英宰相ウィンストン・チャーチルからのメッセージ   

チャーチルの政治哲学や人生観を土台にし、幅広い分野の話を取り上げる。そして自説を述べる。

現実を受け入れて淡々と過ごした女優  NHKスペシャル「“樹木希林”を生きる」を見て思う

2018年09月26日 21時19分52秒 | 時事問題
 女優の樹木希林さんが今月15日に亡くなって11日が過ぎた。今晩、NHKスペシャル「“樹木希林”を生きる」を見た。人間の生き方を考えさせられるドキュメンタリーだった。
 NHKが彼女から「私を撮っていいわよ」と許可を受け、昨年6月から今年7月まで密着取材を続けた。晩年をどのように生き、身じまいをしようとしているのかを追ったドキュメンタリーだ。
 なぜ、希林さんはNHKの取材を受けたのだろうか。女優としてのありのままの彼女を見てほしいと思ったのだろうか。彼女が一人の人間として生と死に向き合っている生き様を視聴者に知らせ、視聴者に彼女を通して「死」について考えてほしいと思ったのだろうか。彼女が取材を承諾した昨年6月には、すでに死を覚悟していたようだ。
 希林さんの闘病生活の始まりは2004年の10月。右乳房にしこりを発見し、医師から乳がんを告知された。翌年1月、右乳房の全摘出手術を受けた。しかし、2年後の07年に切除した右乳房の近くに再びがんが見つかった。13年3月に「全身がん」を宣言された。あれから5年。希林さんは精力的に映画やイベントに出演を続け、「本当にがんなの?」という声さえ上がるほど。
 2016年2月9日放送のNHK『クローズアップ現代』にゲスト出演した樹木は、キャスターの国谷裕子氏に「全身にがんが転移しているとはまったく思えないが?」と問われた。「来週にはまた治療に入るんですけれども・・・私は本当、死ぬ死ぬ詐欺なんて笑っているんです」
 今晩のNHKスペシャルを見て感じたことは、希林さんが自らの人生をいつも客観視して見ていたのではないだろうか。自分を第三者としてディタッチメントな姿勢で見続けたのではないだろうか。ドキュメンタリーを撮り始めてから半年後、希林さんはNHKの制作担当者に「淡々と撮っているだけで、何の目的で撮っているか分かんないわね」とおっしゃり、後日、担当者を呼んで自らのレントゲン2枚を見せる。「数年前と現在を比べてがんがこんなに広がっているのよ。ドキュメンタリーの核になるんじゃないの」と話した。私は、見事なまでの女優精神と自分の人生を客観視する姿勢を感じた。
 20世紀の英国の大宰相ウィンストン・チャーチルは「死ぬときが来れば死ぬのだよ、トンプソン」と語ったことがあった。第2次世界大戦中の1940年9月、ドイツ空軍が毎日、英国の首都ロンドンを空爆したおり、防空壕に入らず、首相官邸の屋根や庭先から戦況を眺めていた。あるとき首相官邸に爆弾が落ちて命の危険にさらされたとき、警護のトンプソン警部が「こんなことで閣下の身を危険にさらさないでください」と忠告した。この要請に対し、この言葉を発している。
 また、第1次世界大戦のフランス戦線に出征するおり、妻のクレメンティーン夫人にも「死は人生においてさほど重要なことではない」と自らの死生観を語っている。
 希林さんもチャーチルも「死」をひとつの事実として受け入れている。その前提には「地位の上下、貧富の差があっても、すべての人びとは例外なく生まれ死ぬ」という冷厳な事実から逃れることができないということを認識していたのだろう。
 希林さんの晩年での「死」に対する向き合い方は素晴らしいの一語に尽きる。武士の生き方に通じるところがある。内面に激しい気性を持ちながらも、生涯にわたってその気性をコントロールした希林さんと対局にいる夫の内田裕也氏が「人を助け、人のために祈り 人に尽くしてきたので 天国に召されると思う。おつかれ様。安らかに眠ってください。見事な女性でした」(原文ママ)との言葉を贈った。妻への深い感謝の言葉の中に希林さんの人生のすべてが表現されているようだ。
 人間は「死」や「人生」に対して希林さんのように自分を客観視できない。わたしも同じだ。しかし私も晩年を迎えている。希林さんのように、病魔に襲われたとき、「死」を淡々と受け入れるようになっていたいと切に願う。


 NHKスペシャル「“樹木希林”を生きる」は2018年10月2日(火) 午後11時5分(73分) に再放送される。興味のある方はご覧ください。