本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

11月15日の出来事

2018-11-15 20:30:31 | 住職の活動日記

藤原道長が、

「この世をば我が世とぞ思う望月の

 欠けたることもなしと思えば」

と詠んでから今年で千年になります

旧暦の10月15日ですから

新暦でいえば11月にあたります。

ちょうど、今日の京都新聞に

この道長の歌の再評価という

記事が出ています。

 

その中で、

京都学園大学の山本淳子教授は

新しい説を述べておられます。

「我が世」ということについて

「わが支配の世」という

今までの解釈ではなく

「思いのままの満足の時」

「心ゆく楽しい時」

というように読み取っておられます

それから、「望月」は

満月の月ではなく

自分の娘が妃の座を満席にした

という比喩ではないかと、

人間の心の奥の洞察としてみると

なかなか面白い見方ではないかと

思います。

 

と思って外に出てみると

お月さまは半月の姿でした。

 

それから、

ニュースで流れていたのですが

坂本龍馬が亡くなった日

京都の霊山護国神社では

彼の好きだった軍鶏鍋が

参拝者にふるまわれていました。

 

そして

これも京都新聞の記事ですが、

「京都御苑さんぽ」

毎週楽しみにしてファイルにして

折に触れてそれをもって

御所を訪ねているのですが、

そのなかで、

「139年前の今日

明治12(1879)年11月15日、

祇園祭の山鉾が御苑に参入した。」

とあります。

この年の7月、コレラが流行して

祇園祭が11月に延期になった。

この時、右大臣の岩倉具視も

見ていたようです。

 

それから、

お寺の行事では余り有名では

ないのですが、

15日は「布薩会」(ふさつえ)

という、

一月間の罪を懺悔(さんげ)する

お勤めが行われます。

むかしはどこのお寺でも

必ずと言っていいほどお勤められた

のですが、

今では「東寺」に残る位でしょう

お釈迦さまの頃は

月に二回も行われ

お釈迦さま自身も、

自分が知らずに犯した罪があれば

言ってほしいとまで言われています

それほど重要なお勤めだったのです

しかし、

懺悔ということは

なかなか受け入れにくいのでしょう

商売繁盛とか先祖供養とか

身近に感じるものは流行りますが

罪を懺悔するとなると

受け入れ難きものがあるのでしょう

 

中随煩悩に

無慙・無愧(むざん・むき)

ということがありますが、

その反対の言葉で

「慙愧に堪えない」

という言葉もあるように、

「恥じ入る」ということが

最近はなくなり

それこそ無慚無愧というように

恥知らずというか

法律に触れないさえすれば

何をしてもかまわないという

そいう風潮のようです。

 

しかしそれが

最近のニュースで気になることは

会社の不祥事で

「申し訳ありません」

と、頭を下げておられる光景を

目にします。

やはり、慚愧という心が

希薄になって来ている証拠でしょう

 

いろいろな出来事がありましたが

本来は15日という日は

自分を顧みるという

そういう日にしたいものです。

 

 

 

 

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