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かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

働き方が変わる、学び方が変わる、暮らしが変わる。
 「Hoshino Parsons Project」のブログ

数をたのまず

2023年10月24日 | 脱・一票まる投げ「民主主義」 自治への道

生まれてこのかた好景気を知らず、
たとえ投票率が劇的に上がったとしても、
自分たちが多数派になることはあり得ない今の若い世代。

そうした時代に生きる彼ら彼女らの思考に、私はここ数年、どれたけ大切なことを教えられたことでしょう。

 

今日の小選挙区制に代表される、51人の考えを49人に押し付ける多数決の考え方が、どれだけ民主主義そのものを劣化どころか破壊をしているか。

われわれ世代の、多数派を目指せばまるで「正義」が実現されるかの安直な思考が、いかに間違っていたか。

そもそもものごとというものは、多いか少ないかではなく、個々の存在価値を認め、それぞれのクオリティを高めることこそが大事なのだと彼らはいつも教えてくれる。

「正しい」を実現することよりも、まわりに良い影響を与えられる「個」になれと。

そしてそこには、理念や方針の正しさ以上に、プロセスの「丁寧さ」が不可欠なのだと。

われわれの同世代(一部の真面目なみなさんには申し訳ないけど)には、この「丁寧さ」というのが決定的に欠落しています。あまりにも、継ぎはぎだらけの足し算思考ばかりです。

この「丁寧さ」があれば、結果的に答えは見えていなくても、より着実に大きなものにたどり着ける。

「丁寧さ」の欠落したところに、「信頼」は生まれない。(ここが私には一番難しい😅)

それでも彼らのおかげで、わたしの働き方、暮らし方も随分変わってきたのを感じます。

世の中の軸足が、なにを「する」かの時代から確実に、どう「ある」かの時代に変わりだしているのを感じます。

 

心から若い彼ら彼女たちに感謝しています。

 

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あまりにも実態が知られていないインボイス制度と消費税

2023年09月23日 | 脱・一票まる投げ「民主主義」 自治への道
1000万円以下の零細事業者、個人事業者、あと副業事業者にとっても大変なことになるのに、ほとんどその実態が知られていないインボイス制度。
 
そもそも、「消費税は預かり税ではない」
国会できちんと確認されていることにも関わらず、橋下徹とかは、消費者から預かったお金を納めないのはおかしいなどと、未だにデマを流す。
 
もともと消費税は「売上税」として提案され、猛反対を受け、名前だけ「消費税」と変えて押し通した制度です。
 
ざっくりと言うと、
事業者の純利益に対して課税されるのが法人税。
事業者の粗利に対して課税されるのが消費税。
したがって法人税は、利益が出ていなければ払わなくてよいものですが、消費税は取り引きそのものに課税かれるのです。
この意味で、最初の「売上税」という表現が本来は正しかったのです。
さらには、粗利つまり、仕入れ値に上乗せされた利益に課税されるという意味では、ヨーロッパの「付加価値税」という表現の方がより実態にあった表現であるといえます。
 
それを事業者ではなく消費者が負担してくれるものかのように名前を変えて擬装したことが、今日の誤解をうむことになっているわけです。
 
 
かつて直間比率の見直しということが叫ばれていましたが、いつの間にか聞かなくなりました。
それは、直接税である法人税の比率を下げ、間接税の消費税を上げることが実現したからなのですが、大企業や経団連が消費税増税を大真面目に叫ぶ理由は、それだけではありません。
 
消費税は国内での取引に課税されるものであり、輸出や国際輸送に類似する取引では免除される。
具体的には、輸入貨物を課税対象とする一方で、輸出取引については免税とします。
 
これがどういうことになるかというと、
 
輸出企業は、輸出する商品やその部品を仕入れた際、すでにその対価とともに消費税分の金額は支払い済みだということになっており、その消費税分はほとんど還付されてくる。
その実態は、古い数字しかありませんが、2008年の消費税の還付総額は約6兆6700億円。
この金額は、同年度の消費税収約17兆円のおよそ40%。
これら内訳の大半は、輸出大企業によって占められています。
 
輸出企業の免税実態
輸出大企業に消費税1.2兆円超還付 税率10%で1810億円増大 | 全国商工団体連合会

輸出大企業に消費税1.2兆円超還付 税率10%で1810億円増大 | 全国商工団体連合会

元静岡大学教授・税理士 湖東 京至さんが推算  トヨタ自動車をはじめ日本を代表する輸出大企業10社に、2020年度だけで1兆2千億円余りの消費税が還付―。消費税10%への増...

