーや自転車を「漕ぐ」=共起的な律動によって、人はコスミック・ダンスのささやかな一部であるということを身体知として体感するのだ。
カヌーイスト、サイクリストは、この秘儀的なフィールドに参入できる特権的な人種なのだ。
Ordinary miracle(日常にある奇跡)はomnipresent、つまり、いたるところにあまねく「遍在」しているものなのだろう。でもそれが、日常の日常性たるもののために、なかなか体感できない。
カヌーや自転車は、日常のベールの向こう側にあるネーチャーから、奇跡をちょっとこちら側に引っ張ってきて顕現させてくれる道具なのだ。そこでは自然と人間のシンクロニシティが頻繁に共起するし、それらの場を共有する人間同士のシンクロニシティも勢いづく。
阿寒湖アイヌコタンにたっているポール。
安藤誠さんと親交のあるアイヌ彫刻家の藤戸竹喜氏のアトリエにて。
ホンモノが処せましとメッセージを発している。
夜は素敵なスペースで小さなトーク。
Talk of poems, prayers and promises...といきたいところなのだが、サイクリストの視点から見たいろんな話。暖かい方々に囲まれてついつい話すぎ。
***
圧巻はトークが終わってからの深夜のカヌー。
夜の夜中に人っ子一人いない、ウィルダーネスの湖沼をカヌーで巡るというのは生まれて初めての経験。
昼間のヒョウタン沼とは全く異なる別世界がそこには展開される。
静謐を越えた静寂、寂寞の空間だ。
スターン(自転車で言えばリア)に乗る安藤誠さんのリードとヨークのカオリちゃんのアシストを得て、バウ(自転車で言えばフロント)ポジションに乗って漆黒のヒョウタン沼を巡るという究極のネイチャー・ガイド・サービスだ。
パドルが水面を愛撫するように漕ぐ音のみ。なにも話さない、圧倒的な豊かな時間。
おもむろにムックリを奏で始めるマコトさん。
白と黒のグラデーションの世界は、ムックリの音色とバーボンを得て、一気にcolorfulな世界へと転換し始める。
やがてボートは暗い森の中へ。
その漆黒の空間は、木立の甘い香りに充ち溢れ、木霊が充満している。
突然、ぽつり、ぽつりと雨が降り始め、やがて湖面は驟雨に包み込まれた。
***
2泊3日のとても充実したと時間をすごした。安藤さんご夫妻とアシスタントのカオリちゃん(三ツ山佳織さん)のおかげ。
なるほど、プロフェッショナル・ネイチャー・ガイドはクライアントとサービスを共創(Co-creation)し、共進(Co-evolution)させるのだ。サービス・イノベーションについてあれやこれや書いている身にとって、実に意味に満ちた示唆的なレッスン。
ともあれ、ここでは意味に充満した時間が異次元の中でゆったり流れている。ここで得た思索はいずれ専門書ではない、ライフワークとしてのNature Writingに結実させよう。
明日からは自転車を漕いで襟裳岬を目指す日々が続く。
出会うべくして出会うことは、Implicated order(内臓秩序)として予定されているのかもしれない。そんなことを釧路湿原北部、鶴居のヒッコリーウィンド(Hickory Wind Wilderness Lodge)の安藤誠さんとの邂逅を通して感じた。
ウィルダネス(Wilderness)とは「自然のままの原野、原生自然」という意味。その名の通り、ヒッコリーウィンドは釧路湿原国立公園のほとりの原野の中の一軒家だ。
鶴居から札幌までの450kmにおよぶ自転車ツーリングの出発地として、まさに最適な地である。
ウィルダネスロッジ・ヒッコリーウィンドは、ネイチャーガイド・カヌー・スローフード・音楽とバーボンなどを提供する、こだわりの宿だ。
物語り、意味のともなわない物質をマテリアル(Material)と呼ぶことにすれば、豊饒な物語りや意味が埋め込まれた人工物(Artifact)をモノと言っていいだろう。そして、モノとセマンティックな文脈が真実に迫る本質を共有している場合、それをホンモノと呼ぼう。
このあたりの事情は、Artifactという英語の背後にも埋め込まれている。通常、人工物と訳されるArtifactという英語は、ラテン語のarte(技術で)という語と、factum(創られた)という語の結び付きから生まれている。至上の技術で創造され豊かな意味が埋め込まれた人工物は芸術(Art)作品とされるゆえんだ。
こんなことをツラツラ思いながらも、ウィルダーネスのさなかにあって、ホンモノがかくも凝縮されている空間には目眩さえ感じる。
そして特上のバーボンを飲み、さらに目眩は昂じてゆく・・・。
リビング・ダイニングにそびえる柱は流木を拾ってきて設えたそうだ。
なるほど、この流木に耳をあてると、潮騒の音が聞こえてきた。
御縁を得て、アメリカ人の親子連れ、モーターサイクル・ライダー、ツーリストの方々と連れだって、阿寒湖の南西に位置するひょうたん沼をカナディアンカヌーで巡る。
阿寒湖、パンケトー、ペンケトー、ヒョウタン沼が雄阿寒岳を取り囲むように横たわっている。
ヒョウタン沼はほとんど人が入らない秘境。
まさにclear blue mountain lake。
原生林に囲まれた静謐。
その静謐さのなかを水生植物、樹木、ニジマス、サギ、猛禽、昆虫など、ありとあらゆる生き物がCosmic dance(宇宙的な舞踏)を繰り広げている。この舞踏会にちょこっと舟に乗って混ぜてもらう。
カヌーと自転車は、その本質において共通点がある。
人が認識する本質は時として述語(主語の動作や性質などをのべる文節や語)に顕れる。
すなわち、大和言葉(北海道で大和言葉は外来の言語なのだが)では、カヌーと自転車に関わることを「漕ぐ」という共通の動詞を用いる。
「カヌーを漕ぐ・・」
「自転車を漕ぐ・・」
自力を用い、自らを律してカヌーや自転車を「漕ぐ」=共起的な律動によって、人はコスミック・ダンスのささやかな一部であるということを身体知として体感するのだ。
カヌーイスト、サイクリストは、この秘儀的なフィールドに参入できる特権的な人種なのだ。
Ordinary miracle(日常にある奇跡)はomnipresent、つまり、いたるところにあまねく「遍在」しているものなのだろう。でもそれが、日常の日常性たるもののために、なかなか体感できない。
カヌーや自転車は、日常のベールの向こう側にあるネーチャーから、奇跡をちょっとこちら側に引っ張ってきて顕現させてくれる道具なのだ。そこでは自然と人間のシンクロニシティが頻繁に共起するし、それらの場を共有する人間同士のシンクロニシティも勢いづく。
阿寒湖アイヌコタンにたっているポール。
安藤誠さんと親交のあるアイヌ彫刻家の藤戸竹喜氏のアトリエにて。
ホンモノが処せましとメッセージを発している。
夜は素敵なスペースで小さなトーク。
Talk of poems, prayers and promises...といきたいところなのだが、サイクリストの視点から見たいろんな話。暖かい方々に囲まれてついつい話すぎ。
***
圧巻はトークが終わってからの深夜のカヌー。
夜の夜中に人っ子一人いない、ウィルダーネスの湖沼をカヌーで巡るというのは生まれて初めての経験。
昼間のヒョウタン沼とは全く異なる別世界がそこには展開される。
静謐を越えた静寂、寂寞の空間だ。
スターン(自転車で言えばリア)に乗る安藤誠さんのリードとヨークのカオリちゃんのアシストを得て、バウ(自転車で言えばフロント)ポジションに乗って漆黒のヒョウタン沼を巡るという究極のネイチャー・ガイド・サービスだ。
パドルが水面を愛撫するように漕ぐ音のみ。なにも話さない、圧倒的な豊かな時間。
おもむろにムックリを奏で始めるマコトさん。
白と黒のグラデーションの世界は、ムックリの音色とバーボンを得て、一気にcolorfulな世界へと転換し始める。
やがてボートは暗い森の中へ。
その漆黒の空間は、木立の甘い香りに充ち溢れ、木霊が充満している。
突然、ぽつり、ぽつりと雨が降り始め、やがて湖面は驟雨に包み込まれた。
***
2泊3日のとても充実したと時間をすごした。安藤さんご夫妻とアシスタントのカオリちゃん(三ツ山佳織さん)のおかげ。
なるほど、プロフェッショナル・ネイチャー・ガイドはクライアントとサービスを共創(Co-creation)し、共進(Co-evolution)させるのだ。サービス・イノベーションについてあれやこれや書いている身にとって、実に意味に満ちた示唆的なレッスン。
ともあれ、ここでは意味に充満した時間が異次元の中でゆったり流れている。ここで得た思索はいずれ専門書ではない、ライフワークとしてのNature Writingに結実させよう。
明日からは自転車を漕いで襟裳岬を目指す日々が続く。
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