よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

首相官邸前の大規模デモとソーシャルメディア

2012年07月07日 | よもやま話、雑談

イノベーションという現象を見るとき、市場をレンズにすれば企業を中心とした技術経営、アントレプレナーシップというテーマが浮上します。

市場ではなく公共圏(ハーバーマス)をレンズにすれば、社会をよりよい方向に導きたい市民の運動や社会起業家といったテーマが浮上します。

つまり社会イノベーション(social innovation)ですね。そのような脈絡から首相官邸デモを参与観察しています。

というわけで日経ITProへ寄稿しました。「~経営に活かすインテリジェンス~第28講:首相官邸前の大規模デモとソーシャルメディア」


アフリカに広がる5S・KAIZEN~日本が忘れた有効性伝搬~

2012年06月25日 | 健康医療サービスイノベーション

日刊工業新聞に拙論「アフリカに広がる5S・改善~日本が忘れた有効性伝搬~」を寄稿しました。 

昨年、スリランカ、そして今年2-3月にコンゴ民主共和国を訪れて5S-KAIZEN-TQMの技術指導、フィールド調査をしました。その時に得た知見などをまとめています。

               ***

5S-KAIZEN-TQM spread to Asia and Africa: From Japan to Global Health Services




Stunning Africa
 Amazing sceneries have been spreading out in the African continent. 5S-KAIZEN-TQM (Total Quality Management) originating in the Japanese industry is proliferating rapidly even to the hinterland of Africa. But it is the field of health services not in manufacturing. This movement has covered 46 countries in Africa, impacting on directly or indirectly the human life of 420 million people, accounting almost half of the population of 820 million.

 Through 2011 to 2012 I had the opportunities to visit Sri Lanka and the Democratic Republic of the Congo to provide consultancy on 5S-KAIZEN-TQM based on the requests from JICA and National Center of Global Health and Medicine. Consequently I have found many stimulating phenomena involved in the movement while teaching the method to many people.

Participation and Excitement
 5S means such basic intervention as set, sort, shine, standardize, and sustain. KAIZEN is “make something better” or improvement. Some may say that 5S-KAIZEN is outdated here in Japan. But I would say that KAIZEN-5S bears universality beyond the country boarders and industrial sectors. 

 I tell you why. The systemic changes brought about by the movement have gained enthusiastic support from the minister down to the staff members at hospitals and clinics in countryside. African people have invented "5S-KAIZEN dance" and "5S-KAIZEN song" to encourage themselves to carry on this movement. Here a question is raised. Why are African people so enthusiastic about doing "5S-KAIZEN"? There are three reasons.

(1) Participation 
 Like other disciplines, management ethos has been excluded in the gate keeping forefront of health services. Even stealing medicine or equipment is not rare in African countries. But this approach has the effect of changing passive to proactive mind-set. 

 In particular, everyone can do the first 5Ss or sort, set and shine easily and assure the outcomes. In this sense the participation in 5S-Kaizen sets the easy but stead start line to begin management in Africa.

(2) Intrinsic Reward System
 Most of the management methodologies and methods if any currently practiced in African countries have come from the West which exploited the continent for years. In those practices they try to give reward for individuals and organizations based on meritocracy. 

 They plan in advance the acted-out results of individuals and organizations that should be achieved. When those are achieved, the incentive value including monetary or subsidies, are to be awarded. For those who are sick and tired of such ways, emotional welling up from the inner sense of fulfillment and a sense of accomplishment mean intrinsic reward. 5S-KAIZEN brings about intrinsic reward. 

(3) Cycle of Solidarity
 BA, a Japanese word, means a place or field of associated with human activities. What supports and integrates such BA as workplace and community is the collective sense of solidarity. When such sense of solidarity is enhanced through planning, doing, checking and doing actions based on 5S-KAIZEN, people can assure and even enrich solidarity at BA. 

 Thus 5S-KAIZEN realizes solidarity in any BA of human activity. This kind of approach is attracting attention from those who practice action-research methodology in soft systems methodologies.

Service co-creation of the Public Sphere
 The emergence of innovation, by and large, has shifted its central field from production per se, to the process of production, finally to services field. Whatever emerges, however, it depends on the consciousness of people concerned. 