全国商工団体連合会

 
日本の法人税が諸外国に比べて高すぎることが、かつて声高に叫ばれていましたが、見かけの数字とは違って実効税率が大企業ほど異常に低いことがこれらのことからもわかると思います。
 
 
この輸出大企業への消費税の還付金の問題は、明らかに企業一般の問題ではなくて、ごく一部の輸出大企業(=経団連)のために、多くの企業が払っている消費税が分配されているのだということが知られていません。
 
 
もともと、低所得者ほど負担比率が高くなる消費税の逆進性を少しでも是正するためにある免税事業者制度です。
これが実態としてなくなってしまうのですが、こっちの少ない額の方をイジメるセコさにも呆れるばかりです。
でも彼らの側には、自分達だけの利益を守ろうとする強い動機と巨額の献金を通じて政治を動かす力があることを忘れてはなりません。
 
税そのものが悪いという話ではなくて、この国がとことん低所得者たちから広く集めた税を、大企業優遇のために使い続けているために、ひたすら国内消費が冷え込み、企業自身が自力で成長する力も無くなってしまっていることをもっと理解すべきです。
 
先進国で日本だけが長引くデフレで落ち続ける原因は、消費税にこそあります。
消費税のような性格の税は、インフレの時こそ効果のあるもので、デフレの時期にその増税をしていることは真逆の判断を続けていることに他なりません。
 
インボイス制度などこれらは面倒くさい話かもしれませんが、こうしたことを一つひとつ理解していくことは、私は選挙の投票行動以上に大切なことと思います。
 
以下のYouTube動画がとてもわかりやすいので、是非見てください。

 

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これから始まる人類の本史

2023年05月07日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

#ChatGPT の日常への浸透スピードが凄い!もう、この勢いは止まりません。
AIやロボット、ChatGPTにどんどん人間の仕事が取って代わられる話もしきりです。

でも、ものごとを深く考えることで、これらの技術で取って代わる論理的思考のレベルは、人間の思考では極めて初歩段階のものにすぎないことがわかってきます。

ただの情報や論理は、どんどんAI、#チャットGPT などに置き換えてなんら問題ないと思います。
確かに日常の仕事や暮らしは、膨大な情報の処理で成り立っている部分が圧倒的な比率を占めているので、そこに革命を起こすAI、ChatGPTが社会にもたらす変化は、間違いなく劇的なものがあります。


そもそも人間の活動にとって本当に肝心なのは、

①論理では貫けない感情の力
 (どんなに理屈で筋が通っていても感情で受け入れられないと通用しない例など)

②確率統計をもひっくり返す意思の力
 (たとえ1%の可能性であっても強い意志の力で乗り越えられる場合があることなど)

③人間のコントロールの及ばない圧倒的な偶然性の支配下にある自然界の現実、
 (いかに科学技術や文明が進歩しても、私たちを覆う自然界では、隕石の衝突や様々な災害や疫病、気候変動などの偶然性や奇跡の連続ともいえる外的要因によって、今日のわれわれの存在は支えられている実態がある)

④意識を介在せずに成り立っている生命過程
 (自然界はもとより人間の個体レベルでも、大脳意識の介在しない無意識の自律神経系の活動によって生命は成り立っていることなど)

など、これらを前提とした「社会一般」ではなく、

「私」と「あなた」の今日の思考と決断、行動と暮らしです。

 

 AIや量子コンピュータの仕組みなどを見れば見るほど、人間の高次神経機能や思考の世界といっても、基本は基礎的な生命の化学反応の積み重ねで、99%以上は同じ物理法則の上で成り立っています。

 



人間のする仕事が無くなるかの議論がありますが、とんでもないことです。

先の四つの要素から考えれば、人間と自然の生命過程こそが、世界の基本構造なのだから、きちんとした食生活をしようとしたり、子育てや家族との時間を大切にしたり、生命を支える自分の畑を耕したりする生活、それらのことが日常の現実とても忙しい毎日です。


