hiyamizu's blog

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内藤陽介『年賀状の戦後史』を読む

2012年01月23日 | 読書2
内藤陽介著『年賀状の戦後史』角川oneテーマ21、2011年11月、角川書店発行、を読んだ。

「虚礼である」と「欲しがりません勝つまでは」の精神で昭和15年から廃止されていた年賀郵便は、終戦後、昭和23年末に再開された。破滅的な国家財政の一つの救い手として、また、戦災のため生き別れになった人々の身元確認手段として再開された。
その後、官製年賀ハガキは、ピークの1989年度が約42億枚が発行され、以降減少しているとはいえ2011年1月にも35億枚以上、一人平均30通受取っていることになる。この、時代を反映している年賀状や、図柄採用経緯など年賀郵便切手からみた戦後史を語っている。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

私は年賀状愛好家というより、単に意地になって40年近く版画刷りの年賀状を出し続けている。また、切手収集というレベルではないが、単に切手集めを小学生の頃から近年まで楽しんでいた。
年賀状の歴史と現状」についてこのブログに書いたこともあり、私の「版画の年賀状」21枚や、「自薦の版画年賀状」を公開したこともある。

そんな私でも、この本は多少退屈だ。著者の専門が切手ということもあり、年ごとの年賀郵便(切手)の図柄採用経緯に多くのページを割いていて、同じような話が続く。興味持つひとは少数だろう。

内藤陽介
1967年東京生れ。郵便学者。
東京大学文学部卒。切手の博物館副館長などを経て、郵便学(郵便資料を用いて、国家と社会、時代や地域のあり方を読み解く研究)分野での著作・講演活動をおこなっている。
著書に『外国切手に描かれた日本』『切手と戦争』など。




以下、切手図柄の話以外の話題を列挙する。

1950年(昭和25年)、寄付金付きお年玉年賀はがきは当時の郵政大臣小澤佐重喜(さえき)(小沢一郎の父親)が始めた。
最初の宝くじの商品は特等ミシン、1等純毛洋服地、3等学童用コウモリ傘。

時の郵政大臣が職権を発揮して地盤固めのために自分の地元選挙区の郷土玩具をデザインに採用した。いわゆる大臣切手は昭和30年代―40年代。

1961年(昭和36年)、郵政省が生産性向上運動(マル性運動)を導入すると、全逓(全国逓信労働組合)は順法闘争として作業能率低下や時間外労働拒否で激しく抵抗し、年が配達が遅れることもあった。

郵政省案の郵便料金値上げが国会でなかなか決定せず、年賀状印刷が間に合わず、年賀状だけ従来料金ということが何度もあった。

1964年(昭和39年)、万国郵便連合で切手にはローマ字による差出国の国名表示をすることに決まった。日本ではNIHONかNIPPONか、なかなか決定できず、切手製造の必要から郵政省が強引にNIPPONに決定し、閣議了承された。

1965年(昭和40年)短期間で処理する必要がある年賀はがきのためもあって、郵便物自動読取区分機などが開発開始された。1968年から郵便番号制度が導入された。




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