よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

サービス・イノベーションの経営学・12 最終回

2010年11月29日 | 日本教・スピリチュアリティ


看護管理 2010年12月号 (通常号) ( Vol.20 No.13) p1186-1191

連載12ヶ月目は最終回です。テーマは「死と向き合うサービス」です。このテーマにまつわる出来事(母の臨死体験)が身近で起きて、「縁起でもない!」といったんは書くのをやめました。しかし、その後、再考し、スピリチュアルケアの前提になるような事柄を中心に書きました。

招待総説の一年間連載は、健康・医療サービス・イノベーションについて幾多の現場、研究会を回りながら、また主催もし、事例を収集し、いろいろな方々と意見を交わし、文献を渉猟しながら書き連ねるという本当にチャレンジングなものでした。この連載のカウンターパートである医学書院の小齋愛さんには本当にお世話になりました。

ご愛読ありがとうございました。

もともとシンクロニシティに敏感というか、身のまわりで起きやすい体質なのですが、この1~2ヶ月くらいは立て続けでした。

なんなんですかね?!

北海道の自転車ツーリングと札幌市立大学看護学部の集中講義から帰ってきて、拙著「創造するリーダーシップとチーム医療」の最終〆切に追われ、脱稿してからこの一ヶ月は、倉敷中央病院日本看護技術学会、東邦看護専門学校、「生きる意味」寺子屋セミナー「安藤誠~釧路湿原のネイチャー起業家~自然の美、そして生き方」寺子屋セミナー、愛媛大学医学部附属病院での講演、(副院長・看護部長の田渕典子さんといのちや「引き寄せ」について語りありました)そして、先週末は日本医科大学での講演(奇しくも母親がお世話になった病院で実に不思議なご縁です。そこで母のいのちの恩人片岡ひろみさんにまたお逢いしました。講演にお呼びいただいた三上ちづ子さんも相変わらずお元気で雑談、楽しかったです。)などで飛び回っていました。

その合間をぬって、DVDの撮影一本@日本医療企画と、「日本的自殺」に関する濃厚なインタビューをRene Duignanさんから受けました。今週は、日本助産師会@大阪で講演、来月は、東京工業大学で「生命の科学と社会」(上田紀行先生、大谷光真門主との対談『今、ここに生きる仏教』を最近出版されました。)の講座で、「生老病死の苦とヘルスケア」と「ケアリングのイノベーション」について講義(非常勤で)します。

いずれにも共通するテーマは「いのち」です。いのちの連鎖です。まるでだれかから、「オマエ、もっといのちに向きあえっ!!」とでも言われているような感じです。


母の臨死体験

2010年11月23日 | 日本教・スピリチュアリティ

「看護管理」(医学書院)の12月号の連載テーマに「死と向きあうサービス」を取り上げて書き始めていた矢先の10月の始めごろ、母が死に直面した。

まさに縁起でもない!である。こんなシンクロニシティもあるのだ。


<我孫子市内の病院の医師から発行された病状及び治療方針についての説明書>

地元の病院に入院していた母が大腸炎から敗血症ショックに陥ったのだ。母は78歳(既往症として心筋拘束、現在は、糖尿病も罹患)なので敗血症ショックを起こすと、だいたい60-70パーセントの確率でシュテルベン(死)を迎える。

6年前に、母は重度の心筋梗塞を発症し、救急車で市民病院へ、そしてその後ヘリコプターで伊豆長岡順天堂病院に入院して心臓バイパス術を受けて一命を取り留めている。そんな顛末のすえ、幸いにも命拾いしてからは、「今度重い病気になったら延命はしないでね」というのが口癖だった。

地元の病院は15:1の看護体制で、ICUもない病院。これでは、まずい。まだかすかに意識があったので、「もうちょい生きるためにがんばって欲しいんだが、どう?」と訊くと力なく「ふんふん」と言う。

「ふんふん」は同意である。しめた!患者=母の同意さえあれば、あとはガンガン動くのみだ。

実はこのとき、これ以上のキュアとケアを母に拒否されても、僕は無常にも、その母の意思(近年では自己決定権といって重要な権利として認識されている)をカラッと無視して大学病院のICUに搬送することを決意していたのだ。

            ***

母は浜松の大空襲の中、米軍の戦略空爆機ボーイングB29から投下された無数の焼夷弾によって丸焼けにされた灼熱地獄を生き延びながらも、かわいがっていた弟は米軍によって殺された。その時、顔に火傷を負っている。その後、いろいろあって父と出会い、結婚し男児二人をさずかった。その大きいほうが僕だ。

母には、僕の息子たちに言って聞かせて欲しい物語りが山ほどにもある。できればそれらを記録に残したいのだ。

患者の自己決定権は尊重されるべきだ、一般論では。しかし、個別の特殊な母と子という文脈のなかでは、まだ可能性があるのならば、あらゆる手を講じても生きて欲しかったのだ、息子の勝手な思いを遂げるために。

            ***

それやこれやで、本医科大学千葉北総病院の片岡ひろみ副院長・看護部長に無理なお願いをして同病院のICUに救急車で緊急入院させてもらったのだ。

片岡ひろみさんとは、僕の講演を何回か聞いて下さったことがご縁。片岡さんには休日にもかかわらず出勤、ご対応いただき、さらには、片岡さんが直接救命救急センター長を説得いただき、なんとか千葉北総日本日本医科大学付属病院のICU入ることができたのだ。感謝の言葉もない。

救急車で日医大に搬送されたときは、血圧が50位まで下がり、危篤状態。腎機能も90%が消失し、人工透析を受ける。多臓器不全から心停止へ至ることを想定。そもそも敗血症ショックは症候群なので、決定的な治療方法は確立されていないし、確定的なクリティカルパスも存在しない。

医療チームを率いるK医師からインフォームド・コンセントを受けるが、僕の場合は患者である母の親族代表として「合意」のみするのではなく、いろいろと医師に「説明」もする。双方向のインフォームド・コンセントだ。たぶんうるさい家族だと思われたことだろう。

K医師は腕利きの臨床医だ。結局のところ、治療法が確立していない症候群のクリティカルな状況では、医師の経験的な判断、腕っ節、勝負勘、丹力といったものがモノを言うのである。

            ***

ICU看護師、医師の懸命なチーム医療のおかげで、なんとか一命をとりとめ、回復し、一般病棟へと移ることができた。「あの状態からこんなに回復するとは普通はありえない」がK医師の言である。