 関連ページ(「経済活動」よりも「生命活動」に「信」をおく社会

食っていくために稼がなければならない仕事から解放されて、生きていくためにしなければならない膨大な生命時間にこそ、手間と労力をつぎ込む社会に向かいだすことは、なんら間違ったことではないはずです。
もちろん、その転換は容易いことではありませんが、その努力と苦労こそ、最も人間がやる価値のあることです。

生命と向き合うということは、そこにこそより手間暇をかける価値があるということですから、他の領域はどんどんAIやロボットに置き換えられてもなんら問題ないはずです(^^)

これまで私たちがイメージしてきた未来社会像とは、もっぱらこんなイメージでした。

 

 

 

でも、これからの私たちがイメージする未来社会は、AIやロボット技術などのおかげで膨大な情報や作業に支えられた部分は、限りなく見えない世界(地下やバーチャル世界)に押し込められて、普段目にするのは、以下のような世界なのだと思います。

 

 

 


コロナパンデミックで世界中がわずか数日ロックダウンしただけで、
私たちは見たこともないような澄んだ空を見ることができました。



人類は、あまりにも稼ぐためだけのしなくても良い仕事に追われ続けて、

GDPに換算されない大切な生命時間を犠牲にし過ぎてきたことに気づくだけの話です。



ここから私たち人類の自然過程にしっかり寄り添った人類の「本史」が、ようやく始まるのだと思います。

 

 



(この記事は、別ブログ「これから人類の本史がはじまる」「物語のいできはじめのおや ~月夜野タヌキ自治共和国」の記事を加筆訂正したものです)

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大切にしたいモノ・ヒトの文脈が生きる空間、朝陽堂

2023年03月20日 | 暮らしのしつらえ

10年くらい前になるでしょうか。私は、ある出版社の営業の方から、中之条の先にある原町旧道沿いに土間のあるお店があるという情報を聞いたことがありました。

その後しばらくしてから、それらしき場所へ車で行ってみると、通りから見ると店内に昔の商品陳列台のような平台が見え、その下に確かに土間らしき構造が見えました。

しかし、その時は車でちょっと徐行して覗いただけで、その様子は失礼ながら今も営業しているお店なのか確信が持てなかったので、そのまま立ち寄って確かめるまではせずに通過してしまいました。

 

そんなことはすっかり忘れていたとき、たまたま古民家を再生するプロセスをSNSでアップしている方を見つけました。

そしてその場所が、かつて立ち寄ることなく素通りしてしまった土間のある店であることは、またしばらく立ってから知ることが出来ました。

 

 

壁面などの構造を大胆にいじるアイデアも、よく考えられています。
改装後の西側壁面

 

 

かつては、このように長年にわたる遺産が山のようにあり、それらをただひたすら

片づけて、片づけて・・・

捨てて、捨てて、捨てて・・・

残すものを、

拭いて、拭いて、拭いて・・・

磨いて、磨いて、磨いて・・・・

 

それらをずっと繰り返すこと7年。

 

直近の4世代くらいの期間でも、家業や地域、家族の歴史や想い出が、たくさんのモノの中に蓄積しており、それらの選別はとても大変な作業です。

 

途中、出産で休んでいた時期もあったそうです。

都会の住宅と違って昔の広い屋敷のことですから、ものすごい量の作業であったことが想像されます。

なんとその片づけ処分作業のためだけに、軽トラックを1台買ったそうです。

 


でも、もっとも大切なのは、そうした膨大な片づけ作業を業者まかせにせず、ほとんど自らの手で行ったということです。
業者任せにせず自らが行ってこそ、そこにあるものの価値が見えてくるからです。

多くの古民家再生は、都会など他所に暮らす人が「買った物件」のアレンジか、他所から「移築した物件」をリノベーションするのが大半で、そこに元々暮らし住んでいた人が大規模にリノベーションすることは極めて稀なことです。

統計はありませんが、おそらく古民家再生の9割以上は、他所の人が買った物件か、他所から移築した物件であると思われます。

 