 The fact 5S-KAIZEN-TQM, originating in the Japanese production industry, transcended to Sri Lanka and then to African countries and manifested social impact in such countries suggests that the movement is evident innovation. 5S-KAIZEN-TQM has been accepted and shared by so many Asian and African people as effective methodologies in work environment improvement, change management and health policy.

 The aforesaid findings would be meaningful particularly when it comes to the issues relating with global contribution of health services management. 5S-KAIZEN-TQM plays salient roles not only in market where product and money are exchanged, but also in public sphere where services are co-created by grass-root people especially in health services.

 For decades Japan has been picking various western management methodologies including reengineering, CRM, pay-for-performance, balanced score card to name just a few. But do they feel happiness in their jobs? Are they really intrinsically motivated? Are they full of sense of achievement? If not, the Japanese may have benefit from looking at the lessons from its counterparts in Asia and Africa.


仏教看護入門

2012年06月20日 | No Book, No Life

著者の藤腹明子女史から数か月前に新著を贈呈いただきました。女史とは、近著の「仏教看護の実際」の書評を、このブログと医学書院の看護管理という雑誌でしたのが御縁で、こうしてまた意味ある書物を頂けるのは実に有り難いことです。

医療は、もちろんサービスなんですが、「健康保健医療サービス」は実に裾野が広い大きな世界を形作っている。モノの方向では、医薬品、医療機器、生物由来製品といったartifact系のイノベーションもさかんだが、モノと対置されるspiritualな方向でも、いろいろなイノベーションが創発しているのですね。

たとえばスピリチュアル・ケア・サービス(spritual care service)では末期がんなどの緩和ケアサービスが日進月歩の変化を遂げつつあります。この領域で、非常に興味深いのでは、こと精神、意識を相手にするサービスは、ひとつの方向性として文化・文明圏に埋め込まれた体系・技法・教えに回帰するということです。

いま一つの方向性は、スピリチュアリティがグローバル性を帯び、ユダヤ教、キリスト教、回教といった一神教(monotheism)と、多神教(polytheism)が収斂してゆくという楽観的?シナリオです。

「人は死んだらどうなる?」という問いは伝統的なサイエンスでは不問にふされます。でも、緩和ケアの現場では、死ぬ意味、そして生きる意味の紡ぎだしを、ケアを与える側も、受ける側も逃げられません。

こないだ、ある大学病院のプロジェクトで緩和ケアの専門看護師の方とじっくり語り合う機会をいただいて、「死生の意味の紡ぎだし」を現場で患者さん、家族を含めてといっしょにやっているサービスを深くお聞きしました。この意味の紡ぎだしをキチンとやってきた患者さんは、静かで落ち着いた臨終を迎えることが多いとのことでした。

そこに、いかに医療チームが介入し、意味の紡ぎだしの「場」を患者、家族と共創してゆくのかというテーマは、value co-creation of palliative/spiritual care でしょうね。こう、英語で書いてしまうと、なにか、冷たく感じなくもないですが。

ケアリングというのはサイエンスであると同時に、もしかしたら、それ以上に、人間を全体論的に捉える(その一部として人の価値システムの根っ子のことろにある宗教的な)構えが前面に出てこざるをえない構造が、特に、緩和ケアや終末期医療サービスにはあります。大量死の時代を迎え、この種の要請は益々増してくることでしょう。

このところを、value co-creation of palliative/spiritual care という切り口で分け入ってみると、いろいろな発見や意義ある提言ができそうです。

その意味で、「仏教看護」には大注目しています。科学志向が金科玉条のように言われる看護ですが、仏教看護は、看護におけるリベラルアーツのようなものだと思います。ぜひ多くの看護師、そして看護師のみならず、医師など医療チームのメンバーの方々にも読んでいただきたいと思います。

 


Amazonの著者サポート

2012年06月15日 | No Book, No Life

Amazon.co.jp の 松下 博宣 著者ページでは、松下 博宣の本をご購入いただけます。松下 博宣の作品一覧、著者略歴や口コミをご覧ください。

最近、新著を出版したfriendさんが登録したというので、マネして『Amazonの著者セントラル』に登録してみました。

アマゾンにはこのような著者向けサービスもあったのですね。facebook経由でひとつ勉強になりました♪

ああ、もっと本書かにゃならんわ。。

 

 


