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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

「暮らし」と「地域」をささえる様々な働き方

2014年11月15日 | 無償の労働、贈与とお金

現代は、極端に「賃労働」か「ボランティア」に二分される労働の時代です。

ようやくソーシャルビジネスが、急速に広がりはじめていますが、まだまだ実態は公的な性格が強い労働であっても、「公務員労働」か「ボランティア」に二分されてしまう傾向がとても強いものです。

また、考え方においては、「お金」「賃金」「雇用」だけが、労働の交換条件として支配する社会です。


それに対して、このたった半世紀以外の長い労働の歴史は、

賃金」や「雇用関係」だけに左右されない、とても多様な働き方によって地域は支えられていました。

 

これまで「結い」のような関係が見直されていることは意識していましたが、その「結い」以外にも、実にたくさんの「恊働」のかたちがあることを都丸先生の本を読んで知りました。

 

都丸十九一『消え残る山村の風俗と暮し』高城書店(昭和34年)絶版

 

上記本を参考に、通常の労働以外のスタイルを上げると以下のようなものがあります。


1、個人では対応できない大規模労働 =「結い(エー)」

    労働力不足を補う賃金の介在しない労働の交換=貸し借り

      田植え、稲刈り、屋根ふき替え、脱穀、除草、桑摘みなど

       借りただけの仕事は返さなければならない「エーゲーシ」「エーガワリ」

       「結い(エー)」の関係を結ぶのは、実利ばかりではなく「ハリエー(張り合い)が

      悪いから」といった、一人で作業するのは寂しく、猛獣や毒蛇に会う危険を避ける

      性格もあった。

写真は、福島県の大内宿の屋根吹き替え作業


2、共同作業  =「モヤイ」

         数軒の家が共同で出資して、山持ちから薪炭材を立木のまま購入して、共同作業に    

     よって伐採し、マキとボヤに束ねて、それを自家用にし、また売却するような作業。

         総じて、利益は各人に帰ってくる。


3、金を払うべきものを手間で返す  =「テマガエ」


4、援助労働  =「スケゴー」

    労働に対する手当は出る  恒常的な雇用関係はない


5、半強制的な労働 = 「テンマ、オテンマサマ」

          江戸時代の無料人足のお伝馬からきている

    上からの強制である場合が追い  多くは無償労働、義務人足

         神仏祠堂の修理や屋根替え、道普譜、堰普請など公共の作業にあてられる傾向がある


6、頼まれていない勝手な労働「オッカケ」


7、自主的な「出稼ぎ」労働

    現金収入を目的に他所へ出る


8、義務や責任観念の伴わないもの=「手伝い」「助けっこ」


9、家事・育児などの生活していくために欠かせない日常労働


もちろん、こうした分類だけで現実の労働が行われているわけではなく、田植え稲刈り、養蚕などの作業では「結い」の労働に新潟からの出稼ぎ労働も加わったりして、必要に応じて組み合わせて行われます。

 

 

 民俗学的な歴史表現で語ると、つい昔のつながりは良かったと単純に考えてしまう傾向もありますが、これらの多様な働き方そのものは、現代でも無くなってしまったわけではなく、こうした言葉は使われなくなっても、似たような作業は今でも行われています。

 

 

しかし、「雇用」と「賃金」を主軸にした労働観でみてしまう限り、どうしても昔の姿とは異なる「働き方」になってしまう傾向が強いのです。

その最たる例が、「多様な働き方」の保証、イコール「派遣労働」の増加にみられる、より「移転しやすい」=「売買しやすい」労働を増やす一連の政策です。


 よく誤解されやすいことですが、「多様な働き方」=「派遣労働」が増えるような実態を支持するものではありません。

  ここで求められているのは、必ずしも「雇用形態」の多様化ではありません。

 現代の、「より交換しやすい労働」「金銭で売買しやすい労働」へ一直線に進化する経済ではなく、地域性や人的つながりなどの制約もある「交換しにくい労働」こそ、価値が保持されるという、もうひとつの価値観の問題です。



  そのような時代になると、会社も、ふたつの方向で進化、脱皮していくことと思います。

  (1)、利益や市場をささえている、より幅広い環境にアクセスしていく姿勢

  (2)、個別労働の対価としての「賃金」ではなく、人間と自然の生命の再生産に必要な、

           労働報酬だけにとらわれない互恵関係の構築 

         (右肩上がり時代の思考からの脱却)



それは、一元的な会社や特定の組織とだけの「雇用」支配・従属の関係ではなく、

また、「仕事」で稼いだお金のみで成り立つ、「買う」ことで成り立つ「くらし」ではなく

   地域の柔軟なつながりを軸にした多元的な関係=「くらし」の体系のなかに

      「労働」や「仕事」が包まれていく時代へ、再び組み直すことを意味しています。


「賃労働」として「お金」で交換することがすべて悪いわけではありません。

あまりにも、「賃労働」のみに偏った労働観が今の異常な社会構造をうんでいるのではないかと感じるのです。

「お金」を使わなくても、豊かなくらしを実現できる様々な方法があることに気づくことが必要な時代になっていると思うのです。


今、長引く不況で経営が苦しいから、

 「そんな悠長なことは言っていられない」ではなく、

経営が苦しいからこそ、

より明るい幸せな未来を展望できる「労働観」や「生活観」を取り戻さなければならないのだと思います。


      

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