高校のとき、成績がいい方ではありませんでしたが、特に国語は悲惨なものでした・・・
私は文系でしたが、テストは数学や物理といった理系の方が点数が出ていました。
それでも社会科、特に歴史が好きだったので、担任の先生から3年生になるとき理系に進むようにアドバイスされましたが、その時すでに福祉大学進学を決めていたので頑なに文系で学ぶことにこだわりました。
いや~、それでも国語の点数はひどかった・・・
原因は分かっていました。
言い訳ですが、先生との価値観というか、文章を読んだときの感じ方が違うので、答えが違うのは当然なことだと開き直っていたからです。
特に設問で
「下線部分を読み、主人公が考えていたことを50字以内で述べよ」
とか
「この文章により、筆者が伝えたかったことを100字以内でまとめよ」
といった問題は、しっかりマスを埋めることはできるのですが、10点満点中、努力賞の2、3点ほどしかもらえなかったことを覚えています。
先日、新聞を読んでいると、現在脚本家としても活躍されているラサール石井さんのインタビュー記事が載っていました。
その内容を見て、大きく納得しました。
石井さんが高校時代の現代国語の先生についてで
「その先生の授業は、教科書を読んで、ただ先生は
“どう思う?”
と聞くだけで、
“それもあるね”と言われるだけ・・・
生徒が
“答えを教えてください”
と言っても、
“私たちは、しゃべってるだけでしょ、文章の味わい方は人それぞれだから”
と国語は教えようがないといった考えの先生でした。」
と振り返られていました。
お見事!!
石井さんは、その先生の自宅に友だちと遊びに行っては、明け方まで哲学や人生を語り合っていたそうです。
羨ましいな・・・
短いインタビュー記事でしたが、その先生の魅力にズバッっと心をつかまれました。
成績のことはどうでもいいのですが、高校のときに
“あなたの感じ方もありだね”
と認められていれば、また違った価値観を醸成できたのではと思う、今日この頃です。