世界中に張り巡らされた根茎と化すウォール街占拠運動

2012年06月07日 | 恐慌実況中継

季刊誌「人間会議」に寄稿しました。詳細はこちらから。

<以下貼り付け>

「ウォールストリートを占拠せよ」(Occupy Wall Street:以下、OWS運動)ではソーシャルメディアが多用されたことが知られている。OWS運動は、社会システムのやぶれ、ねじれのようなものだ。筆者はOWS運動を、変幻自在に「空間」に根を張りめぐらせる複雑なリボゾーム(根茎)のようなものに見立てている。そこでは、さまざまな「差異」が既存の社会システムに意義を唱え、反対・反抗のメッセージを拡散している。

4つの反抗は米国の根幹を問う

当初は、実に様々な反対・反抗のメッセージが乱舞していたが、運動の過程を経て、それらの反抗のメッセージは、大別して4つに集約されてきている。

大量失業問題無策に対する反抗
米国の統計では失業率は9パーセントと言われている。しかし、非正規労働者で十分な賃金を得ることができない「アンダー・エンプロイメント」を含めると17パーセントという高い数値となっている。特に若者の失業問題は深刻だ。労働市場から排除されている人々が多すぎるのである。これらの背景から、オバマ政権は、失業問題に対して有効な政策をとっていないという批判が噴出した。

格差に対する反抗
富裕層上位1パーセントが全米所得の20パーセントを占めている。そして資産規模では上位10パーセントに属する人々が全米の資産の90パーセントを占めるという強烈な所得格差、資産格差がやり玉にあがっている。「99%の私たち」というスローガンには、「1パーセントのアメリカ人が占有する富に対して99パーセントのアメリカ人は排除されている」という問題意識が顕れている。もはや、この圧倒的な格差を容認すべきではない、という反抗である。

民主主義の換骨奪胎に対する反抗
さらに進んで、この格差を放置しているアメリカの民主主義はどうなっているのか、という疑問がある。圧倒的多数の持たざる「民」のために民主主義はあるはずなのに、まったくそうなっていない現状に対する反抗である。

強欲・金融資本主義への反抗
先に上げた3つの反抗は、行きつくところ現行の体制のバックボーンである資本主義のあり方に向かっている。99パーセントの人間が直接関与している実物経済を活性化させるより、むしろ、それに寄生して利益を収奪する強欲・金融資本主義が諸悪の根源というのである。その象徴としての「ウォールストリート」がやり玉に挙がっているという構図だ。

これら4つの理由が結合すると、明確な体制への反抗となる。すなわち、米国流のフリーマーケット(自由市場)によって、「自由」を享受できるのは、わずか1パーセントの富裕層である。特に実物経済にレバレッジを掛けて欲しいまま儲けて、破綻すれば、税金によって救済される大手投資銀行の存在に、人々は、強欲・金融資本主義の米国国家との結託を見てとった。それらの結託はアメリカの国是であるはずの民主主義の根本を否定するものなのだと。OWS運動は、現下米国の、市場主義、資本主義、民主主義のありかたに対する先鋭な反抗なのである。

<以上貼り付け>


自分と世界を噛み合わせる?

2012年06月01日 | ニューパラダイム人間学

engageという英語、このところよく出くわす。

会議、雑談で、この言葉を口にする米国人、日本人が増えてきているように思えてならない。

おやおや、と思っていたところ、なんとコーネル大学の卒業式でのSchorton学長のコメンスメント・スピーチは、 'engage the world'という内容。詳細は、President Skorton urges graduates to 'engage the world'に詳しい。

ちょっとこの言葉、日本語には訳しづらいニュアンスがある。だから、一部では、「そのエンゲージメントは年内まで」とか「そのエンゲージメントよろしく・・・」などとカタカナ英語として用いられてきた。

たとえば、この言葉は外資系コンサルティング業界で昔から頻繁に使われてきた。クライアントを対象とするプロジェクト一式や業務上の任務を「エンゲージメント」と称する。

さて、engageには、約定する、抱える、聘する、聘用する、交戦する、招く、結婚する、戦う、雇う、迎える、頼む、恃む、戦闘する、請合う、かみ合わせる、などの幅広い意味がある。そのなかでも、特定の文脈では「積極的にかかわり、自分の役割をつくりあげて貢献する」という含意がある。

'engage the world'には、「世界と積極的にかかわり、自分と世界を噛み合わせ、そこで自分の確固とした役割を築き、世界の進歩に貢献する」ほどの意味があるように思える。

