安倍晋三政権が誕生して以降、改憲論者の勢いが増しているように感じる。改憲論議が高揚感とともに語られている。憲法は国の最高法規であり、国の統治の原理を定めている。言い換えれば、国民の意思の総意として国家権力を縛る最高法規だ。しかし、改憲論者の見解を聞いていると、情緒が先行して歴史の流れを軽視しているように思う。
安倍首相の祖父、岸信介首相以来、保守派は「現憲法は占領期に米国に押しつけられた」と主張している。彼らの改憲論議の根底にある歴史観だ。この考えと相まって「現憲法が日本の文化や伝統にそぐわない」と主張する。
5月3日付朝日新聞が、「4月14日、東京・渋谷のハチ公前広場では、若者グループ『にっぽん憲法プロジェクト』のメンバーが人の波に呼びかけていた。メンバーの会社員(31)は『自分たちの手で自分たちに合ったものに変え、新しいストーリーを作りたい』」と書いていた。朝日は言う。「『未来』『理想』とセットで語られる安倍首相のメッセージは、改憲を求める人たちの高揚感と共鳴する。憲法を変えることに、特別の意味が込められているのだろう」
明治維新以来、日本人が露呈してきた弱点は歴史の流れを顧みないで情緒に走ることだと思う。われわれ日本人は現実を無視する国民ではないが、危機的な状況に至ると、「情緒」「宿命観」が現実に先行する傾向が強い。そして昭和を迎えて以来、その傾向が強くなっている。太平洋戦争前夜を観察すれば良く理解できる。
江戸時代、特に徳川幕府後期の民間教育機関は「自分で思索、思考する」学問教育を施してきたが、明治に入り、西洋列強に追いつくことを国是としたため、「自分で思索」することは二の次にして「西洋の模倣」に明け暮れたと思う。
日露戦争(1904~05)を指導し、何とか引き分けに持ち込んだ明治の指導者は、徳川末期に教育を受けた人々だ。武士である。武士の根底に流れているのは現実主義。そして彼らは、何にもまして、自分で考える教育を受けてきた。それが国難を乗り切る大きな一因になった。日露戦争を始める前に、英米を味方に引き入れたことが大きかった。それは厳し現実を見つめながら、必死に考え抜いた結論だったのだろう。
私は「現憲法は占領期に米国に押しつけられた」から改憲するという考え方に反対する。あまりにも情緒的で現実を見ていない。確かに、現憲法の成立過程を見ると、連合国軍総司令部が日本国政府に押しつけたという解釈も成り立とう。だが、それは一面を見ているにすぎない。当時の帝国議会がそれを認める以外に選択の余地がなかったとしても、彼らは連合軍と交渉して現憲法を成立させたのである。それ以上の大切なことは現憲法は戦後70年間、機能してきた。大多数の国民は現憲法下で平和な暮らしを享受してきた。
特に憲法21条「集会、結社及び、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する」と憲法25条の「(1)すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。(2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」は民主主義社会を保証してきた。確かに憲法9条の「戦争放棄」と「戦力の不保持」がどこまで日本の安全保障に寄与したかは人々によって見解が異なると思う。日米安保が日本の平和に寄与していることは周知の事実だが、憲法9条が安全保障に無用の長物だったかというとそうでもない。憲法9条は、精神主義の染まった保守政府や右翼政治家の暴走の歯止めになってきた。国民の精神や心理に寄与してきた。近隣諸国の政府や人々にも心理的な好影響を与えている。
われわれは歴史の変化、時の変化の中で憲法論議をしなければならない。情緒的に憲法を改正するというのは論外だ。時は変化して流れていく。憲法は不磨の大典ではない。変えなければならない時が来れば、勇気を持って変えていくべきだが、慎重でもあるべきだ。憲法改正論議をするとき、われわれは環境や時の変化を眺める冷静な観察者でなければならない。その時、自索する心構えが何よりも必要だ。
