「辺野古」に正当性なし 沖縄県民投票1年 (2020年2月24日 中日

2020-02-24 10:55:43 | 桜ヶ丘9条の会

「辺野古」に正当性なし 沖縄県民投票1年 

2020/2/24 中日新聞

 「当然の結果。沖縄を返せ!」

 沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ周辺で、新基地建設反対運動を続ける市民らが歓喜の声を上げてから一年がたちました。辺野古埋め立て「反対」72・15%-。昨年二月二十四日の県民投票が示した結果です。

 しかし工事は止まらず、この一年、辺野古ブルーの海には連日褐色の土砂が投入されています。沖縄の民意は、どこまで無視されなくてはならないのでしょうか。

 

県民は日本国民なのか

 

 政府としては「安全保障は国の専管事項。新基地を建設し市街地に囲まれた普天間飛行場(宜野湾市)を移設する米国との合意は地元の民意に優先する」との論理なのでしょう。ただ、国民不在で安保政策が成り立つのか。

 新型迎撃システム「イージス・アショア」配備で、防衛省は秋田市の陸上自衛隊演習場を配備先に選びましたが、ずさんな適地調査に住民の不信が拡大し見直しが進められています。陸自が導入する輸送機オスプレイには、佐賀空港配備に地元漁協が反発。千葉県木更津市へ暫定配備が行われます。

 防衛問題であっても、国は慎重に民意を見極め、尊重しなくてはならないのです。しかし、本土ではともかく、沖縄の民意は一顧だにされません。故翁長雄志・前沖縄県知事は「政府は県民を日本国民として見ていない」と指弾しました。まさに政府の対応は、ダブルスタンダード(二重基準)であり、沖縄差別です。

 新基地建設では、地元の同意がない以外にも、事業の正当性を揺るがす新事実が次々と明らかになっています。埋め立て海域に存在が判明した軟弱地盤がその“震源”。最深で海面下九十メートルに達するという軟弱地盤改良のため、約七万本もの砂の杭(くい)を打つ作業が必要となり、防衛省は昨年末に工期などの見直し案を公表しました。

 

数々の疑問は置き去り

 

 それによると、新基地の完成は早くて九年三カ月後、飛行場認証などを経ての運用開始は十二年後になるといいます。当初は運用まで八年を予定し、安倍政権は普天間返還を「二〇二二年度かそれ以降」としてきましたが、三〇年代への大幅な遅れは確実です。

 工費は「三千五百億円以上」が九千三百億円に膨らむ見込みです。

 世界的にも例がない難工事には技術的な懸念も消えません。

 地盤改良に関し、国内の作業船は海面下七十メートルまでしか対応できない。残り二十メートルについて防衛省は、近辺の地盤分析から安定していると類推して改良の必要性なしとしてきましたが、最近、やはり軟弱だと示すデータが相次ぎ明るみに出ました。護岸の設置場所に当たり、専門家はそのままでは崩壊の恐れがあると指摘します。

 しかし、防衛省は信頼性の低いデータだと切り捨て、再調査をしようともしない。都合の悪い資料は隠すか無視して押し切る政権のあしき手法の一環でしょうか。

 防衛省の見解でも、新基地の滑走路は二十年に十センチ以上の地盤沈下が想定されます。補修を重ねれば民間空港の基準には合うものの米軍の基準は満たさないと本紙の取材で分かりました。防衛省は米側とは調整済み、と述べますが、本当に適正な運用ができるのか。

 こうした問題に対して防衛省は土木学者らに技術検討を依頼していますが、一部委員に工事の関連業者から資金提供があったと、やはり本紙が報じました。数々の疑問は置き去りのまま「辺野古ありき」の工事が進められています。

 安倍晋三首相は、今国会でも「引き続き工事を着実に進め、普天間の全面返還を実現することで危険性を除去」すると繰り返します。一九九六年の日米合意から、実に四十年近くも返還がかなわない矛盾には触れません。

 東アジアの安全保障情勢も刻々と変化しています。政治的にも技術的にも、辺野古移設計画は破綻が明らか。政府は米国と協議し、普天間の機能を県外、国外の既存の米軍基地に分散させるなどの方法で返還を即刻実現すべきです。辺野古工事は当然中止です。

 

国民的な議論で解決を

 

 知事権限で辺野古の埋め立て承認を撤回した沖縄県は、今後も地盤改良に伴う設計変更を認めないなど国ととことん争う姿勢です。

 希少サンゴがすむ海を汚し、膨大な予算と時間を費やして矛盾だらけの基地を造るのは、沖縄の負担軽減どころか国全体の公益に背くとの判断からです。県民投票は県の判断を直接民主主義により支持しました。その重みは今も決して変わりません。投票を推進した市民らは、辺野古工事を止め、普天間問題を国民的議論で解決するよう求める意見書の可決を全国の市町村議会に請願しています。

