安倍元首相国葬、急ぎ決断で離れた世論 議論足りず、旧統一教会も潮目
2022年9月28日
安倍晋三元首相の国葬が、国論を二分したまま実施された。岸田文雄首相は吉田茂元首相国葬の際に野党に配慮した歴史的経緯を踏まえず、結果的に「軽視」したまま押し通した。当てにしていた世論の支持は時の経過とともに反対へ傾き、官邸は計算違いを悟る。舞台裏を検証した。
■81日後の開催
「まだまだ生きてもらわなければならない人でした。あなたが敷いた土台の上に、全ての人が輝く日本、地域、世界をつくると誓います」。二十七日、東京・日本武道館。首相は悲しみに満ちた表情で、何度も遺影を仰ぎ見ながら弔辞を読み上げた。
首相経験者の国葬として戦後唯一の前例、吉田氏のケースは死去から十一日後。安倍氏は亡くなって八十一日後の開催だった。これには事情があった。
七月八日の銃撃事件の動揺が続く中、十日の参院選で自民党は大勝。翌日、麻生太郎副総裁からアドバイスを受けた「国葬」の二文字が首相の脳裏に焼き付いた。十二日午後に官邸の敷地内でひつぎを見送ると、秘書官らに検討開始を指示した。
官邸筋は「十四日に記者会見の日程が決まっており、実施するならそこで表明するしかなかった」と明かす。
急ピッチの検討。法令上の要件に加え、会場探しも並行した。およそ二百六十の国・地域・機関から千七百もの弔意が寄せられた。直後に開けば各国要人が来られず、八月は欧米がバカンスに入る−。「収容数を考えれば武道館しかあり得なかった。九月に押さえられる最も早い日程が二十七日だった」(官邸筋)
首相は七月十四日に国葬実施を表明した。この後、歯車が狂っていく。
■55年前の経験
「みんな賛成じゃなかったのか」。九月に入り、首相は周囲にこぼした。七月十二日にひつぎを乗せた車が国会前を通過する際、野党議員も手を合わせていた姿が印象に残っていたためだ。
だが手抜かりがあった。吉田氏国葬に当たり、当時の佐藤栄作首相が閣議決定する前に野党第一党の社会党を説得するよう指示していた事実。
しかも社会党執行部は、法整備のない国葬実施を容認した上で、これを前例とせず今後は国会の議院運営委員会で協議すべきだと求めていた。
翻って安倍氏の国葬。官邸は、内閣法制局が内閣府設置法と閣議決定を根拠に実施可能との見解を示したことで安心し「対野党、対国会という発想が全く頭になかった」(首相周辺)。五十五年前の経験は生かせなかった。
■支持率は急落
参院選直後の共同通信世論調査は内閣支持率63・2%を記録した。しかし十日ほどで雲行きが怪しくなる。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民議員の接点が報じられ始め、岸信夫防衛相(当時)や選挙で返り咲いたばかりの井上義行氏の名前があった。岸氏は安倍氏の実弟、井上氏は元首相秘書官だ。
七月末。内閣支持率が51・0%に急落し、政権内に衝撃が走った。潮目の変化は明らかだった。
国葬本番が近づくにつれ、報道各社の世論調査は一様に「反対」が拡大。「賛成」は減っていく。首相は最近「エリザベス英女王は理解されて、なんで安倍さんは駄目なのか」と苦悩を漏らした。政府高官は「弔問外交に重きを置きすぎた。旧統一教会問題の広がりを予想できなかったとはいえ、危機管理が足りなかった」と顔をしかめた。
警備2万人 厳戒態勢に
警視庁は警視総監をトップとする「最高警備本部」を設置し、約二万人を動員した。各国要人の警護に当たるなど東京都心部で厳戒態勢を敷いた。
会場の日本武道館や迎賓館のほか、各国要人の宿泊施設などの周辺を警戒し、警察関係者によると、元首相銃撃事件後の世論も踏まえ、旧統一教会の関連施設も対象となった。
遺骨を乗せた車は前後を白バイと警備車両で固め、ルートは通行止めにした上、沿道に数メートル間隔で制服警察官を配置。出発する安倍氏の私邸前では、多数の私服警察官や警備犬が警戒した。武道館周辺には警備用のバスやワゴン車を並べ、不審車両の突入を防ぐ柵を設置した。
近くの公園での一般向け献花は、不特定多数の人が訪れるためトラブルを警戒。「献花台に水をかけられただけでも駄目だ」と警視庁幹部。周辺では制服警察官を目立つように配置して犯罪抑止効果を狙う「見せる警備」を実践し、国葬の反対派と賛成派の小競り合いにも対応した。