もちろん、物件により、予算により、人材により再生の仕方は千差万別であって当然であり、新しい店舗や宿泊施設など目的がはっきりしていれば、それ相応のことはしなければなりません。むしろ地元からすれば、いかなる理由であれ他所から新しい人が来てくれることは大歓迎であることに間違いはありません。

 

地元に暮らす人が自らの物件を自らの手でリノベーションする例がこれほどまでに少ないのには、それなりの理由もあります。

多くの古民家は、江戸時代から昭和初期までに建てられた家で、その構造は現代の食べて寝て余暇を過ごすだけの空間と違って、「生活の場」である以上に「生産の場」として造られていたという決定的な構造の違いがあります。

家の中でお蚕を飼ったり、同じ建物内に馬や牛がいたり、軒下にダイコンや柿を干したり、囲炉裏の廻りで藁細工をしたり、それは暮らしの場というよりはまず第一に「生産の場」であったわけです。したがって外との出入りはしやすく、お蚕のためには風通しが良くなければなりません。

そうした歴史条件の建物であることが、ただ構造が古いからという理由だけではなく、現代とは住宅の使用目的そのものが大きく違っていることを忘れてはなりません。それを生産活動をほとんどしない現代の暮らしに合うようにリノベーションするには、断熱、防寒など、相当の改装費用を覚悟しなければなりません。

それだけに、昔とは生活スタイルが変わってしまった家で、あえて暮らすことだけを考えたリノベーションする意義は単純には見いだせないのが普通かと思われます。

手間と経費をかけてリノベーションするならば、現代にあった生産の場として、宿泊施設や店舗、農家の母屋などとしてでないとなかなか活かせないのが実情です。

 

山口純音さん

そうしたことが、実際に山口純音さんにお話を伺うと、「良いもの」をたし算で増やしていくような従来の考え方と違って、たくさんのモノを処分したからこそなのでしょうが、残すものをどのような基準で選ぶかがとてもしっかりとしており、この空間にふさわしくないものはほとんど紛れ込んでいないことがわかります。

最近よく感じる30代半ば以降の世代に共通した特徴である、商品やモノの力だけに依存しないオーナーの世界観がとてもしっかりしているのです。
つまり、ただ「良いもの」のコレクションであったり、「売れる」ものの発掘とも違う、明らかにこの空間ならではの「文脈」が息づいているのです。

そうした朝陽堂さんの違いを、ただ純音さんの美大出ならではのセンスの良さであるとか、敬虔な信仰心に支えられた実直さのようなことに捉えられてしまうと(もちろんそれもとても大事な要素としてありますが)、私たちに必要な誰もがこれからの時代に求められている大切なことが、遠くの問題に押しやられてしまうような気がしてなりません。

実は、それを伝える表現やことばが見つからないばかりに、このブログを書き始めてから1年以上もの長い間、私はアップすることが出来ずにいました。

20年、30年くらい前までの時代であれば、そこそこの建築家やデザイナーに頼んで、また商品もそれなりのプロにセレクトやアドバイスをしてもらって揃えておけば、そこそこに素晴らしい空間はどこでもつくられていました。
ところが現代では、ただものが良い、センスが良いというだけのものは、スマホひとつで画像も豊富なテンプレートから選べて、そこそこのデザインで誰もが作れるようになってしまい、そうしたことだけでは大切な何かは伝わらない時代になっています。

私のような昭和世代であれば、世の中が右肩上がりで「成長」していった時代だったので、なんでもガムシャラに頑張ればそこそこの成果がついてくるものでした。

ところが30年デフレとも言われる右肩下がりの時代になると、ただより多くの人を集めたり、より多くの人に伝えたり、売ったりするだけでは、なかなか結果が持続しないものです。

そうした時代の変化にも対応した大切な何かを、朝陽堂さんは表現されているように思えます。

 

通常、こうした古い絵本は商品にならないものですが、
こうした古い「講談社の絵本」の看板がついて表紙を見せる陳列をすることで、きちんと活かされています。

同じ100円商品であっても、処分品の100円と付加価値、満足感を感じる100円の違いがあります。

 