気宇壮大にして楽観的、そして品格もただよう言葉だと思う。なるほど、明るい未来を信じたい卒業式のスピーチにはふさわしいのかもしれない。


世界同時株安

2012年05月31日 | 恐慌実況中継

本ブログでは、2008年から、「恐慌実況中継」とブッソウなコラムを書いてきました。すでに世界恐慌への緩やかな過程に入っていると言う見たてで綴ってきました。

日経BP社日経ITProでやっている「経営に活かすインテリジェンス」という私の連載コラムから引用しておきます。(この連載は会員向けのプレミアム・コラムで、小手先のビジネステクニックや、ノウハウ、スキルには飽き足らないという奇特な読者の方々のために、教養系リテラシーやインテリジェンスについて書いています)

第26講:強欲金融資本主義の断末魔と自由の暴走

(↑会員になると無料で読めるそうです)

<以下引用>

増幅して繰り返される歴史

 今回の欧州危機では対象がギリシャであり、米国を中心とした多数の金融機関がギリシャ破綻による債務不履行を保証するためのCDSや合成CDOを抱き合わせ販売している。「PIIGS」と呼ばれる財政基盤が脆弱なEU加盟国(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)に共通する問題でもある。

 2008年の時点で、CDSの欠陥が露呈していたわけだが、実はその後もCDSは多用されていている。その最大の理由は、CDSは金融リスクマネジメント上、必要な金融派生商品であると市場関係者が判断したからだ。破綻リスクをプロテクトするCDSを強く規制することはなかった。

 欧州の金融を安定化させるはずの欧州金融安定機構でさえもが、CDSを活用している。欧州金融安定化機構が発行する債券が暴落する時が、すなわち、ユーロ液状化が現実に近づく時となる。ここでもCDSや合成CDOのカラクリが事を複雑にしている。

 もともとは国家財政を粉飾してEUに加盟したギリシャの為政者に問題があったのは事実。しかし、財政危機に陥ったギリシャが膨大な額の国債を発行して資金を調達できたのは、CDSの保証があったからである。

 融資、投資をする金融機関、ヘッジファンドなどは、ギリシャが債務不履行に陥った時の安全パイとしてCDSを買うことにより、リスクヘッジをしてきたのである。ゆえに当事者たちにとっては、単純にCDS=悪玉ではない。

 ちなみに、ヘッジファンドとは、私募によって機関投資家や富裕層から私的に巨額の資金を集め、金融派生商品などを活用した手法で運用するファンドの総称である。租税回避地に登記されることが多く、法人ではないので、さまざまな金融規制の対象外である。SEC(米証券取引委員会)などの当局に帳簿を厳格にチェックされることもないので、競争相手や規制当局に手の内を見られることが少ない。

 話を戻そう。CDSを買った機関投資家にとって、ギリシャ国債が債務不履行になれば保険金が入ってくる。つまり、彼らにとってギリシャが債務不履行になってくれた方が得になる。

 一方、CDSを売却した企業からすれば、債務不履行が発生した場合に保険金を支払わなければならない。ところが、手元にそんな巨額の資金はない。ないカネは払えない。したがって、CDSを売った者にとっては、債務不履行は何としてでも避けたいところだ。

 このような事情があるので、ギリシャ国債を債務不履行にさせずにCDSの決済を回避したい勢力は、自主的な債務減免に持っていこうとする。債券を保有している投資家から見れば、「自主的」に債券を帳消しにさせられるわけなので、たまらない話だ。

<以上引用>

もとより、世界金融恐慌は、進行しているという見方にたって、表面的な経済事象の裏側の事象を追ってきましたが、どうやら、マズい方向にコトが進んでいます。しかも着実に・・・。

やはり震源地はギリシャです。ギリシャはこれまで大きな財政赤字をつくることで経済を発展させ、5人に1人以上が公務員のギリシア国民は豊かな生活を享受してきました。でもUEに加盟した時は粉飾・ウソの財務諸表を仕立て上げてインチキをしました。

ギリシア人は、膨大な借金を自力で返済できなくなり、年金カット、リストラ、失業で国民は苦しい生活を強いられました。その結果、『もうこんな状態は耐えられない』として借金の返済を拒むという「やらずボッタクリ」を主張する政党が5月に行われた総選挙で一躍飛躍しました。

よくないシナリオは:

