憲法の番人、政治忖度 公害訴訟「国に賠償命令。でも差し止め却下」(2017年5月4日中日新聞)

2017-05-08 07:50:22 | 桜ヶ丘9条の会
憲法の番人、政治忖度 公害訴訟「国に賠償命令。でも差し止め却下」 

2017/5/4 中日新聞

 住民に対する損害賠償は認めても、その損害の原因である国や大企業、米軍などの行為の差し止めは命じない-。公害訴訟の判決でそんな枠組みが繰り返されている。原点は1981年の大阪空港(伊丹空港)訴訟最高裁判決だ。大阪空港に離着陸する飛行機の騒音に耐えかねて、憲法から導かれる「人格権」を掲げて飛行差し止めを求めた住民たちの訴えを大阪地裁と大阪高裁は認めたが、「憲法の番人」である最高裁が門前払いにした。この訴訟はその後の日本社会に何をもたらしたのか。憲法施行70年を機に、関係者に聞いた。

 「昨年十二月の厚木基地訴訟最高裁判決のニュースを見て、またかと思いました。けしからんですよ。司法が政治に動かされることを、嫌というほど感じてきましたから」

 第四次厚木基地訴訟で東京高裁が認めた自衛隊機の飛行差し止めを、昨年、最高裁が覆した。大阪空港訴訟の原告団で大阪・豊中地区事務局次長だった元豊中市議の岡忠義さん(83)は、自分たちの「闘い」と重なって見えたという。

 大阪空港は大阪府の豊中市、池田市と兵庫県伊丹市にまたがる住宅密集地にある。岡さんの自宅は滑走路から約一・五キロ。防音サッシごしに「キーン」という飛行機のエンジン音が、耳をつんざく。東京五輪があった一九六四年にジェット旅客機が就航した。大阪万博があった七〇年に三千メートルのB滑走路が完成し、騒音が激化した。

 岡さんは豊中市の中学校で英語教師をしていた。着陸で飛行機が学校の近くを飛ぶたび授業を中断。生徒やPTAから「やかましい」と怒りの声が上がった。「B滑走路に一番機が来たときは、皆びっくりでしたわ。グワーッて低空で来る飛行機に、犬もうろたえて走り回った」と岡さん。

 深夜、郵便機の騒音で目が覚める。睡眠不足で仕事に支障をきたす人や、睡眠薬で体調を崩す人。空港近くに住む児童の間では、飛行機の排ガスの影響による健康被害も目立った。

 六九年、離陸の影響を受ける兵庫県川西市の住民が、午後九時~翌日午前七時の飛行差し止めと損害賠償を国に求めて提訴した。後に、豊中市の住民が加わって原告団は約四千人にふくれ上がった。

 水俣病などの四大公害訴訟で、企業の賠償責任が確立された。当時、公共事業による環境破壊が社会問題になっていた。

 弁護団は憲法に基づき、「人格権」を主張した。条文には記されていないが、一三条の幸福追求権、二五条の生存権によって認められる権利。周辺住民百七十万人全体の問題ととらえ、「環境権」も掲げた。

 七四年の大阪地裁判決は、午後十時~翌日午前七時の飛行差し止めと一部の損害賠償を認めた。だが、住民運動によって、この時間帯の飛行禁止を、国は既に決めていた。原告は「敗訴」と受けとめた。

 控訴審で、大阪高裁は、民家などで現場検証を行った。着陸体勢に入った飛行機がつけたライトが、裁判官たちがいる室内に強烈に差し込んだ。「裁判長は衝撃を受けていた。分かってくれたと思った」と岡さんは振り返る。

 大阪高裁は七五年、「個人の生命、身体、精神、生活に関する利益」が「人格権」を構成するとして、原告側の要求通り、午後九時以降の飛行差し止めを認めた。原告側の「全面勝訴」だった。雨の中、高裁前で住民は傘を放り出してバンザイを叫んだ。泣いているお年寄りもいた。岡さんも「天にも昇る気持ち。これで安眠できる」と思った。

 しかし、国は上告し、訴訟は最高裁へ。原告たちは審理がなかなか進まないといら立ったが、七八年五月の口頭弁論で第一小法廷の裁判長が「判決言い渡しは追って指定する」旨を宣言し、ようやく判決が出ると安心した。だが、その三カ月後、突然、大法廷への回付が発表された。それは最高裁の一部の裁判官だけでなく、最高裁長官ら全員で審理をし直すことを意味した。

 「意見は出尽くしていたのになぜだ」という原告側の疑問は無視された。それから三年余の審理を経て、大法廷は八一年十二月、飛行差し止めを却下する逆転判決を出した。

 理由は、「国の航空行政権は、民事訴訟では争えない」。つまり、原告たちは最高裁まで来て、門前払いにあったわけだ。「運輸相(当時)の行政権の行使を求める請求であり、三権分立に反する」などという国側の主張に沿った判断だった。

 一方で、騒音などにより住民が、精神的苦痛や生活妨害を受けていることは認め、「人格権」が損なわれているとして、損害賠償は認めた。国と住民の双方を立てようとする「玉虫色」の決着だった。

 元弁護団事務局長で元日弁連会長の久保井一匡弁護士(79)は「次々に出てくる公害裁判の第一号で、最高裁はびびっていた」と話す。上告審で国が、住民を優先すれば公共事業は頓挫し、日本の発展は阻害されると強く主張したのをよく覚えている。「裁判官をどう喝したんです」

 最高裁判決後、公害訴訟は「冬の時代」に入った。八〇~九〇年代の空港や新幹線、国道の公害訴訟では損害賠償は認めるものの、飛行や騒音、振動の差し止めを否定する判決が繰り返された。厚木、岩国、嘉手納などの基地を巡る訴訟も、同様に飛行差し止めは認められなかった。認められたのは、運転差し止めを認めた二〇〇六年の志賀原発訴訟金沢地裁判決など一部の例外だけだった。

 久保井氏は「司法が国民の人格権、環境権を守らないで、どうするのか」と批判する。第四次厚木基地訴訟の控訴審は「行政訴訟」の形式を整え、大阪空港訴訟最高裁判決の壁を破ったが、最後はまた最高裁に否定された。「今の時代、圧力そのものは難しい。最高裁が忖度(そんたく)しているのだろう。立法、行政の邪魔をしたくないと、自粛しすぎ。時代は進化しているのに、司法は遅れている」

 人格権や環境権という考え方が社会に浸透するようになり、今では、航空機自体の改良や公害対策の法規制も進んだ。大阪空港訴訟が影響を与えたことは間違いないが、岡さんには「差し止めは命じないが、損害賠償は認める」先例になったのではないか、という悔しい思いがある。

 「賠償金が欲しくて裁判をしたわけではない。どの空港や軍事基地の裁判でも、住民にとって大事なのは環境のはずです」

 ただし、流れが変わる気配がなくもない。一一年の福島第一原発事故後、原発の運転差し止め判決や仮処分が相次いで出た。一四年の大飯原発3、4号機の運転差し止め訴訟で、福井地裁判決は「人格権を具体的に侵害する恐れがある」と認めた。上級審で覆されるケースが続いているが、久保井氏は「憲法の番人」の最高裁が使命を果たす時が来たと感じている。

 「福島の事故で裁判官の目が覚めた。米国では、裁判所が、移民の入国を規制するトランプ米大統領の大統領令に憲法違反としてストップをかけている。日本の裁判所も負けていられないでしょう」

 (橋本誠)