その違いの第一は、先に書いた膨大な片付け作業を、ほとんど自らの手で行ったことに由来します。それらの作業も結果を見ると、私の勝手な印象ですが、なにか「指先の感覚」を大切にするような作業であったことがうかがえます。

何ごとも作業にはどんなに効率を求めるにしても、その絶対量というものにとても意味があります。
それが物質的なことであれ、精神的なことであれ、その基礎作業の絶対量を抜きになにかが創造的であることはありえません。しかも、その作業は単に几帳面ということだけでなく、まさに「指先の感覚」を大切にした作業でないと、このような空間は生まれないのです。その点が、外部のデザイナーや建築家まかせで造られたものとの決定的な差を生んでいます。

何十年、何百年という歴史の積み重ねのある空間で、残されたものや遺されたものを選別して活かすものを磨き、仕上げるには、単純な理屈や計算ではなく、まさに「指先の感覚」で判断を積み重ねていくことが重要です。

現代の暮らしでは、身の回りのほとんどのものが「買ってきたもの」で成り立っています。そこでつくられる暮らしは、ほとんどが選択された商品で成り立っています。商品の選択以外のことによる創造物というのは、極めて稀なものです。まさにそうした手作業の基本が、朝陽堂さんの空間にはあふれています。

古民家再生といった伝統や歴史を活かす活動であっても、このように徹底された事例は意外と少ないものです。

 

朝陽堂さん取材

 

youtube#video

 

これまで2回の訪問で、ドイツ人建築家、ブルーノ・タウトの訪問記録で1776(安永5)年建築とわかるこの空間の歴史は、とても簡単に語り尽くせるものではありませんが、本来は、どのような家でも100年、200年と歴史を積み重ねれば、そうした様々な固有の歴史浮かびあがるものです。

 

もう一つのポイントは、先のような作業によってこそ、空間とモノ、ヒトとの「関係の文脈」が、活きてくるということです。

現代の商売で個々の商品やサービスを売るには、商品やサービスの余計なノイズ(汚れ、個人的由来や義理や縁など)は可能な限り取り除き、より収穫された場所の泥などノイズを取り除いてこそ、取り引きしやすくなるものです。
どこでも作れて、どこでも売れることを目指す大量生産、大量消費にそうしたことは不可欠ですが、高付加価値を追求する場合は逆にモノにまつわるノイズこそが意味を持ってきます。
ノイズには当然、目には見えない微生物や細菌などの情報も含まれます。だから都会では嫌われます。

ただ、その固有のノイズを残すということは、一律にできない作業なので必ず余計な「手間」が必ずかかります。

世の中の軸足が変わったからこそ可能になった面もありますが、そのノイズを大切にする手間こそが、モノやヒトの文脈を活かす道につながります。

地域の歴史や伝統文化を保存するために、歴史郷土資料館のようなものが各地にありますが、どんなに歴史的価値のある展示物があったとしても、その土地固有の文脈が表現されていないと、せっかく保存陳列されていてもその歴史的価値はなかなか伝わってきません。

この「文脈」というものが朝陽堂さんの空間からは無意識のうちに伝わってきます。

 

 

その後の2階ギャラリー企画も、この空間ならではのセレクトで、他の場ではなかなか実現できない相乗効果を生んでます。

2022.4.14~5.1

作家企画展
 西島雄志 個展「神気」
 企画:gallery.studio.cafe new roll
 協力:内藤久幹(cdc.tokyo)

 

2021.11.3~11.21

作家企画展
「ヲリヲリヲ展」
現代美術家の小野田賢三と山極満博による二人展

なかでも、渋川市の六箇工房さんとのコラボは、
地域性もあり今後も定期的な開催が見込まれるすばらしいものに思えます。


2021.4.29~5.5

企画展01
ガラスと帽子 六箇工房
「階段を上って・・・展」

 

 

 

朝陽堂さんのこうした空間づくりは特別なことのように思われがちですが、「指先の感覚」を大切にしたような膨大な手作業でモノやヒトの文脈を活かすことは、決して特別なことではなく、これからの時代の主流になっていくはずです。

何ごとも無駄をはぶき、スピードや効率を上げることは大事です。でもそれらが価値を持つのは、より大切なヒトやモノにより多くの時間と手間を惜しみなく使うためにこそ行われるべきものです。

