本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

竊以(ひそかにおもんみれば)

2019-12-14 20:22:23 | 漢字

「竊以」と書いて

「ひそかにおもんみれば」と

読むのです。

この「竊」という字も難しい

大きく書くと 竊 となります。

これは古い書体で、

今は「窃」と書きます。

この字は「窃盗」というような

言葉でよく使われます。

 

この字が気になったのは

先日、読んだ

「弘法大師御遺告」で

その書き出しが、

 

「竊(ヒソカニ)に以(オモンミ)れば

大法味同じけれども、

興廃機に任せたり。

師資代を累(カサ)ねて、

付法、人に在り。」

 

という言葉で始まります。

それから、

親鸞聖人がお書きになった

「顕浄土真実教行証文類序」

普通には『教行信証』の始まりが

 

「竊かに以みれば、

難思(ナンシ)の弘誓(グゼイ)は

難度海(ナンドカイ)を度する大船、

無碍(ムゲ)の光明は

無明の闇(アン)を破する恵日なり。」

 

と、こういう文になります。

どちらも「竊に以みれば」

という書き出しで始まっています。

この現代語訳は

「心静かに考えてみれば」

とか

「私なりに考えてみると」

というように書いてありますが

どうも納得がいかない

腑に落ちないのです。

 

そこで、漢和辞典を見てみると

「ひそか」という字も

いろいろあって、

密・私・窃(竊)・陰・間・

微・潜。

これらはすべて「ひそか」です

それぞれ微妙な意味の違いが

あるようです。

密は、深くとざすこと。

私は、公の反対でないしょごと。

窃は、人の目を盗んで

   こっそりすること。

陰は、かげですること。

間は、すきまの意で、

   表ざたにせぬように

   すきまを見計らうこと。

微は、かすか

   人の目につかぬよう、

   しのんですること。

潜は、水にもぐるように

   しのび隠れてすること。

このように漢字では

人間の行いも微妙な変化も

的確にとらえているのです。

 

こういうところに漢字の

面白さもあるのですが、

経典でもサンスクリットを直訳

というよりも、

玄奘三蔵が苦心して漢字で表現した

経典の方が優れていると思います

 

といっても

調べて見てもどうも納得する

答えが見つかりません。

 

思うに、

お釈迦さまが説かれた経典に

対して、

自分の思いを述べる、

堂々と唱えるのではなく

かといって

こそっと言うのでもなく

そこに謙虚に受け止めたことを

述べさせていただくと

というような

ニュアンスがあるように

思うのです。

 

ですから、

昔の祖師方は自分の意見を

いう場合に

「竊に以みれば」

という書き出しで書かれたのでは

ないかと思います。

 

しかし、

よくは分からないのですが

この「竊に以みれば」

という言葉は

自分にとっては何かしら

響いてくる言葉なのです。

 

けれども、

「窃」という言葉、

いい熟語は出てきません。

窃名ーその実がなくてむなしく

  誉のみが高い。

窃位ー位を盗む。

  徳がないのにその位にいる

  こと。

窃盗というのが一番使いますが、

どうもいい言葉が見つかりません。

 

そこで、あえて

難しい「竊」という字を

使った方がまだしも

意味慎重に考えるのです。

しかし、なんだか

好きな言葉です。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 歩けば見えない世界が見えてくる | トップ | 東福寺の百間便所 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

漢字」カテゴリの最新記事