実母の死に際で「死」を書くことは「縁起でもない」し、入院のバタバタ騒動で今月号の原稿が間にあわないかもしれない・・・。

母は数年前に心筋梗塞でバイパス術の後、臨死体験を語っている。

「紫色の光の中に包まれた。

三途の川のほとりで棺桶の中に入っている自分の姿を夢に見た。

その棺桶には南無妙法蓮華経と書いてあった」

などと話している。



そしてまた、今回意識が戻ったときに、「なにか見た?」と訊いてみた。

するとなんと、二度目の臨死体験をICUのベッドの上で語り始めたのだ。

「灰色の川のほとりに立っていた。

上流から腐った鮭がたくさん流れてきて気持ち悪かったに。

そうね、その川の幅は100メートルか200メートルはあったわね。

前回のような紫色の光をまた見たので、死にそうだなとわかったのね。

でもみんなの声が後ろのほうからしたので戻ることにしたに」

と。

              ***

いわゆる臨死体験については、大きく分けて二つの解釈ができる。

(1)死後の世界は実在する(本質主義)
諸宗教が想定するように死後の世界はまごうかたなく存在し、患者(母)はそれを垣間見た。

(2)患者の意識内での仮想(構成主義)
患者(母)の意識が人生の中で文化、伝統、風習などを通じて死後の世界のことを学習し、それが表出されて、仮想(幻覚、幻聴、幻視、妄想など)として意識される。死に至るプロセスで脳機能の変化によって変性意識状態(Altered state of consciousness)がもたらされ、臨死体験が「構成」された。

どちから一方が◯で、どちから一方が×じゃないと思う。客観的な事象として臨死体験をとらえようとするから、このような二項対立的な置き方になるのだ。

ケアする側、ケアされる側、ケアを共創する両者にとって大事なことは、対立する二項のどちらかを選ぶことではない。事象の意味こそが大切なのだ。

意味のない現象はない。構成主義をとろうとも、本質主義をとろうとも、その現象の意味、物語りこそが、現象と向き合う当事者やそのまわりの人々にとって重要なのだ。

『死の概念は、喪失でも悲嘆でもなく、また完全な終局を意味するものですらなく、死に至る過程は新たなる世界への旅立ちの準備を整える過程であり、この世界に意味のない現象はない』と エリザベス・キューブラー・ロスも書いている。

「前回のような紫色の光をまた見たので、死にそうだなとわかったのね」と母は語った。一回目の臨死体験から彼女は学習しているのである。一回目の臨死体験の意味は、二回目の臨死体験に繋がっていたわけだ。あちら側のちょっと手前から戻ってきたがゆえに、今回、このようなことが明らかになったのだ。

基督教、仏教、回教などでは死後の世界や死後のいのちを歴然たる実在として規定する。スピリチュアルケアには宗教と切り離せない部分がある。しかし、一見、宗教規範が薄弱化しつつある日本においては、さらには日本教(社会科学としての日本教)とでも言うべき精神風土では、案外、既存の宗教観の枠にとらわれない構成主義的なスピリチュアルケアが待たれているのかもしれない。

あるいは、和風スピリチュアルケアを構成するに足る、新しい宗教の構成、そしてそれらとの関わり合いが求められている。そしてそこにどのようなやり方で健康・医療・保健・福祉・看護・介護サービスなどが介入してゆくべきなのか。

多くの健康・医療サービスのイノベーションは患者と医療組織、様々な医療、看護、介護に関わる人との間のインタラクション層で創発する。それがヒューマン・サービスのイノベーションである。そしてヒューマン・サービスの奥深い位相には、スピリチュアル・ケアがある。

だとしたら、イノベーションが真に求められているのは、スピリチュアル・ケアの領域だ。

誰もが死に、死に際してはケアを必要とするのだから。否、生まれた時からすでに死は始まっている。だとしたら、死に目になって死の準備をするのではなく、生老病のあらゆる段階で、死とはなんなんなのか?という自問自答が必要だ。(でも日本の教育システムでは死を隠蔽しているので、大方は死の準備ができていないように思う)

母の死に際で「死」を書くことは「縁起でもない」と思った。

しかし、これも縁起か。やはり書かねばなるまい。因果なものである。


「生きる意味」を問いながら「肩の荷」をおろして生きる

2010年09月28日 | 日本教・スピリチュアリティ

上田紀行先生(東京工業大学大学院社会理工学研究科、価値システム専攻)をお招きしてのトークイベントです。

申し込みはコチラからです。


<以下貼りつけ>

講演タイトル:
「生きる意味」を問いながら「肩の荷」をおろして生きる

日時・場所:
2010年10月30日(土) 18:00~20:00
於:田町キャンパス・イノベーション・センター4階 405教室 (30人)

主催:
◎医療サービスイノベーション研究フォーラム
◎リベラルアーツ教育によるグローバルリーダー育成フォーラム

モデレータ:
松下博宣(東京農工大学大学院技術経営研究科)

パート1
上田紀行先生講演
パート2
上田紀行+参加者での語り合い

その後、講師を囲んだざっくばらんでオープンな雰囲気の懇親会あり(会費制)

概要
少子高齢化が加速し、年間自殺3万人超の常態化など、今や、ひずみだらけの健康・医療システムは社会にとっても大きな「肩の荷」となりつつあります。また生老病死苦を背負って生きる私たち個々人にとっても「肩の荷」の対処の仕方は切実な課題です。

私たちは、どのように生きていったらよいのか?そしてどのような死を迎えたらよいのか?もしかしたら望ましい死に方が見えてきたら、生き方も見えてくるかもしれません・・・。

とほうもなく重い問題ですが、前向きに考えて明るく語り合いましょう。

そこで今回は、『生きる意味』や『「肩の荷」をおろして生きる』の著者である上田紀行先生をお招きし、これらの本や上田先生の社会へのまなざしをベースにしたざっくばらんな寺子屋トークセッションを開催いたします。狭義の医療にとらわれず、宗教、社会学、文化人類学を含むリベラルアーツの文脈でも示唆に富んだ議論を共有したいと思います。

上田紀行プロフィール:

文化人類学者。 博士(医学)
東京工業大学大学院准教授 (社会理工学研究科、価値システム専攻)

1958年東京生まれ。東京大学大学院博士課程修了。
愛媛大学助教授(93~96年)を経て、96年4月より現職。
国際日本文化センター助教授(94~97年)、東京大学助教授(2003~2005年)を併任。

2005年には渡米し、スタンフォード大学仏教学研究所フェローとして、「今の仏教は現代的問いに答え得るか」と題した講義(全20回)を行う。

86年よりスリランカで「悪魔祓い」のフィールドワークを行い、その後「癒し」の観点を最も早くから提示し、現代社会の諸問題にもテレビ、新聞等で提言を行う。

98年4月より3年間、毎日新聞で論壇時評を担当し、2000年1月から2年間は読売新聞書評委員、2001年4月より1年間NHK衛星放送「週刊ブックレビュー」司会者もつとめるほか、「朝まで生テレビ」「NHKスペシャル」等でも積極的に発言を行う。

近年は日本仏教の再生に向けての運動に取り組み、2003年より「仏教ルネッサンス塾」塾長をつとめ、宗派を超えた若手僧侶のディスカッションの場である「ボーズ・ビー・アンビシャス」のアドバイザーでもある。2004年に出版された『がんばれ仏教!』(NHKブックス)では、時代の苦悩に向かい合う寺や僧侶達を紹介し、日本仏教の未来図を提示して、大きな反響を呼んだ。

学内においては、講義にディスカッションやワークショップ形式を取り入れるなどの試みを行っおり、学生による授業評価が全学1200人の教員中第1位となり、「東工大教育賞・最優秀賞」(ベスト・ティーチャー・アワード)を学長より授与された。また著書『生きる意味』(岩波新書)は、2006年全国大学入試において40大学以上で取り上げられ、出題率第一位の著作となる。

