よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

仲間主義、日本教というエートスが顕現する日本人事制度史観

2009年06月13日 | 日本教・スピリチュアリティ



日本組織の骨格を成すものが日本的人事制度である。そして日本的人事制度を俯瞰、鳥瞰するときに役立つのが日本人事制度史観だ。日本人事制度史観に立つと、日本の人事制度はおおむね20年ごとに大きく制度変更を遂げてきたことが分る。

畢竟、日本教の実行形式は、日本人が働く企業の現場にも存在する。そして日本人の生き方、働き方を規定するのが人事制度である。すなわち、日本的人事制度を分析することは、日本教と日本資本主義を解明する一助になるであろう。

日本的人事のエッセンス、蘊奥は仲間主義である。人事制度は、過去、年功制、職能資格制度、成果主義と変遷してきているが、仲間主義は仲間の対象は変化しつつも一貫して保持されてきている。

●第1期:1950年~1960年代

この時代、敗戦の焦土から日本は復興しつつあった。新産業が勃興して企業は組織的な拡大にまい進した。機能体の衣を纏いつつ国民の生活を保障する共同体として企業が登場したのだ。この時代の人事理念は「生活保障」に尽きた。

役職が最もビジブルなステータスだった。拡大基調にある組織では、係長、課長、部長、役員というようにタテ方向に上がっていける機会は多く、単純な職階制度がとられた。社員は仲間とみなされた。善き仲間には評価は不要。したがって暗黙的な年功評価が中心だった。

賃金も年功給がベースとなり、その上に役職給が乗るという構造が中心だった。ベースアップは、賃金表の書き換えと定期昇給によった。イケイケドンドンの時代、人事制度は後手後手に回るものでよかったのだ。

一社懸命に働けば、役職も得ることができる。そして会社は社員という仲間を拡大し囲い込んでいった。独身寮、世帯寮にはじまり、企業による福利厚生の提供が正当化された。

農村共同体が崩壊し、企業に雇用される都市住民が急増していった。こうして企業は、機能体でありながらも代替的な共同体(Gemeinde)として発展していった。善き仲間の一員でいること、その仲間から仲間と見たれられることが、なにより重要なことだった。

この時代の人事制度の分析・記述は、日本組織を相対化して観察することができる外国人の視点が中心だった。その代表格がジェームズ・アベグレンである。終身雇用(Lifetime employment), 年功賃金(Seniority-based wages), 定期雇用(Periodic hiring), 企業内訓練(In-company training), 企業内組合(Enterprise union)などの概念が定式化された。

●第2期:1970~1980年代

オイルショックなどを契機として、拡大基調にあった企業組織に陰りが見えてきた。このような時代に登場してきたのが、職能資格制度

職能資格制度は日本ならではのユニークな制度だ。職能資格制度とは、従業員の職務遂行能力、略して職能の程度に応じて内部労働市場、つまり、会社や会社グループの閉じた会社空間にのみ有効な”資格”を付与する制度。

1970年代を中心にして企業社会に流行し一部上場企業のうち9割くらいが、この制度を運用しているといわれる。「年功的な人事を見直し、能力基準の人材登用を可能にする」「役職にとらわれることなく、人の能力を基準にして処遇する」、「人を重視する人本主義の具体的な制度への反映」などという言説が流行ったものだ。

一言でいえば、過去の主流すなわち職階・年功主義に対するアンチテーゼとして登場し普及してきたのが職能資格制度。しかし10年、20年するうちに年功運用的色彩が織り込まれ、年功資格制度になってしまったと見立てられる。その背景:

・社内職能資格には標準滞留年数がある。能力が急進すれば職能資格も急上昇するはずだが、社内職能資格は急上昇しない。能力が劣化しても、職能資格が落ちることはまずない。

・人事評価は、職務遂行能力に対して公正になされることが期待されたが、職場では明確な優劣をつけることが憚られる。評価における中心化傾向が顕著となった。

・職能資格の付与は年功的になる。そして職能資格にリンクしている職能給は、結果として年功給になっていった。

例えば、経理部の責任者である「経理部長」は”役職”であるが、責任者ではないが経理部において部長級の仕事をする人としての「経理部 部長」は”職能資格”である。「マーケティング部長」は”役職”だが、「マーケティング部 参与」や「マーケティング部 部長格」は”職能資格”ということになる。

ポストによるモチベーションはかなわなくとも、資格による選別とモチベーション維持策が行われるようになった。長期安定雇用を前提にした共同体の仲間づくり、仲間の維持は、まだまだこの時代の大きなテーマだった。

この時代には、参与的観察者が登場した。職能資格制度のイデオローグとして楠田丘や弥富拓海、弥富賢之などの活躍を見る。また経営学領域で日本的人事を研究対象とすることがなされるようになった。

●第3期:1980年~1990年代
グローバライゼーションが昂進した時代、それまでの共同体としての企業組織に成果主義すなわち機能体の原理が持ち込まれるようになった。

第1期、第2期は共同体の原理が中心だったが、この時代のカギ概念はそれまでの原理と異質な「成果主義」。そもそも成果を計量的に測定するためには、職務(Job)の内容が確定している必要があるのだが、共同体でありつづけた日本の組織では、職務(Job)という概念が疎外されてきた。

米国では、機能組織としての企業経営、人事制度運営の蓄積がある。よって1980年代以降、米国発のHuman Resources Management系のプロフェッショナル・ファームが日本でもクライアントを持ち始める。職務分析(Job Analysis),職務評価(Job Evaluation),目標管理(Management by Objectives), 成果主義賃金(Pay for Performance)といった手法が本格的に和風に調整されて日本の大企業を中心として移植された。

企業と従業員のGive and Takeの「場」としての職務(Job)を確定し、目標管理でさらに精緻化し、目標の達成度に見合った職務給を支給するという新たな方向性は、共同体原理と先鋭な対立と雇用者側の鬱勃たる不満をもたらした。第1期、2期の郷愁と決別できていない中高年層にとって、この不満は大きなものだ。

企業組織に内包される従業員から、企業へ能力と成果を売り、その見返りとして報酬を得るというGive and Take方式は、なるほど、仲間関係に機能主義を持ち込んだ。その結果、仲間はより厳しく選別されるようになった。しかしながら、成果主義は、管理職→一般職という順番で導入されてきた経緯があり、役員階層は成果主義を運用する側であって、なかなか成果主義の対象とはならなかった。

人間には機能体的人間関係の中で自分の実力を発揮していきたい、という成果主義的な願望と共同体的人間関係の中でゆったりとすごしてゆきたい、という相矛盾した欲求がある。この時代の人事制度の精神は前者におおきく舵を切ったと言えよう。

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さて、今の時代は2010年に向けた第4期にあたる。日本組織に通底してきた日本教そして仲間主義はどのように存続してゆくのだろうか。

人事制度や人事制度が基礎となって提供される人事サービスにはラディカルなイノベーションはそぐわないとされる。漸進的、改善的なインクレメンタルなイノベーションが中心となると考えられる。

経路依存(Path dependency)が強い人事制度は、過去の延長線上に構想されて実施される。よって、明日の日本教、人事制度の姿を予見、予測、さらには先取りしてデザインするには、人事制度の過去を知ることが大事になってくる。

すなわち、人事制度史観に依拠して古を振り返ることが肝要となる。「それ銅をもって鏡となせば、もって衣冠を正すべし。古ともって鏡となせば,以て興賛を知るべし」(『貞観政要』任賢篇)