①6月の再選挙で反財政緊縮派が政権を取る→②財政カットの内容が大幅に見直される。→③財政再建を前提に資金供給してきたECB(欧州中央銀行)、IMF(国際通貨基金)などからの資金提供が止まる。→④全面的なデフォルトが発生。→⑤ギリシャ国内で預金封鎖。→⑥連鎖して欧州(スペイン、イタリアを中心)で金融危機勃発→⑦日本を含め世界に波及、連鎖。

がさネタや素人の観測に頼らず、公開されているデータを活用して、恐慌の進展度合いをウオッチする指標が少なくとも4つあります。(1)長期国債金利、(2)国債に設定されているCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)レート、(3)金融機関向けに設定されているCDSのレートと、(4)金価格です。

よくないシナリオの大儲けをたくらむ国際投機筋がいるいっぽうで、ドフォルトにともなうCDSの決済資金ショートが現実味を帯び始めています。

その動かぬ根拠として、スペインのサンタンデール銀行やイタリアのウニクレディトなどの欧州の金融機関向けのCDSが立て続けに上昇しています。1金融機関がドフォルトするだけでも、その破壊的威力はリーマンショックを凌ぐことになります。

3金融機関がデフォルトすると、一気に金融恐慌が表面化することになります。5月末金価格はgあたり4100円と低いレンジで推移していますが、金価格の暴騰は、以上のシナリオを織り込めば、現実化してゆくことでしょう。

 


「ものことつくり」のマーケティングとアウトリーチ活動

2012年05月28日 | 技術経営MOT

7月にドイツのシュタインバイス大学の技術経営系大学院のアウトリーチ活動に参加することになりました。この活動に参加するのは僕自身のアウトリーチ活動でもあります。詳細はこちらのサイトです。

7-8月にかけて、東京農工大以外にも日本工業大学MOTや札幌市立大学大学院でレクチャーするので、忙しくなります。

さて、シュタインバイス大学は、knowledge and technology transfer partnerと謳っているように、産学連携スキームの大陸欧州でのプラットフォーム的役割を果たしています。

この一連のプログラムの中で、「ものことつくり」のマーケティングについてファシリテートします。使用言語は英語です。ドイツと日本の学生、社会人が一同に会して約1週間、多摩地域のベンチャーやスタートアップスのフォアフロントでインタビュー、ディスカッションし、戦略提案をまとめるという企画です。

準備は大変ですが、楽しみです。

「ものことつくり」のマーケティングってなんでしょうか?マーケティングといっても、コトラーがいうような4Pだとかのクラシックなフレーミングではありません。むしろ、先端的なものつくり系グローバル企業は、既存のフレーミングを破壊するようなイノベーション志向のマーケティングや技術経営3.0(松下の勝手な造語)を先鋭化させています。

ものつくり企業における新しいマーケティングないしは技術経営3.0とは、一言で言うと、マーケティングの「ものつくり」への浸潤、入り込みです。マーケティングが創るものっていったいなんでしょうか。

答え、意味。そして意味を共有する見込み顧客。

つまり、ものつくりへの意味の埋め込みが本質的に重要になってくる。

iphoneを買う人、プリウスを買う人、facebookを使う人、NPOが提供するソリューションを使う人・・・。多くの消費者はsomething differenetな意味を求めています。消費者なんてよぶよりも、もはや、意味の共有者、もっといえば、意味の共創者っていうほうがあっている。

つまり、ものつくりのプロセスの中に、意味つくりのマーケティングが埋め込まれて実装される、ということです。具体的には、意味志向のマーケティング機能が、製品アーキテテクチャ、デザイン、技術標準化、知財戦略、プラットフォーム戦略、事業戦略の中にシステミックに統合されてゆくという姿です。

アップルは、その意味で極めて先端的ですね。アップルはCPUとOSを垂直的に統合したなんてよく説明されますが、ほんとうに垂直統合させたのは、意味(外形的にはプロダクトデザイン、内面的には利用価値)でしょうね。

垂直統合といえば、最近はビジネス版「失敗の本質」の代名詞のような語感がありますが、これからは垂直統合企業の新しい出番だと思います。今求められているのは、意味を垂直的に統合するプロダクションであり、ビジネスモデリングです。

