本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

上上に証する

2018-11-01 21:25:50 | 十地経

目指すということも

一歩一歩努力していくわけですが

そういうことを

『十地経講義』では

「上上に証する」という言葉で

出てきます。

上に上にというように

ということはどういうことかというと

 

「一歩一歩それを磨いていくわけです

切磋琢磨するということがある。

得たものが得たところに止まる

というと、

得たものはなくなってしまう。

だから、

歩むということは

同じことを繰り返している

ということではないのです。

得たものは一層与えられる

一遍与えられたら

それでいいというものではない

いってみれば、

求めていくところに与えられる

ということが成り立つ。

与えられんから求める

与えられたら求めんと

こういうのじゃない。

与えらえたが故に求めていく

求めずにはおれんようなものを

与えられたんだと。

だから

求めることによって

一層与えられていくと。

与えられたものにとどまったら

与えらたものはなくなってしまう。

こういうようなことが

上上に証するわけです。」

 

難しいようですけど

事実としてはこうあるのでは

ないかと思います。

努力していても

途中でやめてしまったら

その途中に止まっているかというと

元の木阿弥

努力しなかったところまで

下がってしまうのです。

足踏みをしていてやっと現状維持

止めれば落ちてしまう

ということです。

 

それから、続けて

「反復といっても

同じことを繰り返している

んじゃないです。

展開しているわけです。

精神生活には展開ということがある

進歩ということじゃない。」

 

ただただ進歩というのではなく

そこには深まっていく

ということがあるのでしょう。

精神生活ということは

ものごとに対する

見方考え方が変わっていく

表面的に捉えていたものが

自分の問題として考え直していく

そこに深みも出て来るようです。

そういう捉えたかは

ものごとを見る時の感動が

湧いてくるということがあります

その感動がさらに歩みを進める

ということがあります。

 

「目指す!」ということも

十地経に照らしていえば

「上上に証する」

ともいえるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする