止・正・武・歩、
一見何のつながりもないような
気もするのですが、
これらの文字は全部、とめへんの
字なのです。
止観双行ということが第七地の
中心課題です。
そこで、漢和辞典では止という
ことにはどういう意味があるのか
と調べてみたら面白いことが
出てきました。
止は、足あと、足首の象形文字で
足あととか、とどまるという
意味があり、またしずか、静まる
そこから、心が落ち着くところ、
というような意味があります。
止観、ということでは
止というのは心を一つにとどめる
ということになるのでしょう。
人間の心は、見れば見るものに
気持ちが引かれ、
聞けば聞いたことに心が動いて、
一時として
じっとしていないものです。
ですから、止観の止はとまるという
意味よりも、とどまるという意味が
近いようです。
講義では、面壁九年というように
九年も坐したという、
このすわるということが
止観の止ということを
代表しているというように
出ていました。
ところで、
正という字はとまるへんに一と
書くのです。
正月というのは心を一に止めて
また新たに一から出発する、
という意味があるようです。
また、武という字は
武士の武とかがすぐ思いつく
のですが、
本来はまたぐ(跨)からきています
ひとまたぎ(一跨ぎ)半歩の意味で
それが、
歩になると、二またぎ(武の二倍)
ということで、
前足に後足がついてゆくことから
あるくという意味になったという
ことです。
漢字もそれぞれに意味を
もっていて、その成り立ちとか
文字が出来てくる内容を考えて
いくと興味深いものがあり、
考えていく一つの手助けになり
ます。
講義では、
「内面的統一が止なんです。
精神の統一において、精神の集中
において、智慧がはたらく。」
と出てきます。
こういう形で、止観ということが
成り立つのです。
「観智というのは
智慧をもって観察する
といいます。」
東寺の塔頭(たっちゅう)に
観智院というお寺があります。
何気なく言っていたのですが
こうやって聞いて見ると
とても重要な意味があるようです。
宮本武蔵が一乗寺下がり松の決闘
の後に逃げ込んだのがこのお寺で
その時に描いたという
武蔵の見事な絵が残っています。
やはり、第一の塔頭であって
そのはたらきを表すような名前が
ついているようです。
次には
止と観ということの具体的な
話しが続きます。
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