本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

秘密荘厳心

2016-11-06 20:43:11 | 住職の活動日記

菩提心ということを

弘法大師は秘密荘厳心と

表現されたのでしょう。

 

荘厳という字も普通には「ソウゴン」と

厳かで威厳がある、という意味ですが、

仏教では同じ文字を「ショウゴン」

と読み、

仏壇とか内陣をお飾りする

というような意味に使います。

 

秘密ということも、

シークレットというような意味もあり、

緻密な綿密な心を内包している

というような意味もあります。

自分の心のうちにありながら

それを自分では発見できない

ということなのでしょう。

 

菩提という事もボーディbodhi

菩薩ということも菩提薩埵(ボダイサッタ)

の略で、覚有情という意味、

目覚めた衆生ということです。

仏に成るといっても

何も特別なものになるわけではなく

本来の自分に戻るというような、

私たちの現実は

自分でありながら自分を見失っている

ということです。

 

罪ということも

キリスト教では神に背くということが

罪といわれるようです。

神律、法律ではなく神の律に

背くということ、

仏教では自分に背くことが罪

ということです。

本当の自分に背きながら生きている

その事に目覚めるということが

覚有情、本当の自分に目覚める

ということ、

仏教は外に求めるのでなく

自分の内にあるもに目覚める

ということです。

 

 

いよいよ明日の「百螺祈願」にむけて

綿密な打ち合わせが進んでいます。

菩提樹苑・サラの苑のスタッフも

それぞれの力を出し合って

一つの方向に進んでいるようです。

 

 

内陣の荘厳も出来上がり

 

 

庭も美しく白い石が敷かれました。

 

「荘厳」ということも

形を整えるという事もあります。

また、

「信は荘厳より」

という言葉もあり

その人の内心を表すのは

形あるものとして現れるものです

 

スタッフの個人個人にとっては

荘厳という事は

与えられたものを見出していく

自覚していくという事です。

それぞれの宿業もありましょう、

また境遇も違う、

しかしそれに応じて個性に応じて

見出していくということでしょう。

 

それぞれのスタッフは仕事は

それぞれに違うのです。

しかし、

その立場立場でそれぞれが法界を

持っているのです。

そして、

それぞれに密厳浄土を荘厳するという

意味が与えられているのです。

その意味を自覚した時に

初めてコンプレックスがなくなる

劣等感を超えて働く事ができる。

 

スタッフの動きを見ていると

そのような印象を受けました。

それぞれが自分の歩みを見出した時

そこに

自分の尊厳性を見出すのでしょう。

 

だから、

荘厳ということも

形があって留まっているのではなく

ここから歩みが始まる

こういうひとつの

「百螺祈願」という事業を通して

自分の本当の力を出して

歩みが始まっていくのです。

そこに自分の尊厳性を自覚する

ことができるのではないでしょうか。

 

「秘密荘厳心」ということも

難しいものではなく

自分の中に内包している

犯す事のできない厳粛な心に

触れて実践するという事

自分のコンプレックスの克服し

自分の心の深くて広い心を

自覚していくのです。

 

 

幟旗も上がり、

 

 

本堂もみなさんをお待ちしているようです。

これも大きな荘厳です。

 

まだまだ、

それこそ緻密な打合せと

リハーサルが続いているようです。

 

この百螺祈願

無魔成満する事を祈っています。

 

 

 

 

 

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