よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

『徳義有聞、清慎明著』、日本共同体1300年の蓄積 

2009年08月18日 | 日本教・スピリチュアリティ


<佐倉の歴史民俗博物館にて>

奈良時代の律令制度を読むと、今から約 1300年前の昔にも勤務評定や人事考課の評価制度があることが分かる。膨大な数におよぶ公務員のマネジメントは今も昔もシリアスな問題だった。

奈良時代の律令制度の元となった唐の律令には、「建中告身帖」という規定集がある。この「告身」とは、現代風に言えば国家公務員に発令する辞令規定。

官吏の勤務評定を「考」といい、「課」とは「善」や「最」からなる評価項目をいう。この「考」は年度末に一度行われ、一年間の勤務評価を「一考」といい、功労と功罪を考査することを「応考」という。

「律令」考課令 50(一最以上条)によると公務員の人事考課は9段階で行われてたようだ。

評価項目の一つである「善」には 4つあり、これを「四善」といい、官吏としての善行を査定した。

   徳義有聞  ( 道理をわきまえていて、名声の高いこと )
   清慎明著  ( 潔白で慎み深くはっきりしていること )
   公平可称  ( 私心をさしはさまず、称えられること )
   恪勤匪懈  ( 職務を忠実に勤め、怠らないこと )

また、「最」は全部で 27項目あるため 「二十七最」といい、それぞれの職務内容に関係した勤務姿勢を査定したがここでは省略。

                ***

・一最以上有四善。為上上。 
 →(一最を満たし、かつ四善あれば上々とせよ)
・一最以上有三善。或無最而有四善。為上中。
 →(一最を満たし、かつ三善あれば、または(最なくとも)四善あれば、上中とせよ)

・一最以上有二善。或無最而有三善。為上下。 
 →(一最を満たし、かつ二善あれば、または(最なくとも)三善あれば、上下とせよ)

・一最以上有一善。或無最而有二善。為中上。
 →(一最を満たし、かつ一善あれば、または(最なくとも)二善あれば、中上とせよ)

・一最以上。或無最而有一善。為中々。 
 →(一最のみ、または一善のみあれば、中々とせよ)

・職事粗理。善最不聞。為中下。
 →(職務はほぼこなすも、善が一つも聞こえてこなければ、中下とせよ)

・愛憎任情。処断乖理。為下上。背公向私。職務廃欠。為下中。 
 →(感情に任せて仕事を行い、仕事の処理判断が道理に背いていれば、下上とせよ)

・居官諂詐。及貪濁有状。為下々。…(以下略)
 →(公に背き私事に向かい、職務が廃れて欠けるようなことがあれば、下中とせよ。官職にいながら偽り、貪欲で汚れた様が仕事に現れれば、下々とせよ)

                ***

古代の人事考課の目的は官僚制度を維持することにあった。しかし、昇進は勤務年数に比例して自動的になされることが多かったため、実質的な「年功序列制」を下支えしたもの。ただし、劣悪な人材を排除し、優秀な人材を取り立てるというメリットクラシー性もあったはあったが、この性質は次第に希薄となっていった。

「善」や「最」の定義からも分かるように、評価対象は業績ではなく、態度である。善き仲間の一員として制度維持に貢献する態度、姿勢を積極的に評価し、業績要素を軽んじると、その組織は、本質的に機能組織ではなく共同体となってゆく。

共同体化させることが本能的に好きだった日本人は当時のワールド・スタンダードの唐律令制を外形的にコピーして機能組織の素振りを垣間見せるが、「運用」面で着々と共同体化の知恵を蓄えていった。

外形的には機能組織だが、内面的には共同体。この二重性を同時に合わせ持たせたところが古代支配階級のひとつの知恵だったのだろう。「いっしょに居て仲間になること」の"ヒューマニスティックな原理"、つまり、一神教を受容しない多元・多層・多神的な人間中心主義=日本教はこうして運用を通して制度化されることとなる。そして1200年後の明治時代に一気にこの特質が、日本の人事制度一般に拡がっていった。大東亜戦争敗戦後の人事制度変化は表面的なものであると見立てられる。

外形的には機能組織だが、内面的には共同体という伝統(日本的風土病でもあり免疫でもある)は、現代日本の官僚制度をはじめとして、軍隊、民間企業にも通底するように継承されている。