私には特定の信仰心のようなものはありませんが、こうした作業の積み重ねの中にこそ私たちに「共通の祈り」のようなものを感じさせてくれます。

世の中、誰もが努力はしているものですが、大切にしたいもののために祈り続けて、手作業を継続することこそが何か最後の大きな力となることを感じさせてくれます。

まったく予備知識なしで朝陽堂さんの空間に足を踏み入れても、その素晴らしさは十分伝わってくるかと思いますが、これからの時代に誰もが必要な大切なことを無言で語りかけてくれているようなこの空間の違いがどこから感じ取れるのか、ぜひ皆さんも実際に訪れて確かめてみてください。

 

 

 

 

建物の裏側に残るかつての土壁

 

 

一本の樹の蔭、一河の流れも、みな多生の縁

 

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新しいことは、説得、根回しよりも、先に形にしてしまった方が得

2023年03月15日 | 議論、分析ばかりしてないで攻めてみろ!

昨夜は二十三夜でした。
月の出は、深夜1時半過ぎ。
その月夜野の夜とロサンゼルスの朝の対話おさらい整理。

何か新しいことを始めようとする時、予算の獲得や周りの人たちの説得には、常に大変な労力を要するものです。
大抵は企画書をつくり、説明する相手に応じて表現を練り込んで、発表時間の数倍の準備時間をかけるものです。
でも、それだけ手間をかけても、その企画が通るとは限りません。
なぜなら、多くの場合、その提案を聞く人は、それまで考えていなかったことを聞かされることが多いだけでなく、自分があまり興味のないことを聞かされる場合が多いからです。
企画提案というのは、そういうもので、そこで相手を説得出来ないようであれば、仕事は出来ないに等しいと言われ続けて来ました。

ところが、これを当たり前のことと思ってしまうのは、組織の論理。
組織の枠を外してしまえば、これまで企画提案の準備、説得にあてていた時間はすべて、実際の活動に取り掛かる時間として使えるようになります。

むしろ、企画書などの紙で一生懸命伝えるよりも、いち早く具体的な形をつくってしまい、それを見せた方がはるかに説得力があるものです。
実際には、提案する側も、具体的な作業を始めないと、その先にどういう問題かあるか分からないことが多い。
そうしたリスクを考えたら、大抵の経費は自腹をきってやってしまった方が得です。

ところが、組織の論理は、自腹というのは経費に計上されないコストだから正しいビジネスモデルにはならないと、ストップがかけられる。

こんな風景で、右肩上がりの時代にはかろうじて出来ていたことも、今はことごとく不可能な時代になってしまいました。

だからこそ現代では、より小さな組織で勝手に自腹を切ってでも(ほんとうの自己投資)やってしまうところの方が、いい仕事ができています。

この、まず勝手にやってしまう方法は、従来型組織でも結構効果があることが証明されています。
勝手にやってしまうと、必ず怒られますが、実はそこからが勝負どころです。
多くの場合、勝手に作ってしまったもののデザイン性が良ければ、かつてそれをやる意義はどこにあるんだとか、費用対効果はどうなんだとブレーキをかけていた人たちは、案外あっさりと認めてくれるからです。
つまり、企画段階で説得のために要した膨大な時間に、意味がないとは言わないまでも、少なくとも大半が実際には無くても済むことに労力を注ぎ込んでいたことが証明できるからです。
こうしたことの積み重ねこそが、従来型の組織体質を変える確実な一歩になります。

みんなでやる横並びの仕事など、もうほとんど価値をうめない時代になっています。
もちろん、事業規模にもよりますが、一人でもやり切る覚悟のある人が集める仲間こそが、チームを作ることができるのだと思います。

決して誰にでも勧められることではありませんが、自腹をきってリスクを背負ってでもやる価値のあることでなければ、そもそも自分の貴重な時間を使う意味などないないはずです。

これも必ずしも能力のあるなしではなく、生活の固定費が低ければ、恐れることなく誰もがもっと積極的に踏み込んでいける社会になると思います。
小さなチャレンジは、やったもん勝ちの世界。

月夜野タヌキ自治共和国は、そんな世界です。

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