本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

壺きり茶

2016-11-01 22:03:09 | 住職の活動日記

夏に摘んだお茶を壺に入れて

熟成させ、

その封を切るのが11月1日と

いわれていました。

 

 

小山園さんのショーウインドー

壺の画が掛けられています。

「別に是か一壺の天」

という一文が、

 

 

前年の茶を使い切るのが10月で

「名残」の茶といわれ、

お茶の世界では

壺を切る、封を開けるのが

11月で茶の湯の一年が始まる

ということのようです。

 

 

壺切抹茶も並んでいます。

 

その横に一文の解説が

 

 

禅語のようで、

「別に是れ一壺の天」

ということは、

一壺一壺お茶の味が違うように

一つ一つの家にも

それぞれの世界がある

ということのようです。

 

たぶん唯識の考え方でしょう。

 

「自分が死ねば世界も無くなる」

というようなことをいいます。

普通には、自分が死んでも

世界はそのまま続いている

と考えています。

しかし、

唯識では、

自分が亡くなれば世界も無くなる

 

案外、

人間は自分の世界を作り

その自分の考えで物事を見て

判断して行動している

のではないでしょうか。

例えば、商店街を歩いても

普遍的には、

レストランがあったり、

花屋があったり、

パチンコ店もあれば、

ブティックと

洋品店もあったりと

いろいろの店が並んでいるのですが

友だちと歩いて見ても

それぞれが別の世界を作りあげ

それぞれがそれぞれの世界を

見ているのです。

お腹がすいている人には

レストランが気になるでしょうし、

遊びたい人にはパチンコが

服が欲しい人にはブティックが

目に入ってくるでしょう。

 

私たちは世界を見るといいますが

それぞれに違った世界を見ている

ということです。

 

まあ、

お茶の壺にしても

入れられたお茶の葉の状態

置かれた場所、

その場所の温度、

などなどいろいろの条件で

それぞれに熟成具合が

違ってくるのでしょう。

そこに、

それぞれの持ち味が出てくる。

 

それによって味わう人の

世界も広がっていく

そういうことを思いながら

頂くお茶はまた格別の

味わいがあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

コメント
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