               ***

ダメものつくり:機能・品質重視→意味つくり失敗→付加価値つくり失敗

これからのものつくり:脱ものつくり、つまり、感性・質感・意味の重視→ものつくりプロセスへのそれらの埋め込み→意味のもの(artifact)への埋め込み、つまり「ものこと」化→新しい付加価値つくり成功

顧客を基点にして、意味を共有し、バリューチェーン内の様々なユニットの価値共創(value co-creation)が本質的に重要になってきています。

従来はバリューチェーンの下流でのマーケティングが主流でしたが、マーケティング機能が上流へと遡及してゆき、「ものつくり」を「ものことつくり」へと変化させていく、そのドライビング・フォースです。換言すれば、マーケティングのリフレーミングです。

               ***

さて、近年、研究、教育以外のはたらきとして特に注目されている大学のアウトリーチ活動ですが、日本の大学ではあまり注目されていないようです。母校のコーネル大学ではアウトリーチを以下のように説明しています。

Outreach programs solve real-world problems by linking people to Cornell's rich resources. Students, faculty, and staff share their expertise and energy with schools, businesses, government, community organizations, individuals, and families.

つまり、

コーネル大学のリソースにみんなを結びつけることによって、現実世界の問題を解決すること。学生、教員、スタッフが、大学、ビジネス、政府、コミュニティ、個人、家庭と専門知識技術とエネルギーをシェアすること。

こう考えればスッキリします。

 


社会イノベーションのすすめ~血縁、地縁、社縁の復興を~

2012年05月21日 | 技術経営MOT

日刊工業新聞に拙論「社会イノベーションのすすめ~血縁、地縁、社縁の復興を~」を寄稿しました。 

 


ねじれ幸福感のガラパゴス化

2012年05月15日 | ニューパラダイム人間学

facebookで拾ってきたチャート。

平均余命を健康指標としてタテ軸、ひとりあたりGDPを横軸に配置して、国別のポジションをこのマトリックスに書き入れ、かつ、その国の人口規模をマルの大きさで相対化したもの。

3月におとずれたコンゴは左下の隅っこにある。つまり、最貧国のひとつで寿命(0才時での平均余命)も45才ちょっとと極めて短い。翻って日本は、バブル崩壊、長引くデフレ、財政逼迫といっても、右上の上の方。

なかほどに巨大人口を抱えて、右上に向かって伸びてくるであろうインドと中国がどかんと座っている。

日本人は長生きもするし、ひとりあたりGDPも高い。そしてそのような裕福さを享受する人口は、アメリカの約半分の大きさで、右上のグループの中でもひときわ存在感は高い。

つまり、客観的な幸福の条件は他の国々に比べれば整っている方だ。さて、客観的ではなく主観的な幸福感はどうか?

世界各国に暮らす人々の内面の幸福度を測定し比較するデータベースとしてエラスムス大学のワールド・データベース・オブ・ハピネス(WDH)というものがある。

WDHでは、「現在の生活にどの程度満足しているのか」という質問を10点満点で計量化したところ、な・なんと、日本は世界60位。日本の位置は、金融危機のギリシャ(56位)やお隣の中国(54位)よりも低い。主観的な生活満足度は先進国中最低レベルというのが日本の状況だ。

たしかに、鬱病患者は年々増えて、すでに100万人以上に達している。97年に集中した大手金融機関の破綻、大企業の倒産がトリガーになって、以降、年間自殺者は3万人以上で高止まりし、無縁死も年間3万人以上いる。こんななかで、幸せを感じることができるとしたら、それはよっぽど強い人で、まわりが見えていない人じゃないのか?

つまり、日本という国には、外形的な幸福感の条件はある程度高いレベルで揃ってはいるものの、そこに棲む居住者は、主観的に幸せを感じずらいという、ねじれ現象がある。カレル・ヴァン・ウォルフレンは官僚支配の構造を絵解きして、『人間を幸福にしない日本というシステム』を指摘したが、案外、こういう幸福感のねじれ現象に、それは顕れているのかもしれない。

なぜ、そうなのか、については、これからいろんな人と意見交換してみたい。

コンゴと日本。まさに両極端だ。でも、コンゴでは会う人、会う人、みなが良く笑っていた。とても笑えるような状況でなくても、とにかく、よく笑うのだ。幸せだから笑う、笑うから幸せになる・・・まあ、いろんな説明はあるようだが、国民一人当たりのGDPは日本はコンゴの100倍。

で、日本人はコンゴ人の100倍の笑うの?とんでもない。コンゴ人のほうが5倍くらいは笑っている。

日本では、ねじれ幸福感のガラパゴス化が進んでいるのかもしれない。

 


ソーシャル・イノベーションってカッコいい?greedからgreenへ

2012年05月08日 | ビジネス&社会起業

スタンフォード大学で教鞭をとっている人と面白い話になった。

もともとがイグジットを済ませた起業家でもあり、大学の仕事をするようになってからは、ボランティアで途上国向けのソーシャル・イノベーション支援や研究を仲間といっしょにやっている。(各種資料はここららダウンロードできるよ)国際的社会起業については、わりと熱心に書いたり、支援してきているので、ついつい話がアツくなってしまった。

もともとStanfordは、Sillicon Vallyに位置してinnovation eco systemのハブのような起業に熱心な大学ではあるのだが、近年の学生の志向性がずいぶん変わってきているというのだ。たしかにCornellからも似たような話はよく聞く。

僕がいたころのIvy leagueあたりでは、有能で、てんこ盛りの野心があれば、①スタートアップを設立して、すばやくファイナンスを行い、M&AかIPOでイグジット。そこまで才覚がなければ、②投資銀行やコンサルティング会社にいったんは就職、③その他の普通の学生は、大手企業、④その他ボンクラは役所へ、っていうのが、まあ定石だった。

日の丸エリート君たちの標準的キャリア選好は、④→③→②→①の順番で真逆ということで、しばしば揶揄されるのだが、こんな揶揄は、もはや一般的すぎて面白くないもなんともない。ところが、昨今のtop schoolでは、風向きが変わっていている。風の吹いている方向は、従来のカテゴリーにはない、ソーシャル・イノベーションであり、ソーシャル・ビジネスとなっている。

市場から排斥され、市場原理だけでは、なかなか解決できないような社会的問題に対して、まっとうな解決を与えてゆくイノベーション類型をソーシャル・イノベーション(Social Innovation)と呼ぶ。こうしたソーシャル・イノベーションを、ビジネス手法を活用することで実現する事業がソーシャル・ビジネスだ。

ピースコープ(ボランティアを組織して世界に人材を派遣する機関)やティーチ・フォー・アメリカ(大卒者を僻地の学校へ教師として派遣するNPO)も米国大学卒業者のトップ10にはいってきている。利他的でgreenであることを重視し、持続可能性を担保してゆく社会起業家(Social Entrepreneur)がカッコよく、利己的でgreedyなキャリア追求は、むしろカッコ悪いのだそうだ。

10年前と大差ない日本の、硬直的、画一的就職ランキングを見るにつけ、こりゃいったいなんだ?と思う昨今。ほとんどが衰退期、成熟期に入った大企業ばかり!そんなリスト、墓石リストとでも名前を変えた方がいい。


近畿中央病院にて

2012年05月01日 | 講演放浪記

ちょっと前に、近畿中央病院から依頼があり講演に招待された。いただいたテーマは看護ケアサービスシステムと看護師長の役割、コンピテンシー」というもの。とある専門誌に寄稿した拙論をご一読いただいたことが縁となって呼ばれた。有り難いことだ。

医師も看護師も、当然、顧客である患者に対して診断、治療、看護に関わるケア、キュアのサービスを提供している。だから一括して、医療サービスなんていう言い方が一般的だ。

さて、診療部門や看護部門には管理職やマネージャがいる。彼ら彼女たちの仕事は、現場でケアやキュアのサービスを患者=顧客と共創する医療チームへのエンパワーメント、マネジメント、リードが中心。換言すれば、サービスへのサービス、あるいはサービス・オン・サービス。

医療崩壊がさかんに喧伝される昨今、現場の医療サービスを支えるサービス・オン・サービスが、今こそ力を涵養し発揮する必要がある。そのためには、医療という振る舞いをサービス・マネジメント・システムとして捉えてゆくべきだ。

しかし、医療の現場では、病歴管理、安心安全マネジメント、リスクマネジメント、人事管理、資財管理、財務管理、システム部門、etc...というように、サービス・マネジメント・システムはタテに部門ごとに割りつけられていて、バラバラな状態。そして、専門化も進み、学会もおおむねこのタテ割構造の延長線上にある。