<以上貼りつけ>


自殺とQOD(Quality of Dying and Death)

2010年09月26日 | 日本教・スピリチュアリティ



追い詰められた人々=人的資源は、自殺を選ぶ。その数、年間3万人以上。未遂者をふくめれば一日なんと1000人が自殺をコミットしている。

健康問題をソーシャル・キャピタルの文脈で追い詰めてゆくと自殺の問題に行き着く。人口構造が若年中心で経済も成長している時代の基本テーマはQOL(Quality of Life)。しかし、少生大量死時代には、必然的にQOD(Quality of Dying and Death)が問われることになる。

QODとは、あまり日本では注目されていない概念だが、「死と死に至るまでのプロセスの質」ということで北欧などでは現在しきりに議論されていること。ニューパラダイムの人間学としても、QODは避けて通れないイシューだ。

自殺という社会現象に顕現するQODは絶望的に低劣で悲惨。OECDの国々の中でも突出して高い自殺率を持つ日本は、QODにおいてもけっして高くはないだろう。否、かなり低いものだと思われる。

日本の医療システム、社会保障制度の暗黙的な合意事項は、QOL向上にあったが、これにQODが加わることになる。今後、QODを向上させるためのシステムつくりは、医療サービス・イノベーションとしても大切になってくる。その暁には、医療サービスではなく、究極のヒューマン・サービスとして捉え直さなければなるまい。

<以下貼りつけ>

松下博宣(2010)、「サービス・イノベーションの経営学8:大量死に直面する医療サービスの苦悩」、看護管理30(8)、pp852-858, 2010/8

◯自殺という死にかた

さて、日本人が直面している「死」において特徴的なものが自殺の問題です。日本の自殺率は、欧米先進国と比較すると高い数値で推移しています。さらに範囲を広げて比較すると日本は、ベラルーシ、リトアニア、ロシア、カザフスタン、ハンガリーに次いで自殺率は世界第6位です。 NPO法人自殺対策支援センター ライフリンク清水康之代表は「かつて交通戦争で亡くなる人の数が1万人を超えて、『交通戦争』と呼ばれた時代があったが、今や自殺で亡くなる人は年間3万数千人。日本社会は今、『自殺戦争』の渦中にいると言うべきだろう」と嘆じます。

旧社会主義の国々で自殺が大量に発生していることは、アノミーという概念を用いることである程度説明が可能です。すなわち、急激な社会体制の変化の結果、それまで社会を支えてきた規範が崩れ、人と人を結ぶ紐帯が急速に消失した結果、自殺に結びつくという因果関係を想定するものです 。

とすれば、現代の日本では、東欧の旧社会主義国家が経験しているのと同等、あるいはそれ以上の急激な社会のありようの変化、それによって引き起こされる社会的な歪みがソーシャル・キャピタルを急速に、かつ深部において退嬰化し、劣化させていると見立てることができます。

これほど左様に自殺の問題は重大です。したがって近年、無縁死とは異なり、こと自殺に関しては、その発生プロセスが実証的な分析の結果、明らかになりつつあります。NPO法人ライフリンクが実施した「自殺実態1000人調査」によると、68項目の危機要因に対してパス分析や重回帰分析を駆使した結果、自殺の「危機複合度」が最も高い要因を「うつ病」、危機連鎖度が最も高い経路を「うつ病→自殺」と同定しています。

その上で詳細な自殺の危機経路パターンを16通りにモデル化しています。たとえば被雇用者ならば、「配置転換→過労+職場の人間関係の悪化→うつ病→自殺」「昇進→過労→仕事の失敗→職場の人間関係の悪化→自殺」。自営業者の場合ならば、「事業不振→生活苦→多重債務→うつ病→自殺」 というように。

◯健康基盤、ソーシャル・キャピタルの劣化

本稿の主題は医療サービスに焦点を絞ってはいますが、無縁死や自殺は直接的な医療の問題ではないかもしれません。しかしながら、すでに医療サービス構造機能モデルを用いて考察したように、十全な医療サービスを成立たらしめる、その基礎基盤にはソーシャル・キャピタルが横たわっています。

無縁死と自殺の問題は、端的に言えば、ソーシャル・キャピタル、すなわち、共同体の中に息づく絆、互恵、信頼、相互扶助、気遣い、いたわりあい、素朴なケアリングといった目には視えないものの人と人を繋ぎ合わせるサービスの関係性が疲労・劣化していることに随伴していると見立てられます。

人と人とが触れ合う共同体の希釈化、脆弱化は、健康と医療の課題に対して間接的ながらも、根底から揺るがす桎梏であるととらえるべきです。

<以上貼りつけ>

                  ***

東工大の上田紀行先生と八重洲あたりで飲んでいるときにこんな話となり、上田先生と対談したことがあるライフリンクの清水康之さん紹介していただいた。

こんな経緯で、清水さんと先日飯田橋で会っていろいろ議論する機会を頂いた。

副代表の根岸親(ちかし)さん。親というステキな名前を彼に授けたお父さんは自殺で亡くなったそうだ。親の運命を背負った親さんとそんな話をしながら、やるせない思いにかられながらもたくさんの資料を頂く。ありがとうございました。

濃度の濃い運動を繰り広げ、様々な提言を行い、最近では内閣府参与として活躍している清水さん。しかし肩に力がはいっていないというか不思議な透明感さえ漂う草食系のナイズガイの雰囲気。

                  ***

忘れないうちに議論をメモ。

・グローバライゼーションは避けることができない動き。市場で動いている企業は合理的な選択として年功序列、長期安定雇用、福利厚生を従業員に提供してきたが、1990年代以降、企業が演出してきたセイフティーネットが脆弱化。

・公共セクターから提供されるセイフティーネットは断片化、分散化→ワンストップになっていない。

・自殺に追い詰められる人々を水際で食い止める(下流)、プラス社会の構造的側面(上流)を変える必要あり。

・上流部分は政策化が大事。(1998年3月問題。この月から自殺者が急増。新自由主義的な政策ドライブ(小泉、竹中路線)と自殺急増現象との間には相関関係はあるだろうが、因果関係を立証することは難しいね。

・新自由主義が発祥(発症)したアメリカには日本以上に宗教、地縁コミュニティが育っている。

・上流と下流の中間の中流には、コミュニティのなかで私・公・共をデザインし直してソーシャル・キャピタルをエンリッチさせてゆくような仕組みが必要。で、だれがやる?→ 社会起業家、市民??

・自己承認を与える「多くの目」をいかにふんだんに社会に埋め込んでいくのか?

・欧米人の日本人の自殺問題の見方は短絡的。腹切りの文化の影響など。

・社会構造要因、経済要因とは独立した自我構造の特徴は仮説できるだろうね。exイスラーム、キリスト教などの一神教的:贖罪、契約、死に対する規範。日本教:空気、人間関係、絆が最高規範。ここが崩れると、一気に自我崩壊する。小室直樹先生が亡くなってしまったのは残念至極だが、このあたりは今後研究テーマか。

                  ***

QOD(Quality of Dying and Death)を高めるイノベーションについて書かないといけない。もちろんアクションも。

生きる意味、

走る意味、

死ぬ意味。

いろいろとコラボ予定。

重いテーマに真剣に明るく取り組む姿に感動。日本も捨てたもんじゃないと思わせる若者に会うと元気がでます。
            


仏基混淆の日本教(笑)

2009年12月27日 | 日本教・スピリチュアリティ

The priest of the buddhist in Japan have observed Christmas


サンタモニカさんから興味深いビデオを紹介された。

比較宗教学、文化人類学的にも貴重な示唆に富んでいる。もちろんたんなる悪ふざけととらえることもできようが、これぞ、人格的一神教にはない日本教の中核的な性格がよく顕われているいるとおもうのだが、さて。

<以下貼り付け>

クリスマスで仏教徒で、ぼっちのリア住・蝉丸Pでございます
帝釈天・毘沙門天・弁財天とインドの神様を多数取り入れ
日本からは大黒天や八幡大菩薩や権現信仰など神仏習合が多々あれど
ヨーロッパから来られてないのは片手落ち!と言う事で
12/25 園児に人気の散多菩薩ですが今日は檀家さんからケーキのお供えがw

南伝・北伝と現存仏教はオリジナル派生でして
それぞれ趣は異なりますが、日本仏教はだいたいこんな感じでして
カリカリせずに楽しんで頂ければと

<以上貼り付け>


社会科学の対象としての日本教

2009年08月20日 | 日本教・スピリチュアリティ

日本教とはいったいなんなのか?日本の宗教を理解するためには、3段構えのアプローチが必要だ。第一段目は、日本の多元・多層・多神的な宗教的心象風景が広がっていることへの理解だ。第二段階は、その心象風景の奥底に息づいている行動様式への理解である。そして第三段階は、このような行動様式が日本的制度にいかに影響を及ぼしているのかについての理解である。

第三段階としては、たとえば日本的人事と日本教の関係など。
日本教と日本的人的資源
仲間主義と日本教


第二段階の行動様式を日本教と見立てて日本教:小室直樹、橋爪大三郎の対話でコンサイスに議論されている。第三段階へいたる道のりで押さえておくべきポイントがまとまった形で討論されているので日本教を考究する社会科学学徒必見。

<以下メモ>
              ***

日本に入ってきた宗教はすべて日本教に包摂されてきた。たとえば仏教。天台宗最澄によって戒律を消去して日本の仏教はインドで生まれた仏教とまったくことかったものとなった。本来ありえない仏教の姿になった。さらに江戸時代の檀家制度を経て仏教はますます換骨奪胎されてゆく。でも仏教徒と名乗る人々は多い。こうして仏教は、日本教仏教派となった。

たとえば儒教。儒教式葬式は中国では一般的だが、日本ではない。日本に入ってきて儒教は宗教ではなく道徳の変形となってしまった。こうして儒教は日本教儒教派となった。

日本教は、役人や支配階層が宗教を創ってきたという側面がある。また日本人はそれらを受け入れてきた。これは通常の一神教の宗教とは隔絶された生き方だ。一神教では、なにをさておきまずはGODが存在し、神の命令で世界が創られた。

日本教ではなにが大事とされるのか?それは、日本の国民の好みである。人間そのもの重視。日本人として普通に暮らすことが大事。ユダヤ・キリスト教でははじめにGODありきで、かれらの宗教観からすれば日本教は奇妙奇天烈。

日本教では人間がはじめにありき。神仏をたてまっつっても人間の都合にあわせていいように変形させられてきた。日本教では神が人間に命令するわけではない。

欠陥だらけの日本人なのだが、神は究極的に人間のために存在するという大前提を古来から敷いていた。表面的に神仏をたてまつっても本質的には人間中心。日本人としての仲間が最も重要なのである。

日本教には日本人の行動を拘束するという性格がある。ところが日本教では行動を外形的に規定しない。日本人が言う無宗教というのは日本教です、というのと同じ。イスラム教では外形的な行動を決めるので日本教とイスラーム教は対蹠的。したがって日本では日本教イスラーム派が成立することはなかった。

ヴェーバーは社会を近代化し、宗教を近代化することによって「勤勉」が西洋では実現された、と論じた。

主神である天照大御神はスサノヲが暴れた時に繭をつくって働いていた。キリスト、ゼウスは決して働かない。働くのは罰なのである。日本教では労働は罰ではない。先祖の先祖からみんなでいっしょに働くことが大好きだった。現在でも定年になってしょぼんとなってしまう人が多いが、ヨーロッパでは喜びいさむ。普通のヨーロッパ人にとっては、働くことと自分のやりたいことは違っている。

働くことに価値があるということは極めて宗教的。日本民族は資本主義国家として成功する条件が古来あったのだ。山本七平は、石田梅岩、鈴木正三などを引いて仏教、儒教の影響で勤勉が成立し、ひいては日本資本主義成立の契機となったと説いた。しかし、勤勉はそれよりはるか以前から日本民族に埋め込まれた宗教、文化だったのだ。

空気が支配するのも日本教の特徴である。空気とは人々が漠然と思うようなこと。ドグマ的断定がなくても、なんとはなしに良いと思うことが広まる。空気は、言葉にならないし合理的でない。にもかかわらず、日本人の意思決定や行動を拘束する力を持つ。

たとえば、三国同盟の時代、枢密院でさえ「ことここに至れば賛成せざるをえない」といって非合理的に、時の空気に流されてしまったことがあった。歴史上、空気によって重要な意志決定がなされた事例は山本七平の「空気の研究」に詳しい。

日本教では、個人の意見を表明する、議論をするという行き方は尊重されない。昔から討論ができない文化。信長ほどの独裁者でも、「自分がこう決めた」とは言わなかった。日本人は自分で決定したがらない。

近代西洋的な考え方とは対蹠的。マゼランは「自分がこう決めた」と言えばそうなった。絶対の神、絶対の価値という考え方に慣れていれば、そういう人に従うのは自然なこと。

キリスト教は2回日本に入ってきた。キリシタンの時。明治時代。キリスト教信者数は増えていない。キリスト教のみを徳川幕府が禁止するほど大きな影響をキリスト教は日本に与えた。イスラーム教は禁止されなかった。完全な宗教であるイスラーム教は日本教とは隔絶しすぎていたのだ。

踏み絵は偶像だが、キリシタンは踏み絵を踏むのをためらった。本来なら被造物、偶像を蹴っ飛ばす。すなわち、キリスト教を日本人は理解していなかった。こうしてキリスト教は日本教キリスト派となった。

明治維新の時は日本教ファンダメンタリズムが出現した。正典の存在、正典の記述の絶対的重要視、正典の記述を行動の思考の絶対規準にすることが、ファンダメンタリズムの基本。

