大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

お江戸下町・深川七福神「その1」(~新年恒例の深川七福神めぐりのための得々情報~【本所深川七福神】

2010年11月25日 15時35分20秒 | 江東区・歴史散策
今年も残すところあと1ヶ月余りとなってしまいました。ちょっと気が早いのですが、初めて深川七福めぐりを予定されている方々のために、初詣がてらルート上で是非立ち寄っていただきたい場所やお勧めのお店などを簡単に紹介してまいります。七福神めぐりの旅は森下駅から至近の「深川神明宮」からです。



森下といえば、けっこう名が知れているパン屋さんがあるんです。何をして有名かと言うと美味しいカレーパンで知られています。甘口と辛口の2種類があるのですが、いずれもお勧めです。外側の皮がパリパリとして、たっぷりの具が溢れ出さんばかりに詰まっています。歩きながら口にほお張るのもお勧めかも!
そうそうお店の名前ですが、「元祖カレーパンのカトレア」と言います。但し、正月3が日はおそらく休業しているかと思います。1個168円です。

カトレア:江東区森下1-6-10 (電話)03-3635-1464
定休日:日曜日・祝祭日にあたる月曜日

清澄通りから路地を入ると、すぐ右手に大きな鳥居が現れます。鳥居の傍らに由来書が刻まれた大きな石碑が立っています。その碑面にはこんな由来が書かれています。
「大阪摂津の深川八郎右衛門が、この付近に深川村を開拓し、その鎮守の宮として慶長元年(1596)伊勢皇大神宮の御分霊をまつって創建しました。あるとき徳川家康がこの村に来て、村名を尋ねたがないので深川八郎右衛門の姓をとって深川村と命名せよといわれ以来、深川村が発展し深川地区の各町に冠せられたりし、深川の地名のもとになった由。」
鳥居をくぐり、直進し右奥に寿老神を祀る祠が置かれています。
深まる秋の風情を感じさせてくれるように、境内の銀杏は鮮やかな黄金色で彩られていました。

神明宮由来書碑
神明宮鳥居
神明宮・寿老神祠

深川神明宮:寿老神
福徳:延命長寿

深川神明宮で旅の無事を祈願し、歩を進めて行く事にいたしましょう。次の深川稲荷神社まではこのルート上では歩行距離が一番長い移動行程ですが、その代わりに別の見どころが楽しめる散策ルートです。
また、神明宮からさほど離れていない場所に、「深川めし」の老舗で有名な「みやこ」があります。深川めしを食べさせる店は、ルート途中の江戸資料館通りや、もちろん富岡八幡宮がある門前仲町にも店がありますので、お好みの場所で召し上がることは可能です。

さて、神明宮から隅田川の流れる方向へと進むと、突き当たりに見えるのが「芭蕉記念館」です。この記念館の前を走る道が萬年橋通りと呼ばれています。お江戸元禄の時代の赤穂浪士が吉良邸討入りの後、高輪の泉岳寺へ向かう際に通った道なのです。併せて、芭蕉記念館が置かれているように、かつて芭蕉が庵をむすんだ場所が萬年橋の袂だったのです。まあ、芭蕉ファンにとっては見逃せない場所になっています。

萬年橋に向かって右側の歩道を歩いていきましょう。萬年橋を渡る手前の路地を右に折れると、赤い幟がはためく小さな稲荷神社が現れます。この神社が「芭蕉稲荷」です。

芭蕉稲荷

そしてこの路地をさらに奥へと進むと、左手に出来物、腫れ物に絶大なご利益があるとされる正木神社の社があります。さらに奥へと進むと隅田川の堤防に突き当たります。堤防の脇にそれらしい木造の門があり、階段が堤防の上へと延びています。せっかくですから階段を上っていきましょう。小名木川と隅田川の流れがここで合流するのですが、下流の方向には清洲橋と中央区の高層ビル群が広がり、絵葉書のような景色が展開します。ここには是非立ち寄っていただきたいお勧めの場所です。そして堤防の上に造られた小さな公園には俳聖芭蕉翁の坐像が置かれています。

芭蕉翁坐像

それでは小名木川に架かる萬年橋を渡って深川稲荷神社へと進んでいきましょう。尚、公衆トイレは萬年橋を渡って左側にあります。萬年橋を渡った辺りには北の湖部屋、旧大鵬部屋などの相撲部屋が点在しています。深川稲荷神社はちょうど道が交差する四つ角にちょこんと置かれたかわいらしい祠です。深川稲荷神社は寛永7年(1630)の創立で深川地区では創立の古い神社の一つです。

深川稲荷神社

深川稲荷神社:布袋尊
福徳:清廉度量

深川稲荷神社を後に、清洲橋通りへと向かいますが、その道筋の左手にレンガ色のビルが現れます。もと寺尾関が親方をしている「錣山部屋」の建物です。清洲橋通りを渡り清澄白河駅方面へ進んでいきましょう。
この清澄通りに面して芭蕉ゆかりの寺「臨川寺」があります。萬年橋袂に庵をむすんだ芭蕉は、この臨川寺にたびたび参禅に訪れています。当寺の堂内には芭蕉像が安置されています。

臨川寺

賑やかな清澄白河の交差点を渡り、清澄通りを南下し深川の寺町へと進んでいきましょう。右手に木々の木立が見える場所が清澄庭園です。清澄通りから左へ折れる「江戸資料館通り」へと入ると、すぐ左手に現れるのが「霊巌寺」です。この寺には江戸時代に寛政の改革を断行した老中「松平定信公(楽翁)」の墓があります。また江戸六地藏の一つとして、大きな地藏様が境内に鎮座しています。

定信公の墓

霊巌寺を過ぎると、左手に江戸資料館の建物が現れます。この辺りで少し休憩をしたいとお考えであれば、資料館ロビーの椅子に掛けてしばし休息を!また綺麗なトイレもありますので利用する事をお勧めいたします。
尚、展示物の参観は有料です。

資料館通りの商店街を見ながら、龍光院(毘沙門天)へと歩を進めていきましょう。資料館通りから右へ折れるとすぐに現れるのが雲光院です。山門脇に「阿茶の局の墓」と刻まれた石柱が立っています。当寺にはかの家康公の側室であった「阿茶の局」の墓があるのです。また、山門を入って右手に進むと古い墓石が3体並んでいます。その真中の墓石がなんと、江戸時代の遊廓「吉原」をつくったと言われる「庄司甚衛門」の墓です。

阿茶の局墓
庄司甚衛門墓(中央)

こんな歴史の人物に想いを馳せながら、歩いていくと間もなく龍光院(毘沙門天)に到着です。龍光院は浄土宗雲光院の塔頭寺院で、慶長16年(1611)馬喰町(中央区)に創立、明暦3年(1657)の振袖火事で焼失し、岩井町(千代田区)に移転、その後天和2年(1682)の大火で再び焼失し、その年ここ深川の地に移転しました。

龍光院ご本堂

龍光院:毘沙門天
福徳:勇気授福

この後、大黒天の円珠院、福禄寿の心行寺、弁財天の冬木弁天堂そして恵比寿神の富岡八幡は「その2」でご案内いたします。

お江戸下町・深川七福神「その2」(~新年恒例の深川七福神めぐりのための得々情報~【本所深川七福神】
粋な深川・お江戸の総鎮守「富岡八幡宮」の酉の市
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