安倍政権は情緒に流れているように思う。そんな形で改憲するのは危険千万だ。まるで目隠しをして周囲を観察せずに、心の変化だけで、精神だけで改憲しようとしているに等しい。安倍首相は、軍人政治の反省に立って民主主義の根幹を定めた憲法21条を、とりわけ「報道の自由」をないがしろしている。14年11月、衆院解散表明後に出演したTBSのニュース番組で紹介された町の人たちの声に、「全然、(「アベノミックス」に肯定的な」声が反映されていない。おかしいじゃないですか」などと述べた。その類いの話や文書が自民党の保守派から出てきている。「沖縄メディアは左翼勢力に完全に乗っ取られている」と話した作家もいた。
安倍首相をはじめ右派政治家には「議論」という二文字がない。そんなことを言う前に、政敵や反対者と議論することが先決だ。説得という言葉をも忘れている。そして他者や反対者の話に耳を傾け、理解できないところは質問するという欧米の真面な政治家がすることができないようだ。安倍首相は、チャーチルが生前持っていた、マグナニミティー(寛大な心)がないようだ。こんな指導者の下で改憲論議を進めるのは危険千万だ。
確かに、中国の覇権志望と、かの国の共産党一党独裁、そして東南アジア諸国の独裁制への回帰、南北問題(韓国と北朝鮮)など東アジアは猛烈な歴史の変化の流れの中にある。この環境の中で改憲論議を進めていくことが必要なのかもしれない。しかしそれには国民の合意と活発な議論が不可欠だ。
チャーチルは政敵や反対論者の意見にじっと耳を傾けていた。彼の友で喜劇俳優のチャプリンは「ウィンストンは異見論者に悪意を抱かないようだ」と話している。チャーチルは「イエスマン」を嫌った。理路整然と反対意見を話す反対論者を尊敬した。労働党のアーネスト・ベビンはチャーチルの政敵の一人だったが、チャーチルは彼を尊敬し、第2次世界大戦中、挙国一致戦時内閣で主要な閣僚ポストを与えている。そして1945年5月8日の勝利の日、厚生省のバルコニーにベビンらと現れ、埋め尽くした人々の歓呼の声に応えている。
まず、安倍首相はチャーチルの姿勢を学んでから、改憲論議を始めるべきだと思うしだいだ。
安倍首相の祖父、岸信介首相以来、保守派は「現憲法は占領期に米国に押しつけられた」と主張している。彼らの改憲論議の根底にある歴史観だ。この考えと相まって「現憲法が日本の文化や伝統にそぐわない」と主張する。
5月3日付朝日新聞が、「4月14日、東京・渋谷のハチ公前広場では、若者グループ『にっぽん憲法プロジェクト』のメンバーが人の波に呼びかけていた。メンバーの会社員(31)は『自分たちの手で自分たちに合ったものに変え、新しいストーリーを作りたい』」と書いていた。朝日は言う。「『未来』『理想』とセットで語られる安倍首相のメッセージは、改憲を求める人たちの高揚感と共鳴する。憲法を変えることに、特別の意味が込められているのだろう」
明治維新以来、日本人が露呈してきた弱点は歴史の流れを顧みないで情緒に走ることだと思う。われわれ日本人は現実を無視する国民ではないが、危機的な状況に至ると、「情緒」「宿命観」が現実に先行する傾向が強い。そして昭和を迎えて以来、その傾向が強くなっている。太平洋戦争前夜を観察すれば良く理解できる。
江戸時代、特に徳川幕府後期の民間教育機関は「自分で思索、思考する」学問教育を施してきたが、明治に入り、西洋列強に追いつくことを国是としたため、「自分で思索」することは二の次にして「西洋の模倣」に明け暮れたと思う。
日露戦争(1904~05)を指導し、何とか引き分けに持ち込んだ明治の指導者は、徳川末期に教育を受けた人々だ。武士である。武士の根底に流れているのは現実主義。そして彼らは、何にもまして、自分で考える教育を受けてきた。それが国難を乗り切る大きな一因になった。日露戦争を始める前に、英米を味方に引き入れたことが大きかった。それは厳し現実を見つめながら、必死に考え抜いた結論だったのだろう。