明治時代、日本神話を初等教育のなかに組み込んだのは日本教ファンダメンタリズムの発現だった。日本教がファンダメンタリズムに徹した。神話を教えながらも近代的なもの。こうして日本が近代国家として誕生した。明治日本では、宗教と政治とが分離して国家が誕生したのではなく、宗教と政治が一致して日本国家が誕生した。

ところが大東亜戦争敗戦後、天皇の人間宣言が行われた。実はこのときに日本は近代化の契機を失ったといえる。その後、経済は発展したが価値観は混迷。平成になってからは経済さえも低落している。

結論。一人一人に行動様式がなくなってしまった。このような時代だからこそ、宗教教育ではない宗教理解が重要。とくに、一神教のなかでもキリスト教の勉強が必要だ。

<以上メモ>

社会科学の対象として宗教に接近する比較宗教の視点で日本を分析するとき、「日本教」という驚嘆すべき概念を提出した山本七平。かってタコツボ学会では一顧だにされなかったのだが、小室直樹そして橋爪大三郎によってこの議論が復活するのは日本の社会科学にとって歓迎すべき傾向だ。

日本制度、日本的教育、日本的価値観、日本的人的資源管理など、「日本的~」とつけたがるローカル志向の社会科学の骨格の議論が、実は日本教。しがたって日本教の議論には新しい視点の普遍性獲得の契機がある。


『徳義有聞、清慎明著』、日本共同体1300年の蓄積 

2009年08月18日 | 日本教・スピリチュアリティ


<佐倉の歴史民俗博物館にて>

奈良時代の律令制度を読むと、今から約 1300年前の昔にも勤務評定や人事考課の評価制度があることが分かる。膨大な数におよぶ公務員のマネジメントは今も昔もシリアスな問題だった。

奈良時代の律令制度の元となった唐の律令には、「建中告身帖」という規定集がある。この「告身」とは、現代風に言えば国家公務員に発令する辞令規定。

官吏の勤務評定を「考」といい、「課」とは「善」や「最」からなる評価項目をいう。この「考」は年度末に一度行われ、一年間の勤務評価を「一考」といい、功労と功罪を考査することを「応考」という。

「律令」考課令 50(一最以上条)によると公務員の人事考課は9段階で行われてたようだ。

評価項目の一つである「善」には 4つあり、これを「四善」といい、官吏としての善行を査定した。

   徳義有聞  ( 道理をわきまえていて、名声の高いこと )
   清慎明著  ( 潔白で慎み深くはっきりしていること )
   公平可称  ( 私心をさしはさまず、称えられること )
   恪勤匪懈  ( 職務を忠実に勤め、怠らないこと )

また、「最」は全部で 27項目あるため 「二十七最」といい、それぞれの職務内容に関係した勤務姿勢を査定したがここでは省略。

                ***

・一最以上有四善。為上上。 
 →(一最を満たし、かつ四善あれば上々とせよ)
・一最以上有三善。或無最而有四善。為上中。
 →(一最を満たし、かつ三善あれば、または(最なくとも)四善あれば、上中とせよ)

・一最以上有二善。或無最而有三善。為上下。 
 →(一最を満たし、かつ二善あれば、または(最なくとも)三善あれば、上下とせよ)

・一最以上有一善。或無最而有二善。為中上。
 →(一最を満たし、かつ一善あれば、または(最なくとも)二善あれば、中上とせよ)

・一最以上。或無最而有一善。為中々。 
 →(一最のみ、または一善のみあれば、中々とせよ)

・職事粗理。善最不聞。為中下。
 →(職務はほぼこなすも、善が一つも聞こえてこなければ、中下とせよ)

・愛憎任情。処断乖理。為下上。背公向私。職務廃欠。為下中。 
 →(感情に任せて仕事を行い、仕事の処理判断が道理に背いていれば、下上とせよ)

・居官諂詐。及貪濁有状。為下々。…(以下略)
 →(公に背き私事に向かい、職務が廃れて欠けるようなことがあれば、下中とせよ。官職にいながら偽り、貪欲で汚れた様が仕事に現れれば、下々とせよ)

                ***

古代の人事考課の目的は官僚制度を維持することにあった。しかし、昇進は勤務年数に比例して自動的になされることが多かったため、実質的な「年功序列制」を下支えしたもの。ただし、劣悪な人材を排除し、優秀な人材を取り立てるというメリットクラシー性もあったはあったが、この性質は次第に希薄となっていった。

「善」や「最」の定義からも分かるように、評価対象は業績ではなく、態度である。善き仲間の一員として制度維持に貢献する態度、姿勢を積極的に評価し、業績要素を軽んじると、その組織は、本質的に機能組織ではなく共同体となってゆく。

共同体化させることが本能的に好きだった日本人は当時のワールド・スタンダードの唐律令制を外形的にコピーして機能組織の素振りを垣間見せるが、「運用」面で着々と共同体化の知恵を蓄えていった。

外形的には機能組織だが、内面的には共同体。この二重性を同時に合わせ持たせたところが古代支配階級のひとつの知恵だったのだろう。「いっしょに居て仲間になること」の"ヒューマニスティックな原理"、つまり、一神教を受容しない多元・多層・多神的な人間中心主義=日本教はこうして運用を通して制度化されることとなる。そして1200年後の明治時代に一気にこの特質が、日本の人事制度一般に拡がっていった。大東亜戦争敗戦後の人事制度変化は表面的なものであると見立てられる。

外形的には機能組織だが、内面的には共同体という伝統(日本的風土病でもあり免疫でもある)は、現代日本の官僚制度をはじめとして、軍隊、民間企業にも通底するように継承されている。


シンクロニシティとアーラヤ識

2009年07月01日 | 日本教・スピリチュアリティ



ちょっと前に「シンクロニシティ~未来をつくるリーダーシップ~」(Joseph Jaworski著, 金井 壽宏)をもとにHRMの視点からディスカッション。忘れないうちに概略だけノート。

           ***
※コメント:
Wikipediaには、「非因果的な複数の事象(出来事)の生起を決定する法則原理」と書かれているが、非因果的といいきれるのかどうか?答え、No。

synchronicityを非因果的連結と訳するのはやはり誤訳だろう。共時性、共起性というのが訳としては当たっている。「意味のある偶然の一致」

A→Bではなく、A⇔Bという相依性の当事者としてのCが入る。CにとってA⇔Bの相依性がそっと現象界のベールの割れ目から現前するというのがsynchronicity現象。

だからsynchronicityは因果律のみでは説明できない現象の一端。ただし、その本質が分かりにくいので通俗・擬似的な科学の一ジャンルと捉えられることもあるにはある。

唯識でいえば、現行(現象)がアーラヤ識に燻習されて種子(ビージャ)となる。そして種子が発動して現行(現象)に現前してゆく。これは永遠の循環過程で、種子が本質(仏教術語では自性)なのだが、種子そのものの深層意識への植え込みが実は人間の認識現象の根っこ。埋め込まれた種子が認識のベールをつくり、そのベールに引っ掛かるあらゆる存在を分節し現象とする。

こうしてリアリティと受けとめられる「ものごと」の認識は種子から生まれるが、妄識や妄想のはじまりもまた種子から。そして妄想がそのような種子を再帰的に作るので、人生というのはもしかしたら妄想の拡大再生産なのかもしれない・・・。

