「#教師のバトン」炎上1年 悲痛の訴え置き去り
2022年4月12日
多くの学校で入学式や始業式が開かれ、生徒、児童らが期待に胸を弾ませる季節を迎えた。一方で、学校現場を支える教員の勤務実態の厳しさは続く。ちょうど1年前、文部科学省が、教員らにツイッターなどで仕事の魅力を発信してほしいと始めた「#教師のバトン」プロジェクトには、その意図に反し、過酷な労働環境を訴える投稿が相次いでいる。文科省はプロジェクトを継続しつつも、教員らの切実な声を放置したままだ。環境改善の解決策はないのか。 (山田祐一郎)
「仕事が終わるのは、平日夜九〜十時は普通。部活の掛け持ちもあってゴールデンウイークはなし。年末年始も大みそかと元日しか休めなかった」
文科省の「#教師のバトン」プロジェクトが始まって一年となる三月二十六日、教育学者や現役教員らが教員の働き方をテーマに開催したオンラインイベントで、匿名の高校教員が勤務実態をそう吐露した。
この教員は、非正規の講師として十年勤めているという。月ごとの時間外労働が百時間を超えることが普通、百五十時間を超えたこともあるという。
管理職に「これ以上、無理です」と環境改善を訴えたこともあったが、「講師のくせに文句を言うな」と取り合ってくれなかった。「管理職に雇用を握られているので、特に年度末はモノのように扱われる」と切々と語った。
同じく非正規の小学校講師は数年前、大学卒業のタイミングで自治体の臨時的任用教員の募集に応じ、働くことが決まったが、三月末に急きょ取り消された。その後、別の自治体に何とか採用されたが、「家族がいたらと思うとヒヤリとする出来事だった。非正規教員には指導者もおらず、職場では分からないことだらけだった」。
イベントを企画した名古屋大の内田良教授(教育社会学)は二人の話を聞くと、ため息をついた。「こんなの聖職者じゃない。奴隷だよ」
「#教師のバトン」は、教員自らが仕事の魅力を発信し、なり手不足の解消を目的としたプロジェクト。「多様な学校で行われている工夫」や「ちょっと役立つイイ話」を現職の教員から、教員を目指す学生や社会人にバトンのようにつなぐというものだった。
だが、ふたを開けてみれば、ツイッターには魅力どころか、過酷な労働環境への悲痛な叫びであふれ、炎上。萩生田光一文科相(当時)が会見で「願わくば学校の先生ですから、もう少し品のいい書き方を」と述べ、火に油を注いだ。
現在も、ツイッターでは多くの投稿が寄せられている一方で、文科省の投稿は昨年九月十七日の「教員免許更新制に関する審議のポイントについて」を最後に止まったまま。文科省は「プロジェクトは終了したわけではない」というが、事実上、放置された状態だ。
文科省の担当者は「SNS(交流サイト)を通じて教員同士が相談できるコミュニケーションの場を提供できれば理想だった。チャレンジングな方法だと認識していた」と話す。
意図しなかったとはいえ、悲痛な投稿は教員の勤務実態を広く知るきっかけにはなったはずだ。その声を政策にどうくみ取っていくかがポイントだ。
担当者は「最大限、反映していく」と話すが、投稿総数や内容については「把握していない」とした。具体的な分析もまだで、動きは鈍い。「今後、プロジェクトをどのように運用していくかは検討中。正直、いつまでに何をするというのは決まっていない」と説明した。
愛知県一宮市の小学校教諭の加藤豊裕(あつひろ)さん(43)らは昨年、プロジェクトの炎上を受け、教員の本音を独自にSNSで集め、その訴えを複数回、文科省に提出した。「面会した文科省の担当者は投稿データの分析を約束した。文科省に積極的な発信を求めたが、全く行われないなんて。中途半端でお粗末な対応だ」と批判する。
プロジェクトの意図にも疑問を持つ。「文科省は、労働環境の問題の解決をやりがいに求めようとしていた。論点がずれていると感じた」という。
内田教授は「文科省が期待する前向きな声掛けではどうにもならないくらい現場が疲弊している」と炎上の要因を指摘する。文科省は本年度、教員の勤務実態調査を六年ぶりに実施する方針。「調査するなら、客観的な数字だけでなく、『教員が今、何を感じているか』にも向き合う必要がある」と注文を付けた。
労働環境が悪化している背景にあるのは教員不足だ。文科省が一月末、昨年四月の始業日時点で、全国の公立小中高校と特別支援学校で、二千五百五十八人の教員が計画通り配置されていなかったとの調査結果を発表した。
学校数で見ると、教員不足は全体の5・8%に当たる千八百九十七校で発生。五月一日時点でも、千五百九十一校で二千六十五人が不足したままだった。
「ある中学では、教員がおらず、四月に英語の授業ができずに五月以降に集中的にやった、という話も聞く」。教育ジャーナリストの佐藤明彦氏は、教員不足の深刻さをそう説明する。文科省の調査結果も「実態を反映している数字とは思えない。現場の話を聞く限り、万単位の人が足りない」と指摘する。
佐藤氏は、非正規教員への依存度の高さにも警鐘を鳴らす。産休や育休、病気休業などを理由に抜けた正規教員の穴を埋めるため、自治体は非正規教員を臨時的に採用してきた。「将来、少子化で教員が余らないよう、自治体は正規の採用を絞っている。非正規は、言ってしまえば『雇用の調整弁』。採用側の事情で都合よく使われている」
二〇二一年度採用の公立小学校の教員試験は倍率が過去最低となり、受験者数も減少が続く。しかも、厳しい労働環境のせいで非正規でも教壇に立ちたいという人が枯渇しているといい、「このままだと教育インフラが崩壊する可能性がある」と危機感を募らせる。
文科省は、教員の授業負担の軽減のため、本年度から公立小学校高学年(五、六年)で一人の教員が算数などの特定教科を受け持ち、複数の学級で教える「教科担任制」を導入。教員が学級担任としてほぼ全教科を教える「学級担任制」を大幅に見直した。
また、公立中高の休日の部活動を地域団体やスポーツクラブに委託することも進めている。地域委託は、これまでに全国二百三十以上の学校でモデル事業を実施。当面は休日が対象だが、将来的には平日の部活動も対象とする。
だが、これらの取り組みは始まったばかりで、実際に教員の負担減につながるのかはまだ分からない。
慶応大の佐久間亜紀教授(教育論)は「教科担任制で担当する教科を分けても増員がないのが現状。同じ人数でやりくりするなら、負担は変わらない。コロナ対応なども重なり、労働環境は昨年よりひどい」と改革の効果に懐疑的だ。
労働環境改善には、正規教員の採用拡大が必要だとした上で、少しでも現場に余裕ができるよう少人数学級の重要性も説く。「夢があって教員を目指す人は、『#教師のバトン』で発信しなくとも魅力を知っている。それなのにあきらめている人が増えていることを国は知るべきだ」