 身近な議会の動きに関心を寄せれば、私たちにも沖縄の民意を後押しすることは可能です。


恐れのなさに恐れ入る 週のはじめに考える (2020年2月23日 中日新聞)

2020-02-23 10:17:47 | 桜ヶ丘9条の会

恐れのなさに恐れ入る 週のはじめに考える 

2020/2/23 中日新聞

 「いえいえ、怖いですよ、今でも」

 小さく笑いながら、森光子さんはそうおっしゃったのでした。無論、まだお元気だったころ、もう十年以上前になりましょうか。舞台『放浪記』の名古屋・中日劇場での公演の際、楽屋を訪ねて、お話をする機会があったのです。

 「恥ずかしいけれど、危ないところは、こうやってあるの」

 そう言って、自分の台詞(せりふ)にたくさんの赤い線を引っ張った台本を見せてくれました。

 

大女優の意外な言葉

 

 「恐れ」を口にされたのは意外でした。名にし負う大女優、しかも、その時、公演既に二千回になんなんとする十八番(おはこ)中の十八番。自家薬籠中のものどころか、余裕綽々(しゃくしゃく)で演じておられるのだろうと思い込んでいたからです。

 一般に、恐れるとか、不安がるというのは、前向きな感情とは言いにくいところがあります。何事であれ、大丈夫か、しかられないか、などとびくびくしているような態度は小心翼々、消極的だとそしられがちです。

 しかし、逆に、恐れこそが、失敗や事故のリスクを軽減するということもあるはずです。

 吉田兼好の『徒然草』には、木登り名人が、木に登っていた弟子に、かなり下まで下りてきた時に初めて「気をつけろ」と声をかけ

た、という話があります。高い所では恐れを感じているが、もうほ

とんど下りてきたという時、恐れが慢心に変わる。そこが一番危ういのだ、といったことを名人は説きます。

 森さんの話にも通じましょう。希代の女優の「怖い」とは、慢心とは対極の謙虚さ、言い換えれば芸能への敬意の裏返しではなかったでしょうか。観客を、作品を大事にしているからこそ、あのキャリアにして、なお「怖い」だったのだと思うのです。

 

J・デリンジャーと世論

 

 翻って、最近の安倍首相の振る舞いに思うのは、まるで正反対のこと。たとえば国会で、例の「桜を見る会」に関連する野党の追及に応じる様子には、「恐れ」など微塵(みじん)も感じられません。

 桜を見る会の前夜に行われた懇親会の件では、ホテルとの契約などをめぐり「問題ない」としてきた首相の主張は、ホテル側の見解によって否定され、いよいよ弁明にも窮した感がありますが、「あれは一般論」と言い募って、なおも平然としたものです。

 あまつさえ、行政府の長が、野党議員に「意味のない質問だ」とやじまで飛ばす始末。

 さらに驚くのは、ある検察官の定年延長の件です。「検察庁法」には定年延長の例外規定がないのに、別の法律である「国家公務員法」の例外規定を当てはめる、とは、あまりにご都合主義。法治国家のリーダーにあるまじき無理無体だと野党が批判するのも当然です。しかも、聞けば、政権に近いとされる当の人物を、場合によっては政権の犯罪を暴く側にもなる検察トップ、検事総長に据えるがための強硬策らしいのです。

 どうでしょう。こんな強弁とはぐらかしばかりの答弁を続けていたら…やじなんか飛ばしたら…こんな強引な検察人事をやったら…国民に嫌われるんじゃないか、と恐れるのが自然じゃないでしょうか。だから、普通は思いとどまるし、慎むし、改める。でも、首相は違うのです。その恐れのなさには、恐れ入るほかありません。

 『パブリック・エネミーズ』という十年ほど前の米映画は、一九三〇年代に銀行強盗を繰り返した実在の犯罪者ジョン・デリンジャーを描いた作品です。一般客の金には手をつけないなど“紳士的”振る舞いで大衆に人気があったそうで、映画にも仲間に誘拐を持ち掛けられた時、こう言って断るシーンがあります。「誘拐は好きじゃない。大衆が嫌う」

 当時、当局に「社会の敵ナンバーワン」と呼ばれた犯罪者でさえ世論の反応を恐れたのか、と思えば、首相のあまりに超然とした態度には違和感を禁じ得ません。

 「恐れ」が生じるのは、多分、森さんが舞台をそう思っていたように、大事にしているものへの気持ちが強いからこそで、それが強いほど、恐れも強くなるのでしょう。だとすれば、首相にとって国民や国会はさほど大事ではない。そんな理屈になりましょうか。

 

ほしいままな政では

 