さて、本題。A⇔Bという相依相の関係(AとBには種子⇔現行のアーラヤ識の循環が絶えず起きている)に観察者、参与者のCが入る場合、「A⇔B」⇔Cの間に立ち現れる現象をsynchronicityとして分節化すればきれいに説明ができるだろうに。

さて、このようにしてsynchronicityの自性を自己に燻習して種子として保持することがリーダーシップのひとつの行き方である・・・、というか、もともと共起性を投企せざるをえなかった意識と行動の習慣を内省して自覚し直して自らのリーダーシップに埋め込んでゆこう・・・というのが唯識的に言えばこの本のメッセージ。しかし以上の理由で、この保持が強くなり過ぎると妄識や妄想ともなるので実は要注意。

Jaworski、金井さんに瑜伽行唯識学派の知識がわずかでもあれば、味わい深いこの本の味がさらに増したと思われるのだが、さて。synchronicityを大乗唯識が到達した空観、アーラヤ識を動員してエレガントに説明することは今後の課題としよう。


<以下貼り付け>

           ***

Joseph Jaworski:ジェネロン・コンサルティング会長

Massage:「リーダーになりたかったわけじゃない。ただ、夢の実現を強く望んだだけだ。- あるのは、やり方ではなく、あり方だ -」

・米国・ヒューストンに拠点を置くブレースウェル&パターソン法律事務所に15年
間勤務した後、1980年アメリカン・リーダーシップ・フォーラ ム(ALF)を設立

・ロンドンのロイヤル・ダッチ・シェル・グループの経営戦略グループに招聘され
グローバル・シナリオ・プランニングのチーフ を務めた

・さまざまな組織の設立に協力し、変化を促すリーダーの内面を探求し続けている

・MITの上席客員教授としてOrganizational Learningについて教鞭をふるう

・「出現する未来」(講談社)では、ピーター・センゲとの共著も手がけている

☆名言集

→一番大切なことは、自らの心のあり方         
「あるのは、やり方ではなく、あり方だ」 


→感じ方や考え方を変えられることは、知識を手に入れることより重要である:デヴィッド・ボーム氏(理論物理学権威)

     
→つまずいたところにこそ、宝物がある:ジョーゼフ・キャンベル氏(神話学者)

#Joseph Jaworski のリーダーシップ
・グリーンリーフ
  -サーバント型リーダーシップ

・センゲ
  -学習する組織
  -フィールドブック学習する組織
   「5つの能力」

・ボーム
  -全体性と内蔵秩序(ニューサイエンス理論)

 
・その他(戦略策定や組織開発の手法)

  -シナリオプラニング
  -ストーリーテリング
  
#人的資源開発にとってのインプリケーション

→OJTやoff-JT等による人的資源開発ではなく、シンクロニシティ(共時性)を追求するために、垣根を越えて行動、活動しいくことが重要となる

→シンクロニシティを大切にすることで、人との出会い、人的ネットワークが構築され、そのネットワークから他流試合が形成され、相互的、インタラクティブな関係により、学習と成長の機会が生じることになる

→イノベーション文化、組織文化の変革のためには、個人の変革は欠かせない(キムSキャメロン、ロバートE.クイン:組織文化を変える)

→従来考えられる人的資源開発では、社内教育や現場での教育により進められるが、本書では、シンクロニシティを大切に行動することが重要であるとされている

→シンクロニシティを追求することにより必然的に必要な人との出会いがなされ、人的ネットワークがされている。そのネットワークから様々な専門家からの考えや意見をまとめより良い教育をつくりだしている

#リーダーシップとは?

→リーダーシップは、「行動のしかた」ではなく、「ありかた」である

→一心に取り組むこと、コミットメントしていくことが最大の課題である

→自分自身が本当に価値があると思う目標のために全存在を傾けること、世界は自分を幸せにしてくれないと文句を述べて不愉快さと不満のかたまりになるのではなく、本質的なものと一体になることである

→リーダーシップは、「見えないもの」を見る旅であり、まずは、リーダーがリード・ザ・セルフにより、行動することが起点となり、リード・ザ・ピープル、さらにリード・ザ・ソサエティへと繋がっていくものである(野田、金井:リーダーシップの旅)

→自身で強い意志を持ち、必ず実現するというコミットメントを持って取り組むあり方がリーダーである

→リーダーシップは一心に目標に向かい取り組むことにより周りを同方向性に向かわせることが出来ることである

→メンバーの能力を発揮させる為に奉仕し、築かれないようにメンバーが仕事をしやすいようにするサーバントリーダーシップが重要である

→自身で強い意志を持ち、必ず実現するというコミットメントを持って取り組むあり方がリーダーである


#「リーダーシップの旅」  野田智義、金井壽宏/光文社新書から

→リーダーは旅に出て、苦難に出会いながらも何事かを成し遂げて、生還し、結果としてリーダーになる。

→重要なポイントは、リーダーは旅に出るまではリーダーではなかったということだ。

→リーダーとは、フォロワーを導く人ではなく、振り返ると人がついてくる人のことをいう。

→フォロワーも、命令による強制や報酬のためでなく、自律的に自ら進んで旅をともにするという点を見逃さないようにしたい。

→喜んで自らついてくるフォロワーが、リーダーの行動を承認することによって生じる帰属がリーダーシップであり、それはリーダーとフォロワーの間に起こる共振現象でもある。

→人をリーダーシップへと駆り立てるのは、私たち一人一人が「内なる声」に突き動かされて、「見えないもの」を見ようとする意思だ。

だが、組織論で語られるリーダーシップは、時にミスリーディングな印象を私たちに与える。

→リーダーシップを旅としてとらえるため、この本ではエマージェント・リーダー(自然発生的なリーダーの概念)を基本において議論を進める。

・それにより、リーダーシップの本質はより明確になってくる。

→だれもの問題としての、自らが選択する生き方としてのリーダーシップの旅が目の前に広がっていることに、私たちは気づくはずだ。

#参考文献
・キムS.キャメロン、ロバートE.クイン(中島豊監訳):組織文化を変える、ファーストプレス、東京、2009.
・野田智義、金井壽宏:リーダーシップの旅、光文社、東京、2007
・藤川佳則:サービス・ドミナント・ロジック~「価値共創」の視点からみた日本企業の機会と課題、107:32-43、マーケティングジャーナル、2008. 
・永長周一郎、品川隆:多職種連携における歯科医師、治療、99(5):1547-1551、2009.
・日本経済新聞医療面口腔ケア特集(2009年5月17日号)

<以上貼り付け>

リーダーシップの旅を唯識を基盤とした世界との関わりあい、アーラヤ識へ燻習される種子、そして種子が現象に転移されるプロセスと見立てれば、面白い。人間の認識、意識はHRMの対象範囲。


フロー体験から眺望する人的資源

2009年06月18日 | 日本教・スピリチュアリティ


昨日は、Beyond Boredom and Anxiety : Experiencing Flow in Work and Play
By Mihaly Csikszentmihalyiなどを題材にしてプレゼンテーション+わいがやディスカッション。面白かった点、コメントなどのノート:

