本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

荘厳(しょうごん)

2021-10-02 21:21:59 | 十地経

「荘厳」、

普通には「そうごん」と読み

仏教読みでは「しょうごん」

と読みます

お寺の本堂の飾りつけを

荘厳といいます

ご本尊の前を天蓋とか瓔珞や

いろいろの仏具などで飾り

一つの世界を表現します

 

四国遍路や三十三か所巡礼

また九州八十八か所の巡礼

でお参りしていると

それぞれのお寺での飾りつけ

は各種各様違うものです

そこのお寺の住職の考え方

または伝統的な飾り方が

あって、

本堂に座りそのお飾(荘厳)

を見ているだけでも

楽しいものです。

 

そういう外に現れる

荘厳もあれば

内面的な荘厳もあります。

 

ちょうど『十地経』でも

このように出てきます

 

「三界を遠離することを得て

而シカも能く化に応じて

三界を荘厳するところの

行を起こす」

とこのように経文では出て、

講義では

「三界を遠離オンリして、

しかも三界を荘厳すると

いうんです。

こういう時に、

この荘厳ということが

初めて出てくる。

この第七地からね。

これが妙有になるんだ。

世界を荘厳するというような

ことがですね。

 

第六地には空というだけです

一切空と。

分別を許さんということ

だけです。

人間の立場を変革すると、

こういう立場が般若です。

 

その般若に立ってみると

いうと、

むしろ世界を荘厳すると。

つまり荘厳ということは

ちょっと分からんかも

しらんけど、

西洋の哲学の概念からいえば

創造です。

無からの創造です。

空からの創造だ。

 

空、

世界は空であるということに

立って世界を創造するんです

それが妙有でしょう。」

 

というように述べておられます

 

よくは分からないのですが

思うのは

講義の時、

お見えになった先生は

見るからに老人です

それが、

いったん講義に立たれると

まるで別人のように

とても大きくも見え

その力強い言葉に

引き込まれて

その講義の場所が

あたかも浄土のような世界に

なっていくのです

そして、

聞いている私たちが

知らず知らずのうちに

三昧という世界を経験する

そういう感じがします

こういう世界が

今いう荘厳された世界の

ようにも思います。

 

それは

お釈迦さまの涅槃図でも

そうだろうと思います

ある画家の方が描かれた

涅槃図を見ました

全体が薄青い世界です

そこに痩せこけた老人が

横たわっている

傍には若い僧が打ち拉がれて

呆然としている涅槃図です

 

ある面からいうと

こういう場面が事実でしょう

しかし、

付き添っていた阿難尊者には

大きな姿で横たわり

そして光輝いて見えたのでしょう

今私たちが見ている涅槃図は

阿難尊者が見た姿です

 

事実は事実

しかし、見る人によっては

そうではなく

光り輝きそして大きな姿に

見えてくる、

それも事実です

それが荘厳された世界

のように思います。

 

五重塔というものも

昔からそういうものがあった

わけではなく

ある時どかで誰かが

感得したものが

あの、

どこから見ても変わらない

美しい姿の五重塔になった

ということです

そういう目を持つことも

荘厳ということになるように

思います。

 

 

 

 

 

 

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