 もっとも、圧倒的な与党の数の力、ライバルの不在、史上最長政権の実績、そこに、何があっても支持率は底堅いという確信が加われば、誰でも「恐れ」など忘れてしまうものなのかもしれません。

 だがしかし、それでもやはり、です。主権者の国民、世論を恐れず、政(まつりごと)をほしいままにできてしまうような状況はあまりに不健全。そう、まるで民主主義国家でなくなっていくような…。私たちも恐れを抱いてしかるべきでしょう。


「武漢、捨て石にされた」 封鎖から23日で1か月 (2020年2月22日 中日新聞)

2020-02-22 10:16:01 | 桜ヶ丘9条の会

 

「武漢、捨て石にされた」 封鎖から23日で1カ月 

2020/2/22  中日新聞

 新型コロナウイルスの発生源となった約千百万人の大都市、中国湖北省武漢の封鎖から二十三日で一カ月となる。中国政府は異例の強硬措置によって省外への感染拡大をくい止めたと強調するが、武漢市内は深刻な混乱に陥ったまま。今も連日、百人前後が命を落としている。

 

■限界

 

 同市に住む女性(20)は電話取材に「私が倒れたら一家はおしまいだ」と話す。

 家族五人のうち、おじが感染の疑いで隔離され、父も隔離される予定だ。母と祖父も持病を抱え、感染は命に関わる。「非常事態が終わるまで、家族が耐えられるか分からない」。封鎖によって収入が断たれ、毎日インスタントラーメンしか食べていないという。

 止まらぬ感染の広がりに当局は段階的に市民の外出制限を強めてきた。今月十日からは団地や住宅が集まる「社区」と呼ばれる居住区ごとに出入りを管理する「封鎖式管理」を始め、生活必需品も社区職員が届ける。

 十七日からは当局者が全世帯を対象にした戸別訪問も始めた。発熱のある人などを三日間で見つけ出し、感染者や感染の疑いがある人をすべて隔離する計画だ。習近平(しゅうきんぺい)国家主席が武漢市トップに送り込んだ王忠林(おうちゅうりん)共産党委員会書記は今後、調査漏れが発覚した場合は「各区幹部の責任を問う」と厳命した。

 

■不可能

 

 官製メディアは各地区での「任務達成」を次々に伝えているが、冒頭の女性は「戸別訪問は来ていない」と断言する。同市内の社区で働く男性も電話取材に「全戸を三日間で訪問するなんて不可能だ」とこぼす。

 この社区には約六千戸があり、職員は男性も含めて八人しかいない。各企業などから共産党員が駆り出されているが、男性は「今はトイレットペーパーひとつまで各戸に届けている。人手が足りない」という。

 封鎖以来、男性は毎朝午前八時から翌未明三時ごろまで働くことも珍しくない。感染者に入院先を仲介するなどの仕事もある。

 男性は「住民は苦情ばかりだが、私たちには何の権限もなく、上部機関への報告しかできない。上は怒鳴るだけで報告はたらい回しだ」と不満をつのらせる。

 

■犠牲

 

 当局の対応は後手に回った。体育館や展示場を軽症者の収容施設に改装する作業は二月三日にようやく始まった。重症者用の病院二カ所を突貫工事で完成させたが、一カ所は完成から一週間で雨漏りした。病床不足が続いた病院は軽症者を受け入れず、家庭や地域に取り残された人から感染が拡大した。家族全員の感染も珍しくなく、映画監督の常凱(じょうがい)氏(55)の一家は五人のうち、本人も含め四人が死亡した。

 当局は全国の医療関係者の一割に近い三万二千人が湖北省の支援に駆けつけたというが、今もネット上には助けを求める市民の書き込みが絶えない。「肺炎以外の重病人はどうでもいいのか」。腎臓病の母(65)を抱える男性は電話口で、人工透析ができる病院が見つからないと怒った。

 王毅(おうき)国務委員兼外相は十四日、ロイター通信の取材に対し湖北省以外で新たな感染者が減少していると強調し、「中国は世界の公共衛生のために犠牲を払った」と胸を張った。しかし武漢だけでも死者数は二千人に迫り、「武漢は捨て石にされた」(北京の人権活動家)との批判も出ている。

 (北京・中沢穣)


新型肺炎対策 政府の緊張感が足りぬ (2020年2月21日 中日新聞)

2020-02-21 09:45:31 | 桜ヶ丘9条の会

新型肺炎対策 政府の緊張感が足りぬ 

2020/2/21 中日新聞

 国民の命や健康を守る意識が欠けていた。政府の新型コロナウイルス感染症対策本部の会合を三閣僚が公務以外の理由で欠席した。国内では新たな死者も出た。緊張感を持ち、対策を進めるべきだ。

 クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」で起きた新型コロナウイルスによる肺炎の集団感染で、乗客の八十七歳の男性と八十四歳の女性が死亡した。いずれも持病があり、検査で感染が確認され、医療機関に搬送されていた。乗船者の死亡は初めてだ。

 政府はまず感染拡大を防止する検査、検疫体制の強化と、感染者の重症化を避ける医療体制の充実に全力を挙げるべきだ。クルーズ船での感染防止策が適切だったか否かも検証すべきは当然である。

 国民の命と健康を守ることは、政府が最優先で取り組むべき課題だ。しかし、政府が新型コロナウイルス対策に本気で取り組んでいないのでは、と疑われても仕方がないことも明らかになった。

 十六日、首相官邸で開かれた全閣僚が出席する新型コロナウイルス感染症対策本部の会合に、三閣僚が公務以外の理由で欠席していたのだ。

 森雅子法相は福島県での書道展に、萩生田光一文部科学相は東京都内での消防団関係者の叙勲祝賀会に、小泉進次郎環境相は神奈川県横須賀市での後援会の新年会にそれぞれ出席していた。いずれも地元選挙区での政治活動で、対策本部の会合には副大臣や政務官を代理出席させていた。

 この会合で安倍晋三首相は、診療体制の整った全国の医療機関について、現状の七百二十六カ所を八百カ所に拡大すると表明し、加藤勝信厚生労働相ら関係閣僚らに「国民の命と健康を守るため、引き続き打つべき手を先手先手で打ってもらいたい」と指示した。

 代理で出席させたため、危機管理上は問題ないとの判断だったのだろうが、国民が懸念する新型コロナウイルス対策よりも、自分の選挙区での政治活動を優先させたことは、感染拡大を深刻に受け止めていないと指摘されても仕方がない。首相は私用と分かっていながら欠席を容認したのか。

 日本政府の感染症対策には、海外からも厳しい視線が注がれている。閣僚の緊張感の欠如は、日本の新型コロナウイルス対策全体の信頼性をも損ねる。

 感染者や死者をこれ以上、増やさないためにも、首相や閣僚はこれまで以上の緊張感と使命を持って、対応に当たらねばならない。


籠池夫妻 有罪 森友疑惑の真相迫れず (2020年2月20日 中日新聞)

2020-02-20 10:07:58 | 桜ヶ丘9条の会

籠池夫妻 有罪 森友疑惑の真相迫れず 

2020/2/20 中日新聞

 学校建設を巡り詐欺罪に問われた学校法人「森友学園」前理事長籠池泰典被告と妻に有罪が言い渡された。だが地価値引きの真相や官僚による政権への忖度(そんたく)の有無など疑惑の核心には迫れなかった。

 「国有地が八億円余も値引きされて学園側に売却された」「安倍昭恵・首相夫人が一時期、名誉校長になっていた」「首相夫人らの名が消された決裁文書が国会に提出された」「官僚が官邸に忖度して消し、改ざんしたらしい」-。

 森友学園が新設を予定した小学校を巡る問題には何かと「?」が多い。一時期「安倍晋三記念小学校」という名で行政に説明していたともいう。安倍首相は国会で「私や妻が関係していたなら、首相も国会議員も辞める」と答弁したこともあった。

 国有地の巨額値引きの名目は「地下に埋まる大量のごみの撤去費用」だったが、そのごみの量は不明のまま。首相夫人から首相名で「寄付金百万円」を受け取ったとする籠池被告の国会証言の真偽も宙に浮いている。

 この問題では、元国税庁長官ら三十八人が虚偽公文書作成容疑などで刑事告発されたが全員が不起訴。逆に前理事長夫妻は、値引きなどの疑惑と直接関係ない「国などの補助金一億七千万円の不正受給」の疑いで逮捕、起訴された。

 疑惑にかかわったとされた三十八人への捜査は事実上終わったため、この裁判が本体をあぶり出す場になるのでは、ともみられた。法廷で被告側は「逮捕は、値引き疑惑から国民の目をそらせる国策捜査」と主張した。

 しかし、「値引き」や「忖度」の真相が究明されることはなかった。裁判所は起訴内容について「多くは両被告の強い意向による詐取」と判断し、有罪判決(妻は一部無罪)に至った。

 森友疑惑の後、「獣医学部の新設に官邸の関与や官僚の忖度があったのでは」という加計問題、内閣が国家公務員法の解釈を変更して東京高検検事長の定年を延長させた問題など、政権が政策を恣意(しい)的に行っていると疑われる事案が続く。

 国会で現在論議されている「桜を見る会」に関連する審議では、公的行事での公私混同のほか、国会での首相のやじや答弁の信ぴょう性への疑いも問われている。

 一連の出来事で共通するのは、政権の強引さであり、疑惑への不十分な説明、真摯(しんし)とは言い難い姿勢である。今後も、政権の動きを注視していくべきだろう。