       ***

Mihaly Csikszentmihalyi:
ハンガリー出身のアメリカの心理学者。幸福と創造性の研究における彼の仕事で有名。
Flowの提唱者としての長年調査をし、このトピックに関する多くの書籍と記事の著者である。

バックグラウンド:
1934年、ハンガリー外交官を父としてイタリアで生まれる。
1956年、アメリカに渡り、1970年よりシカゴ大学心理学科教授、教育学科教授。
1999年、シカゴ大学を定年退職後、カリフォルニア州クレアモント大学院大学教授。
現在アメリカでもっとも注目される心理学者の一人であり、社会学、文化人類学、哲学等広い守備範囲をもつ。
全米教育アカデミー、全米レジャー科学アカデミー会員

出版物
[1975] Beyond Boredom and Anxiety: Experiencing Flow in Work and Play
→ 楽しみの社会学
[1978] Intrinsic Rewards and Emergent Motivation in The Hidden Costs of Reward
[1988] Optimal Experience
[1990]Flow: The Psychology of Optimal Experience
→ フロー体験 喜びの現象学[1996]
[1996]Creativity : Flow and the Psychology of Discovery and Invention
[1998]Finding Flow: The Psychology of Engagement With Everyday Life
[2002]Good Work: When Excellence and Ethics Meet
[2002]Good Business: Leadership, Flow, and the Making of Meaning
→ フロー体験とグッドビジネス―仕事と生きがい[2008]

※コメント:チクセントミハイはサーファーでもある。彼によるとサーフィンもフロー経験をもたらしてくれるそうだ。学会でハワイにいったときサーフィンで事故に巻き込まれ瀕死の重傷を負ったところをコリン・ウィルソンに発見されたという逸話がある。

       ***

フロー体験、成果主義などを脳機能の観点からとらえたもの。

フローと言う考え方を提唱した事で有名である。フロー(英語:Flow )とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。ZONE、ピークエクスペリエンスとも呼ばれる。

フローとは
○ 一つの活動(行為・行動)に没頭して、他の何事も見えない・問題にならない状態
○ その活動(行為・行動)が純粋に楽しいから時間・労力を惜しまない

組織におけるHRM観点でのフロー
○ 一つの活動(行為・行動)に没頭して、他の何事も見えない・問題にならない状態
 → ある時期、ある部分、ある人材、….など極所では大いに有効である
  → それら極所を大局的にビジネスに結びつけるマネジメントの下で

○ その活動(行為・行動)が純粋に楽しいから時間・労力を惜しまない
 → 特定のスキルを身に付ける場合に有効である
  → 自身の設計スキル、デバッグスキルは、(不謹慎だけど)楽しんで向上
   → 人材育成における、目標を絞ったOJTに有効である

昨今のあらゆる意味で多様化された人材に対して、組織のベクトル
に合わせた成長が望める育成戦略が必要である。

個別に気づきを促すサポートを続け、擬似的フロー状態をつくる


本の中では、極限状態や自己の限界に挑む時に、人間は楽しみや喜びを感じると
記載されている。

ITエンジニアは、うつ病になりやすい職業だといわれている。
- 短納期
- 作業時間
- クライアントからのプレッシャー
- 職場環境
など様々な要因がある。
上記の事から、ITエンジニアはフロー状態が長く続き、限界を超えすぎる傾向にありフロー中毒の結果から“うつ状態”になる事が予測できる。

満足感、充実感のようなマイクロフロー状態が職場では必要であると感じる。

※コメント:この文脈でのマイクロフローの重要性の指摘はもっとも。企業の場には、マイクロフローづくりが必要だ。→新しいMOTマネージャの役割。


       ***

1)外発的動機(新皮質的)
外から与えられる報酬に欲求が満たされる行動や思い。物質的欲求を満たす。

新皮質
・理性的、理論的
・金銭、名誉、地位、
・人気を求める。
・出世欲など。
・法律に反しない。
・競争に勝つ。
・他者より優位にたつ。
・評判
・食欲、性欲

2)内部的動機(古皮質/旧皮質的)
外部から与えられる一切の報酬とは無関係に、心の底からこみ上げてくる喜びや楽しみ。

古皮質
感情(喜怒哀楽)

旧皮質
本能的な欲求
情動(安心、不安、恐怖)
恋愛、性愛

3)成果主義
・人参ほしければもっと働きなさい。
新皮質活性化
   ↓
・旧皮質から込み上げてくる喜びや楽しみがわからなくなる。
   ↓
・仕事の義務化。
やる気がないので集中力が減り、ミスが増える。
   ↓
・フローに入ることができない。
   ↓
合理性を超えたところに確かな満足感と、生活に楽しさを与える。
旧皮質的な現象に、フローの真髄!!

※コメント:脳生理学や脳科学は認知心理学の隣接分野。さらにこの議論に脳の「左右」論が加わると面白いだろう。ex. コリンウィルソンの「右脳の冒険」などの文脈。あと、エンドルフィンやセロトニンなど神経伝達物質の分泌との関係も面白いか。

資本主義の暴走課題もこの論点から掘り下げてゆくといいだろう。

       ***

人的資源管理の立場からフローを仕掛けることはできるのか?

意見
・すべての仕事に対してできるわけではない。
・外的報酬を求める人や、営業は難しいのでは。
・内的報酬を求める思考の人に対しては仕掛けることができるのでは。
・外的な報酬を求める人は淡々と仕事をする。
→ 外的な報酬でも、フローに入れる人はいるのでは?
きっかけは外的報酬でも、仕事の達成感といったものが、内的報酬につながるのではないか。
チャレンジがスキルを上回りはじめると、不安になり、逆にスキルが、チャレンジを上回りはじめると、退屈を感じるようになる。

結論
・外的報酬で仕事をする人も、フローへ達することはできる。
・能力やスキルとチャレンジする取り組みによって仕掛けられる。
・ただしバランスが大切。バランスが悪いとフローにはならない。
・また次の何が起ころうとも対処できる状態は必要。
・常にスキルとチャレンジのバランス状態を仕掛けられれば、外的報酬がスタート
・でもフロー状態へ仕掛けることは可能。
・ただしバランスは非常に難しく、常に結果を求める企業では難しいのではないか。

※コメント:ともすれば儀式化しやすいorヤラサレ感覚が増しやすいマネジメントサイクル内のイベントにマイクロフローを発生させる工夫などあればいいだろう。

       ***

知的刺激に満ちたディスカッションだったと思う。
2010年代のHRM,人事制度デザインには以上のような論点を埋め込むべきだろう。

後でMOTカフェの飲み会に合流。

仲間主義、日本教というエートスが顕現する日本人事制度史観

2009年06月13日 | 日本教・スピリチュアリティ



日本組織の骨格を成すものが日本的人事制度である。そして日本的人事制度を俯瞰、鳥瞰するときに役立つのが日本人事制度史観だ。日本人事制度史観に立つと、日本の人事制度はおおむね20年ごとに大きく制度変更を遂げてきたことが分る。

