藤沢周平著『天保悪党伝』(新潮文庫、ふ-11-25、2001年11月1日発行)を読んだ。
裏表紙にはこうある。
天保年間の江戸の町に、極めつきのワルだが、憎めぬ連中がいた。博打好きの御家人・片岡直次郎、辻斬りで財布を奪う金子市之丞、抜け荷の常習犯・森田屋清蔵、元料理人の悪党・丑松、ゆすりの大名人として知られた河内山宗俊、そして吉原の花魁・三千歳。ひょんなきっかけで知り合った彼らが、大胆にも挑んだ悪事とは…。世話講談「天保六花撰」に材を得た痛快無比の連作長編。
「蚊喰鳥 -天保六花撰ノ内・直侍」
80俵取り御鳥見の御家人・片岡直次郎、通称直侍、は金が無くてもう半月も吉原の妓楼の三千歳(みちとせ)にご無沙汰だった。賭場ですった直侍は世渡りする直参、兄貴分の河内山宗俊に金の無心に行く。上州屋の娘・おなみを返さない松平出雲守の屋敷に乗り込み、河内山のゆすりの片棒を担ぐことになる。
蚊喰鳥とはコウモリのこと。
「闇のつぶて -天保六花撰ノ内・金子市」
金子市之丞は辻斬りしたところを丑松に見られ、だまされた丑松の妹・お玉を取り返してやる。金子市は直侍から乗り換えた三千歳に会うために金が欲しくて丑松のゆすりを手伝うが、得体の知れない献残屋・森田屋清蔵に阻まれる。
「赤い狐 -天保六花撰ノ内・森田屋」
表の商売に献残屋をやりながら、荷抜けの頭という裏の顔を持つ森田屋は金子市を巻き込み、恨みのある本庄藩の藩主にひと泡吹かせるために、ご禁制品の取引を持ちかける。
献残屋とは、大名への献上物の残り物(献残)の払い下げを受け商売する
「泣き虫小僧 -天保六花撰ノ内・くらやみの丑松」
本来は料理人の丑松は河内山の推薦で花垣の料理場で働くことになる。丑松は哀しそうなおかみのりくが気になり、まじめに働くが、数日に一度訪れる政次郎という客が泊まっていった朝、おかみさんが地獄の中にいると感じた。蝮の政に叩きつぶされた丑松は金子市を引き込む。
「三千歳たそがれ -天保六花撰ノ内・三千歳」
水戸家の江戸屋敷で禁制の影富(非公認の富くじ)をやっているらしいという話を河内山が聞き込んでいた。三千歳はいまだに間夫きどりの直侍にうんざりしていたが、馴染みの水戸家役持ちの比企東左衛門から情報を聞きだせと頼まれる。金子市は昔八州回りの腕を切った罪で江戸を逃れることになり、三千歳は気鬱の病になった。
「おれも悪なら、金子市も悪。おれたちはそのようにしか生きられねえのだ。おめえがいちいち気に病むのはよしな。いいか」
三千歳の胸に、直次郎の声がこれまでになく、あたたかく入りこんで来た。三千歳は笑った。
「悪党の秋 -天保六花撰ノ内・河内山宗俊」
河内山は、お城坊主を管轄する磯村からおまえの悪名が高く、このままでは息子の三之助の出仕も危ういと言われる。将軍家の愛妾お美代の方の義父・中野磧翁に口をきいてもらうための200両を、影富の件で水戸家から脅し取ろうと企てる。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
講談「天保六花撰」や歌舞伎「河内山と直侍」「三千歳と直侍」で有名な話を藤沢周平が書いたのだから面白くないわけがない。地味な話が多い藤沢周平作品には珍しい派手な悪党物というのも興味を引く。藤沢周平が伸び伸びと楽しんで書いているように思える。
時代背景もよく説明されていて、歌舞伎の理解にもつながると思う。
悪党といっても弱みを持っているし、思い切りが良いといってもどこか哀しみがあり憐れみを誘う。
実在の河内山宗俊は、直次郎とともに1823年(文政6年)に捕らえられ、河内山は獄死。直次郎は追放処分となったが、後、捕らえられ、1832年小塚原刑場で刑死した(享年40歳)。