私は「現憲法は占領期に米国に押しつけられた」から改憲するという考え方に反対する。あまりにも情緒的で現実を見ていない。確かに、現憲法の成立過程を見ると、連合国軍総司令部が日本国政府に押しつけたという解釈も成り立とう。だが、それは一面を見ているにすぎない。当時の帝国議会がそれを認める以外に選択の余地がなかったとしても、彼らは連合軍と交渉して現憲法を成立させたのである。それ以上の大切なことは現憲法は戦後70年間、機能してきた。大多数の国民は現憲法下で平和な暮らしを享受してきた。
特に憲法21条「集会、結社及び、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する」と憲法25条の「(1)すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。(2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」は民主主義社会を保証してきた。確かに憲法9条の「戦争放棄」と「戦力の不保持」がどこまで日本の安全保障に寄与したかは人々によって見解が異なると思う。日米安保が日本の平和に寄与していることは周知の事実だが、憲法9条が安全保障に無用の長物だったかというとそうでもない。憲法9条は、精神主義の染まった保守政府や右翼政治家の暴走の歯止めになってきた。国民の精神や心理に寄与してきた。近隣諸国の政府や人々にも心理的な好影響を与えている。
われわれは歴史の変化、時の変化の中で憲法論議をしなければならない。情緒的に憲法を改正するというのは論外だ。時は変化して流れていく。憲法は不磨の大典ではない。変えなければならない時が来れば、勇気を持って変えていくべきだが、慎重でもあるべきだ。憲法改正論議をするとき、われわれは環境や時の変化を眺める冷静な観察者でなければならない。その時、自索する心構えが何よりも必要だ。
安倍政権は情緒に流れているように思う。そんな形で改憲するのは危険千万だ。まるで目隠しをして周囲を観察せずに、心の変化だけで、精神だけで改憲しようとしているに等しい。安倍首相は、軍人政治の反省に立って民主主義の根幹を定めた憲法21条を、とりわけ「報道の自由」をないがしろしている。14年11月、衆院解散表明後に出演したTBSのニュース番組で紹介された町の人たちの声に、「全然、(「アベノミックス」に肯定的な」声が反映されていない。おかしいじゃないですか」などと述べた。その類いの話や文書が自民党の保守派から出てきている。「沖縄メディアは左翼勢力に完全に乗っ取られている」と話した作家もいた。
安倍首相をはじめ右派政治家には「議論」という二文字がない。そんなことを言う前に、政敵や反対者と議論することが先決だ。説得という言葉をも忘れている。そして他者や反対者の話に耳を傾け、理解できないところは質問するという欧米の真面な政治家がすることができないようだ。安倍首相は、チャーチルが生前持っていた、マグナニミティー(寛大な心)がないようだ。こんな指導者の下で改憲論議を進めるのは危険千万だ。
確かに、中国の覇権志望と、かの国の共産党一党独裁、そして東南アジア諸国の独裁制への回帰、南北問題(韓国と北朝鮮)など東アジアは猛烈な歴史の変化の流れの中にある。この環境の中で改憲論議を進めていくことが必要なのかもしれない。しかしそれには国民の合意と活発な議論が不可欠だ。
チャーチルは政敵や反対論者の意見にじっと耳を傾けていた。彼の友で喜劇俳優のチャプリンは「ウィンストンは異見論者に悪意を抱かないようだ」と話している。チャーチルは「イエスマン」を嫌った。理路整然と反対意見を話す反対論者を尊敬した。労働党のアーネスト・ベビンはチャーチルの政敵の一人だったが、チャーチルは彼を尊敬し、第2次世界大戦中、挙国一致戦時内閣で主要な閣僚ポストを与えている。そして1945年5月8日の勝利の日、厚生省のバルコニーにベビンらと現れ、埋め尽くした人々の歓呼の声に応えている。
まず、安倍首相はチャーチルの姿勢を学んでから、改憲論議を始めるべきだと思うしだいだ。