これではマズイ。保健・医療・看護・介護などのサービス・オン・サービスをヨコ方向に結び付ける、サービス・マネジメント・システムの一般理論のようなものがぜひとも必要だ。そんなことをみんなで一緒に考えて談論風発する機会だった。

談論風発は研究の触媒、起爆剤みたいなものだ。研究をある種のサービス活動を見立てれば、フィールドでの談論風発は、研究者にとってサービス・オン・サービスのようなものだ。


市場創造、裏舞台に注目を~ものことつくり経営~

2012年04月16日 | 技術経営MOT

日刊工業新聞に拙論「市場創造、裏舞台に注目を~ものことつくり経営~」を寄稿しました。 


不思議なキリスト教

2012年04月15日 | 日本教・スピリチュアリティ

橋爪大三郎先生と大澤真幸先生は、小室直樹大先生の直弟子にあたる存在で、昨年3.11のちょうど一週間前に行われた小室直樹博士記念シンポジウムにも揃って登壇していた。

小室直樹の比較宗教学の系譜を引く、このふたりの対談ならば、巷に溢れる浅薄な宗教論にはない、核心を衝いた議論をしているはずだ・・・。そう思って、この本をアマゾンで注文して手にとったのが、アフリカのコンゴ民主共和国に行く数日まえだった。行きの飛行機のなかで、読み終えた。

p4・・・近代化とは、西洋からキリスト教に由来するさまざまなアイディアや制度やものの考え方が出てきて、それを、西洋の外部にいた者たちが受け入れてきた過程だった。

p5・・・しかし、現代、われわれの社会、われわれの地球は、非常に大きな困難にぶつかっており、その困難を越えるために近代というものを全体として相対化しなければならない状況にある。

以上、この本のthesisは直裁にして明確。このどっしりとした問題提起に始まり、実にさまざまな議論が展開されてゆく。社会学、比較宗教学の学術マナーを押さえた議論なので、へんてこりんな価値誘導や、恣意的な議論がないのがいい。定価840円以上の価値はありありだ。

国内では相手のインテリジェンスにもよるが、海外で仕事をするときに必要な要素は①外国語コミュニケーション能力を含む人間力、②体力、③専門性、④リベラルアーツの素養に大別できる。

この本は、上記の④リベラルアーツの素養を拡げ、深めるためには格好の一冊だ。その延長線上に、比較宗教論としての日本教の議論があってもよかったが、いかんせん、新書にしては長目の346ページ。

続編として日本教の議論を期待したい。東工大のVALDESで橋爪大三郎先生に逢ったら、ぜひ進言?してみようか笑)

さて、市場、企業ガバナンス、国際技術標準、国際技術規格、財産権、知的財産権にはじまり自由主義、新自由主義の「自由」に至るまで、その淵源はすべてユダヤ、基督教、イスラーム教、つまり一神教=monotheismから発生してきたinstitutionsの系譜に遡る。

ところが、公会議を開催し教義の標準を決めてゆく普遍インテリジェンス志向が決定的に欠落しているのが、monotheismの対極にあるpolytheism(多神教)日本教の、インテリジェンス欠陥症候群。

国際技術経営にとっても「日本の神様とGODはなにが違うか?」の根源的な問い=root questionは、案外重いものなのだ。


日刊工業新聞「卓見異見」

2012年03月26日 | 技術経営MOT

日刊工業新聞の「卓見異見」 というコラムの連載を来月4月から約半年間やることになりました。

神奈川県知事の黒岩祐治さん、宇宙環境利用プラットフォーム、次世代宇宙システムの開発を手掛けているPDエアロスペース社長の緒川修治さんとかわりばんこに書くリレー方式の連載です。

こういうリレー式のコラム、面白いですね。

さて、日刊工業新聞は、技術経営(Management of Technology)、産業技術(Industrial Technology)の本丸的メディアです。

2-3月は、保健・医療・福祉サービス関係の仕事で内外を飛び回っていましたが、4月以降は、この紙面を借りて、モノコトつくりの文明論にはじまり、技術企業経営論、新産業創発新人類(アントレプレナー、イントレプレナー、トランスプレナー、奇人変人論)まで渉猟したいと思います。

掲載予定日は:

4月16日 (4月6日締切)
5月21日 (5月11日締切)
6月25日 (6月15日締切)
7月30日 (7月20日締切)
8月27日 (8月17日締切)

よろしくお願いいたします。