畢竟、日本教の実行形式は、日本人が働く企業の現場にも存在する。そして日本人の生き方、働き方を規定するのが人事制度である。すなわち、日本的人事制度を分析することは、日本教と日本資本主義を解明する一助になるであろう。

日本的人事のエッセンス、蘊奥は仲間主義である。人事制度は、過去、年功制、職能資格制度、成果主義と変遷してきているが、仲間主義は仲間の対象は変化しつつも一貫して保持されてきている。

●第1期:1950年~1960年代

この時代、敗戦の焦土から日本は復興しつつあった。新産業が勃興して企業は組織的な拡大にまい進した。機能体の衣を纏いつつ国民の生活を保障する共同体として企業が登場したのだ。この時代の人事理念は「生活保障」に尽きた。

役職が最もビジブルなステータスだった。拡大基調にある組織では、係長、課長、部長、役員というようにタテ方向に上がっていける機会は多く、単純な職階制度がとられた。社員は仲間とみなされた。善き仲間には評価は不要。したがって暗黙的な年功評価が中心だった。

賃金も年功給がベースとなり、その上に役職給が乗るという構造が中心だった。ベースアップは、賃金表の書き換えと定期昇給によった。イケイケドンドンの時代、人事制度は後手後手に回るものでよかったのだ。

一社懸命に働けば、役職も得ることができる。そして会社は社員という仲間を拡大し囲い込んでいった。独身寮、世帯寮にはじまり、企業による福利厚生の提供が正当化された。

農村共同体が崩壊し、企業に雇用される都市住民が急増していった。こうして企業は、機能体でありながらも代替的な共同体(Gemeinde)として発展していった。善き仲間の一員でいること、その仲間から仲間と見たれられることが、なにより重要なことだった。

この時代の人事制度の分析・記述は、日本組織を相対化して観察することができる外国人の視点が中心だった。その代表格がジェームズ・アベグレンである。終身雇用(Lifetime employment), 年功賃金(Seniority-based wages), 定期雇用(Periodic hiring), 企業内訓練(In-company training), 企業内組合(Enterprise union)などの概念が定式化された。

●第2期:1970~1980年代

オイルショックなどを契機として、拡大基調にあった企業組織に陰りが見えてきた。このような時代に登場してきたのが、職能資格制度

職能資格制度は日本ならではのユニークな制度だ。職能資格制度とは、従業員の職務遂行能力、略して職能の程度に応じて内部労働市場、つまり、会社や会社グループの閉じた会社空間にのみ有効な”資格”を付与する制度。

1970年代を中心にして企業社会に流行し一部上場企業のうち9割くらいが、この制度を運用しているといわれる。「年功的な人事を見直し、能力基準の人材登用を可能にする」「役職にとらわれることなく、人の能力を基準にして処遇する」、「人を重視する人本主義の具体的な制度への反映」などという言説が流行ったものだ。

一言でいえば、過去の主流すなわち職階・年功主義に対するアンチテーゼとして登場し普及してきたのが職能資格制度。しかし10年、20年するうちに年功運用的色彩が織り込まれ、年功資格制度になってしまったと見立てられる。その背景:

・社内職能資格には標準滞留年数がある。能力が急進すれば職能資格も急上昇するはずだが、社内職能資格は急上昇しない。能力が劣化しても、職能資格が落ちることはまずない。

・人事評価は、職務遂行能力に対して公正になされることが期待されたが、職場では明確な優劣をつけることが憚られる。評価における中心化傾向が顕著となった。

・職能資格の付与は年功的になる。そして職能資格にリンクしている職能給は、結果として年功給になっていった。

例えば、経理部の責任者である「経理部長」は”役職”であるが、責任者ではないが経理部において部長級の仕事をする人としての「経理部 部長」は”職能資格”である。「マーケティング部長」は”役職”だが、「マーケティング部 参与」や「マーケティング部 部長格」は”職能資格”ということになる。

ポストによるモチベーションはかなわなくとも、資格による選別とモチベーション維持策が行われるようになった。長期安定雇用を前提にした共同体の仲間づくり、仲間の維持は、まだまだこの時代の大きなテーマだった。

この時代には、参与的観察者が登場した。職能資格制度のイデオローグとして楠田丘や弥富拓海、弥富賢之などの活躍を見る。また経営学領域で日本的人事を研究対象とすることがなされるようになった。

●第3期:1980年~1990年代
グローバライゼーションが昂進した時代、それまでの共同体としての企業組織に成果主義すなわち機能体の原理が持ち込まれるようになった。

第1期、第2期は共同体の原理が中心だったが、この時代のカギ概念はそれまでの原理と異質な「成果主義」。そもそも成果を計量的に測定するためには、職務(Job)の内容が確定している必要があるのだが、共同体でありつづけた日本の組織では、職務(Job)という概念が疎外されてきた。

米国では、機能組織としての企業経営、人事制度運営の蓄積がある。よって1980年代以降、米国発のHuman Resources Management系のプロフェッショナル・ファームが日本でもクライアントを持ち始める。職務分析(Job Analysis),職務評価(Job Evaluation),目標管理(Management by Objectives), 成果主義賃金(Pay for Performance)といった手法が本格的に和風に調整されて日本の大企業を中心として移植された。

企業と従業員のGive and Takeの「場」としての職務(Job)を確定し、目標管理でさらに精緻化し、目標の達成度に見合った職務給を支給するという新たな方向性は、共同体原理と先鋭な対立と雇用者側の鬱勃たる不満をもたらした。第1期、2期の郷愁と決別できていない中高年層にとって、この不満は大きなものだ。

企業組織に内包される従業員から、企業へ能力と成果を売り、その見返りとして報酬を得るというGive and Take方式は、なるほど、仲間関係に機能主義を持ち込んだ。その結果、仲間はより厳しく選別されるようになった。しかしながら、成果主義は、管理職→一般職という順番で導入されてきた経緯があり、役員階層は成果主義を運用する側であって、なかなか成果主義の対象とはならなかった。

人間には機能体的人間関係の中で自分の実力を発揮していきたい、という成果主義的な願望と共同体的人間関係の中でゆったりとすごしてゆきたい、という相矛盾した欲求がある。この時代の人事制度の精神は前者におおきく舵を切ったと言えよう。

             ***

さて、今の時代は2010年に向けた第4期にあたる。日本組織に通底してきた日本教そして仲間主義はどのように存続してゆくのだろうか。

人事制度や人事制度が基礎となって提供される人事サービスにはラディカルなイノベーションはそぐわないとされる。漸進的、改善的なインクレメンタルなイノベーションが中心となると考えられる。

経路依存(Path dependency)が強い人事制度は、過去の延長線上に構想されて実施される。よって、明日の日本教、人事制度の姿を予見、予測、さらには先取りしてデザインするには、人事制度の過去を知ることが大事になってくる。

すなわち、人事制度史観に依拠して古を振り返ることが肝要となる。「それ銅をもって鏡となせば、もって衣冠を正すべし。古ともって鏡となせば,以て興賛を知るべし」(『貞観政要』任賢篇)