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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

天変地異・異常気象を否定しない会@群馬支部

2010年04月17日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜
桜の花びらに覆いかぶさる雪。
次第にダラダラと咲くようになってきた桜が、一段と開花時期の幅を広げてくれたような陽気です。

この時期の積雪は41年ぶりらしいです。
こうした自然の変動は、農作物への甚大な影響をもたらすことと思います。

寒いのが苦手な人だけでなく、現実にこうした変化で切実な被害を被る人は決して少なくありません。

ところが、こうした変化をすぐに地球温暖化のせいにしたり異常気象であると決め付けて騒ぐ傾向が、
最近あまりにも強くなってしまっていることに少し疑問を感じます。

もちろん人間のエゴによる環境破壊は、絶対に許されることではありません。

しかし大きな気候変動をあまりにも、地球温暖化などの原因にばかり結びつけすぎてしまい、そもそも自然そのもののもつ変動の大きさや、
大自然や生態系そのものが奇跡ともいえるほどの微妙なバランスの上に成り立っているということを私たちは見失いすぎてはいないでしょうか。

「41年ぶりの雪」という確率は、はたして自然界にとっては「異常値」というレベルのことなのでしょうか?

平均気温に近い状態を目指して安定した結果を出し続けることが、自然にとって「自然な」状態といえるのでしょうか?

それらは、あまりにも人間を中心にした勝手な見方の自然観であると思えてなりません。



そもそも、この宇宙のなかにひとつの星が誕生したこと、
さらには、そこに生命が誕生したこと自体が、天文学的数字の上に成り立った奇跡ともいえる事実です。

そうした「奇跡の連続」の上に、ひとつひとつの生命は、さらなる「奇跡のバランス」の上で成り立ち、またその「奇跡の生命」を持続させることにすべての生命が、
まさに命をかけてそれぞれのレベルで闘っています。

このひとつひとつの「奇跡の生命」のどれひとつをとっても、
それが傷ついたり損なわれたりすることは、たしかにどの命にとっても悲しいことで、
可能な限り避けたいことに変わりはありません。

にもかかわらず、この大宇宙の無機物、有機物を問わず
営々と営まれる軌跡の連続には、
それぞれの今の存在を生み出した一本の必然が貫かれています。

その必然性とは、天変地異や災害、異常気象なども含めたあらゆる「見かけの偶然」の積み重ね上に貫かれているものです。

いまあるそれぞれの命は、それだけの奇跡の積み重ねの上に成り立っているからこそ、
かけがえのない価値をそれぞれが持っているのです。

その「かけがえいのない」という価値観のなかに上下の優劣はありません。

この「奇跡の連続」という神秘の多くを、現代の最先端の科学は私たちに解き明かしてくれますが、私たちはまだ、その「奇跡の連続」のなにかがわかったわけでもありません。

おそらく私たちがイメージできるいかなる偉大な神の力などよりも、それらは遥かに大きな力によって動かされているものであると思います。

40年に一度、100年に一度の変化は、われわれの一生にとっては、まぎれもなく大きな変化です。
でも、それらの変化よりも遥かに大きな奇跡的変化の連続の上にわたしたちの生命はつながっていることを忘れてはならないと思うのです。

こうした視点に立つと、予測できる災害の予防や対策は大事ですが、
それよりも遥かに予想を超えた現実が襲ってくることを前提として、
それを受け入れた後にどう行動するかということにこそ、より多くエネルギーを費やすべきことではないかと感じます。

ちょっとした地殻の変動やマグマの活動が、あるいは太陽や天体のちょっとした異変が、
今の私たちの想像をはるかに超えた異変をもたらすことは、十分にありうることです。



良寛さんは、


災難に逢う時節には 災難に逢うがよく候

死ぬ時節には 死ぬがよく候

是はこれ 災難をのがれる妙法にて候


といってます。

これは決して運命にのみ身をまかせる投げやりな姿勢のことではなく
人の喜びも悲しみもひと一倍知り抜いている良寛さんの言っている言葉です。

人が不幸に感じていることに対して、
無責任に悟りめいたことを要求することは出来ません。
ひとつひとつの災害や異変は、紛れもなく大きな問題です。
悲しい出来事です。

しかし、私たちのコントロール出来ない自然を、安易に問題視するような見方だけは考え直したほうが良いと思うのです。
私たちがまだ理解しえていない、今あるそれぞれの自然や生命の価値を、自分の価値観よりも上の存在として
認められるように努力しなければならないのではと思います。

ちょっとまだ説明不足でしょうが、
よって、ここに勝手ながら本日、
「天変地異・異常気象を否定しない会@群馬支部」を設立します。

全国本部がどこかにあるわけでもありません。
私個人が、勝手に思っただけの活動です。
賛同出来る方は、是非、勝手にそれぞれの地域で立ち上げてください
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2 コメント

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天変地異、異常気象、、、、 (よっちん)
2010-04-17 22:49:11
「峯の色 渓の響きもみなながら

わが釈迦牟尼の 声と姿と」

「春は花 夏ほととぎす 、、、、、、、、、
四季の姿の一切が大宇宙の生命なら

峯の新緑も紅葉も谷川の響きも、すべて大宇宙の声と姿 命である…と 道元も。
返信する
Unknown (かみつけ)
2010-04-18 07:25:22
そうですね。
私たちの日常の感覚ではとうてい及ばないこの宇宙の広さを、科学の力や文学表現の助けで少しでも感じ取ることで、はかない生命の連鎖のそれぞれのかけがえのなさも見えてきます。

天文学的な確率の積み重ね、そこに貫かれる必然を、安易に神の力とみるよりも、道元のような日本的表現の方が美しいばかりでなく、より本質をとらえているように思えます。
返信する

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