hiyamizu's blog

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清水克行『室町は今日もハードボイルド』を読む

2022年01月05日 | 読書2

 

清水克行著『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界』(2021年6月15日新潮社発行)を読んだ。

 

新潮社のサイトでの内容紹介

「日本人は勤勉でおとなしい」は本当か? 僧侶は武士を呪い殺して快哉を叫ぶ。農民は土地を巡って暗殺や政界工作に飛び回る。浮気された妻は女友達に集合をかけて後妻を襲撃――。数々の仰天エピソードが語る中世日本人は、凶暴でアナーキーだった! 私たちが思い描く「日本人像」を根底から覆す、驚愕の日本史エッセイ。

 

小学「道徳」教科書に多くの日本史上の人物の言行が取り上げられているが、中世の人は誰もいない。彼らはやられたらやり返す。場合によってはやられていなくてもやり返す。武士だけでなく、僧侶や農民も常日頃から刀を身に着けて往来を闊歩していた。

 

 

鎌倉時代中頃から室町時代になると、支配制度としての荘園や公領が弛緩していき、生活共同体としてのムラが歴史の表舞台に浮上してくる。

 

村といっても大小あるが、現在の住居表示の「大字(おおあざ)」、あるいは〇〇市△△丁目の「△△」がほぼ村の領域を受け継いでいる。

 

鎌倉時代約150年の間には、年号は合計48回も変わった。ほぼ3年に一回改元したことになり、時間の物差しとしては使えない。
南北朝時代には3つの年号が日本に存在した期間があった。南朝、北朝の年号の他に、尊氏の実子で弟・直義の養子の足利直冬は別の年号貞和6年とした。

 

室町幕府は大陸の明帝国と半島の朝鮮王国と、ながく通交関係を維持してきた。ところが「朝鮮王朝実録」にはありえない名前の使節団が幾度も登場する。かれらは返礼品や交易利益目的のニセモノの国家使節団だった。

 

「後妻打ち(うわなりうち)」とは、夫の捨てられた前妻(こなみ)が仲間を募って後妻(うわなり)の家を襲撃して破壊し、ときには命を奪うこと。

 

上杉家を支えた直江兼続の遺品の兜の前立てに金色で輝く「愛」の字があるが、戦の神である愛染明王もしくは愛宕権現を意味し、慈愛とか仁愛の意味ではない。

 

麻薬やアルコールに関しては世界でも優等生の日本だが、自死を禁ずるキリスト教の影響が少ないこともあるが、自殺数は世界有数。かっての日本には自害した者に対してその遺志を最大限尊重しようとする伝統があったので、影響もあるだろう。現代でも、ある主張に対し、その内容が正しいか間違っているかよりも、それを主張する人がそこにどれだけの思いを籠めているか、を基準にして価値判断を行う没理性的な傾向がある。

 

 

本書は、「小説新潮」(2019年9月号~2020年12月号)に連載された「アナーキー・イン・ジャパン」をもとに加筆・修正したもの。

 

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで、最大は五つ星)

 

面白い話がどんどん出てくるので、引き込まれて楽しく読める。しかし、室町時代を総体として理解できたかといえばNOと言わざると得ない。

逸話ごとに室町時代の雰囲気は紹介されているので、なんとなくだが室町時代の雰囲気は積み重なって心に残る。そんなことより、読者受けを狙った本と割り切って読めば、楽しく読み飛ばせる。

 

 

清水克行(しみず・かつゆき)

1971年生まれ。明治大学商学部教授。歴史番組の解説や時代考証なども務める。

著書に『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ)、『日本神判史』(中公新書)、『戦国大名と分国法』(岩波新書)、『耳鼻削ぎの日本史』(文春学藝ライブラリー)など・

他、ノンフィクション作家・高野秀行氏との対談『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(集英社文庫)。

 

 

 

以下、私のメモ

 

歴史学での「文書(もんじょ)」(「古文書(こもんじょ)」)とは、AからBに意思を伝達するための手段。日記や編纂物は「古記録(こきろく)」。

 

寛喜(かんぎ)の大飢饉(1230~31年)では日本の全人口の3分の1が死に絶えた。

 

ネット通販のアマゾンで「ワラ人形」を売っている。1,800円、国産ワラ使用、ハンドメイド。よく一緒に購入されている商品欄には、「丸釘150ミリ」。カスタマーレビュー欄には「概ね満足」「効果ありました」

 

「隠れ里の150年戦争」

琵琶湖の一番北の奥に菅浦(すがうら)集落が隣村の大浦との間の日指と諸河の帰属をめぐり長年死闘を繰り返してきた。実際は菅浦の大浦からの独立戦争だった。その経過を伝えるのが1200点あまりの貴重な『菅浦文書(もんじょ)』(国宝)だ。

1445年3月、大浦は菅浦へ、領有山林への立ち入りを禁ずる通告をする。菅浦の若者20~30人が山林に侵入。大浦は近隣の村に呼びかけ菅浦に総攻撃をかけ集落の一部を焼く。6日後、味方を募って菅浦が反撃し多くの死者が出る。その後、共通の領主京都の公家・日野家に持ち込まれて法廷闘争となる。裁判中も大浦100人と菅浦10人の矢合戦、相手の麦の収穫・収奪合戦、双方死者多数となる。裁判は菅浦の財政を逼迫させるほどの裏工作が効いて、日指と諸河を得た。

大浦は代官・松平益親に恨みを持ち、暗殺を謀るが失敗する。菅浦の行商人が大浦で盗人として殺されたのに、菅浦が報復し4~5人殺害し、火を放った。大浦は裁判を起こし、日野家当主・日野勝光が審議し、熱湯に手を入れて火傷の重い方を敗訴とする「湯起請(ゆぎしょう)」で決着をつけることとする。大浦の青年の手は少し腫れただけで、菅浦の老母の手はひどくただれたように見え、菅浦の敗北となった。

裁判の結果を受けて、松平益親を大将とする大軍が、菅浦のわずか150人ほどを取り囲む。結局、菅浦は全面降伏し、その後に争いはなくなった。

 

前からスタバのSサイズは多すぎると思っていたが、やはり。(p77)

Sサイズのコーヒーの量

スターバックス 240ml(280円):1.17円/ml

ドトール       150ml(220円):1.47円/ml

マクドナルド  175ml(100円):0.57円/ml

 

頼朝は政子という妻がありながら亀の前という愛人女性を家来・伏見広綱の屋敷に預けていた。頼家を出産した政子がこれを知り、牧宗親に伏見広綱の屋敷を襲撃させた。この行為は政子が男勝りだったためではなく、中世の女性には普通の行為だった。
伏見はあやうく亀の前を連れて大多和義久の屋敷に逃げ込む。これを聞いた頼朝は2晩待って、大多和に屋敷に駆けつけた。同行させられた牧宗親は、そこに居た伏見と不意に対面させられ、頼朝から怒られる。「政子の命に従うのはいたしかたないが、なぜ私にないないでおしえないのだ!」 怒った頼朝は牧の髷を切り落とした。

 

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